第13話:変貌

 ついに、伝えた。


 昨夜に言いそびれたことを。

 言いたくなかった、この一言。


 心が痛い。


 衛を傷つけた。

 半年近くの時間ときを経て、変わってしまったあたしの気持ち。


 中学の卒業式後に告白されたこと、すごく嬉しかった。

 あたしにも彼氏ができる。


 そう思っていた。


 けどすぐ近くで火災があって、衛に返事をする前に騒ぎが起きて…離れ離れになって、春休みに衛が大阪へ発ったこと知った。

 そのまま衛は大阪へ引っ越してしまって、あたしは今の高校へ入学した。

 今度こそ、いい恋をすると心に決めて入学式の日に登校した。


 入学式の日に翔と出会って、一目惚れして…けど翔は誰とも付き合わないことが分かって…苦しかった。


 交流合宿の夜は、疲れで頭が回らなくて、翔の耳元でつい好きと口走っちゃった。


 退学騒ぎにまでなった傷害事件の濡れ衣を、あたしがカメラの証拠で剥がして…お礼として翔と二人きりで過ごして、その優しさが堪らなくて…思わず、告白した。


 そこに衛が現れた。

 あの日から半年近い時が流れて。


 翔には告白の返事もしてもらえず、ずっと宙ぶらりんのまま、今も翔の気持ちはわからないままでいる。


 バチが当たったんだ…。


 あの時もっとしっかり返事をすれば…衛の家に押しかけてでも返事をしていれば、こんなことにはならなかった。

 たとえ遠距離恋愛でも、衛とは半年我慢すればよかった。

 でもあたしはどっちつかずのまま、衛を振り回してきた。


 だから、あたしは翔に振り回されてるんだ。


 あたしが衛にしたこと…今度はあたしが翔にされている。


 傷つけたくなかった。


 いつもあたしを優しく受け入れてくれた衛を…。


 ごめんなさい。


 ぷあ~ん…ガタンゴトン…ガタンゴトン…。

 電車が上で通り過ぎる。

 言ってからは、ほんの一分もなかったはず。

 けど数時間が経ったのではないかというくらい、長い時間に感じた。


「…どういう…ことだよ…?昨夜の返事は、嘘だったのか…?」

 あたしはかぶりを振る。

「違う…昨夜の返事は、中学の卒業式の日に言おうとしてたこと…けど急にキスしようとしてきたから、さっきのこと…言いそびれちゃって…」

「…そんなに…あいつがいいのか…?」

 こくん。

 黙って頷く。


「あいつは…緋乃とも、誰とも付き合わないんだろ…?それに今も返事しないで放っておかれてるんだろ…?」

 こくん。

「…そんなやつが………緋乃を大切にしているとは思えない…」

 衛はあたしの肩を掴む。

「どうしてだよっ!!?俺ならあいつよりずっと大切にできるっ!!!緋乃さえ良ければっ…俺がずっと側にいていられるっ!!!んだっ!!!?」

 肩を掴む手の力が強くなる。

「もちろん衛のことは大切だし、好きだったよっ!!でも翔と過ごした一学期はなにものにも代え難い、かけがえのないものなんだよっ!!それを否定するのっ!!?」

 涙目になりながら叫ぶ。

「それにっ、まだフラれるって決まったわけじゃないっ!!翔は告白されてもその場で断ってるのを知ってるけど、断らない理由が何かあるんだよっ!!!」

 衛の顔を見られず、俯く。


「翔を好きでいる気持ち…まだあるし…そんなにすぐ気持ち、切り替えられないよ…」


 肩を掴む力がさらに強くなった。

「答えないって…それが答えだろっ!!!もう終わったことなんだよ!!!」


「痛い…」

「え?」

「肩…痛いよ」

「あっ、ごめん…」

 あたしは俯きながら、やっと開放された両肩を両手で交差してかばう。

「今の衛…怖い……こんなのっ、あたしの知ってる衛じゃないよっ!!」

「…緋乃…俺…」

 手を伸ばそうとする衛から、届かないところまで後ずさりする。


「ごめんっ!!」

 もうそこに居られず、思わず走り出す。

「緋乃…」

 残された衛は、そこでしばらく立ち尽くしていた。


 いつもは片付けが行き届いている部屋。今は散らかっている。

 ベッドから転げ落ちた状態のまま、衛の周りは抜け殻のような時間が流れていた。

「緋乃…」

 ポロン。

 ふと、LINEにメッセージが届く。

 見る気にもなれず、放っておいた。

 思い出すのはあの日のこと。

 緋乃から、付き合えないと言われたあの日。

 思い返しては涙を拭いて眠り、目覚めてはまた思い出す。

 そんなことを繰り返していた。


 翌日。

 ポロン。

 またメッセージが届く。

 昨日と今日、送ってきたのはどっちも詩依だった。

 昨日の分は『緋乃が心配してたよ。何があったの?』

 今日の分は『あたしでよければ話きくよ?』

 そういやログハウスで詩依ともID交換したんだっけ。

 ぼんやりと思い浮かべる。

 誰かに話せば、楽になるのかな…。

 ぼんやりと思いながら、衛はメッセージを打ち始める。


 翔はあてもなく街をブラブラしていた。

 緋乃は今ごろ衛とデートしているのだろうと思ったら、心の中に分厚い雨雲が立ち込めるかのような気持ちになる。


「母…さん?」

 翔は驚いた顔で通りかかった人の中から見つけた。

「あなた、翔…翔なのね…?」

 思わぬところで再会した。

 連絡も取っていなかったけど、偶然の再会だった。


 近くの喫茶店に入り、話し始める。

 もう、父さんとは関係が切れたんだよな…。

 すでに離婚は成立していて、家からも出ていってる。

 父さんは相変わらず仕事に没頭していて、翔は家にそれほどいい印象は持ってない。


「お母さんね、本当は離婚したくなかったの」

「えっ?」

「あの人は本当に優しかった。ずっと」

 カラン、とグラスの氷が音を立てる。

「何度も話し合ったけど、お金が足りないで困らせることだけはしたくないと聞かなくて…。どこで何を間違えたのか、あの人と共有する時間はどんどん無くなって…」

 そう。

 あの頃からケンカばかりしていた。

 だからせめて俺が父さんの代わりに、と。

「翔はそんなわたしを心配してくれたよね。とても優しくしてくれて…」

 ………。

「あんな状態じゃ、翔が大きくなってから人を信じられなくなると思ったから、あなたの心の成長の邪魔になるのがわかってたから、離れることにしたの」

「母さん…」

「ただ、寂しかっただけよ。あの人からの愛があればそれで十分だった。けど家族を大切にする方向を間違えてしまったあの人と、代わりに優しくしてくれた翔から離れるのはとても辛い決断だった」

「俺…」

「わたしだって女ですもの。愛してくれる人と寄り添っていたい。また愛してくれることを願って、あの人と何度もぶつかった。でも、翔のことを考えたら…」

 母さんは目に涙を浮かべていた。

「あなたは、あの人みたいに間違えないでね。愛する人と寄り添うことが、女にとっては一番の贈り物なんだから」

 …俺は…勘違いしていたのか。

 女って甘えて見せるのが演技で、その仮面を取ってしまえば激しく怒るものだと思っていたけど、ただ愛されたかっただけなんだ…。


 初めて付き合った女には、その思い込みで傷つけた。

 自分を抑え込んで、女が喜ぶ言葉と態度で気持ちよくさせてやり過ごす。怒らせないために。ずっと仮面を被っていてほしくて。

 そんな意識がずっとあった。

 けど本当の自分を出してないことは見抜かれていたから、何度でも付き合っては別れを言い出されたんだ。


「翔は優しいから、もう素敵な人と寄り添ってるのでしょうね」


 緋乃…。


 最初は恥ずかしがってばかりいたけど、打ち解けるにつれて緋乃のいいところもいっぱい見つけた。

 裏表も屈託もない真っ直ぐさに惹かれていった。

 それがもしかすると演技…仮面なのかも、と思ったら返事ができなかった。

 交流合宿の時も、二人で出かけた時も。


 そして、その結果は…衛に緋乃を取られてしまった。


 俺を退学騒ぎから救ってくれたのは緋乃だった。

 そのお礼にと二人で出かけた。緋乃がそう望んだから。

 俺はまだ、緋乃に借りを全部返してない。

 最後の最後で、緋乃の隣にいてやれず、衛に緋乃を渡した。

 あの日は、この今を暗示していたのか…。


「今日は、ありがとう。母さん」


「あとね、これ…ずっと黙ってたけど」

 封筒を差し出した。

「いつでもおいで。翔」


 夏休み半ばで、登校日を迎えた。

 もう、緋乃は衛と付き合ってる。

 けどまだあの時の返事をしていない。

 衛と幸せになっている緋乃に返事をしても、もう遅い。

 雪絵の予想したとおりになった。だがもう手遅れだ…。

 それはそもそも俺が返事をずっと先延ばししてきたからだ。

 傷つけたくなくて…。

 

 いや、違う。


 俺が傷つきたくなかったんだ。


 だったらせめて、緋乃にはしっかり返事して、けじめをつけよう。

 俺を退学騒ぎから救ってくれた、緋乃に…あの日に言いそびれた返事をする。

 あの時に言おうとした返事とは逆の。

 緋乃の返事は、わかりきってる。俺はフラれる。

 それで、終わりにする。

 傷つくことから逃げないで、向き合う。


 登校日は一限で終わり。

 ちらほら来てない人もいるけど、いつもの感じが戻ってきたような気がする。

「緋乃、おはよう」

「おはよう詩依」

「ねぇ、緋乃が衛をフッたって本当ぉ?」

 コソッと聞いてくる。

「…うん」

「緋乃から衛を心配するメッセージが来たから、何かと思って連絡してみたら抜け殻みたいになってたよぉ。さすがに見ていられなかったけど、なんとか励まして少しは持ち直したみたい」

「迷惑かけてごめんね」

 その頃、雪絵は教室の前で翔を待っていた。

 緋乃と詩依を見ていられなかったから。


「おはよう雪絵」

「おはよう。話があるわ。来て」

 有無を言わさず、翔を連れ出す。


「えっ!?てことは緋乃は衛と付き合ってるわけじゃないのかっ!?」

 雪絵は翔を別の場所へ誘い出し、これまでの流れを説明した。

「そう。あの夜ベランダから見てたけど、緋乃はキスを拒否してた。それを翔は見届けなかったでしょ?」

「…そうだったのか」

「ここからが大事な話。よく聞いて」


 衛は本当に抜け殻みたいになっていて、正直見ていられなかった。

 けど、その原因はあたしにある。気になるけど、終わったらすぐ帰ろう。

 一限のホームルームが終わり、すぐに放課後を迎えた。


「それじゃあたし、先に帰るね」

「おいっ緋乃っ!」

 翔に呼び止められるけど、衛の言葉が頭に残っている。


『なんで報われないやつにこだわるんだっ』

 そう、わかってる。

 報われない恋ってことくらいは。

 あたしは追いかけてくる翔を撹乱しようと、少し遠回りした。

 昇降口までもうすぐ。足早に向かう。

 せめて夏休みが明けるまでは…。


「あっ」

 そこには、衛がいた。遠回りしたから先に待たれてた…。

 気まずい…。

「その…前は…ごめんなさい」

「こちらこそ、取り乱してごめん」

「あたし、急いでるから…」

 通り過ぎようとした時、腕を掴まれた。

「俺、絶対大切にする。待ってるから…俺、待ってるから…」


「離して…」

 掴んだ手を離さない衛。

 早くしないと…翔が来ちゃう…。

 通り過ぎる人の中に、いた。

「翔…」

「緋乃に、話がある」

 翔があたしの肩を掴む。力強く、けど優しく。

「おい、俺が先に話してるんだ。邪魔するなよ」

 構わずに翔が体を引き寄せる。

「緋乃」

「なっ…何?」

 まっすぐ見つめる翔。


「あの時の、返事」


 返事ってことは…まさか…!?

 絶対、フラれる!

「いや、聞きたくないっ!」

「聞いてくれっ!!」

 振りほどこうとするが、肩を掴まれて体が動かない。

「おいやめろ翔っ!!嫌がってるだろっ!!」

 衛は手を離して、翔の肩を掴んで引き剥がそうとしている。

「黙ってくれ」

 翔の強引さに衛が止めに入る。何を言おうとしているのか衛は察知していた。


「好きだ、緋乃。付き合おう」


「………えっ?」


 理解、できなかった。

 絶対に誰とも付き合わないと言って譲らなかった翔が…まさかの返事…。


「………はい…」


 停止しかかった頭で、受け入れた。

 この時は気づかなかった。

 これがきっかけで、大きく揺れる日を迎えることに。


 衛は呆然と立ち尽くしていた。

 緋乃が…翔と付き合う…?


「イヤだ…」


「え?」


「イヤだ…もう…失うのは…イヤだっ!!」


 衛は人が変わったかのようにゆらりと動く。

 この空気…前に俊哉があたしを閉じ込めた時のそれと似てるっ!?

「…お前さえ…いなけりゃ…そうだ。お前さえいなけりゃいいんだっ!!」

 言うなり、衛は翔に飛びかかる。

「やめてっ!衛っ!!」

「お前さえっ、お前さえいなけりゃっ!!!」

 飛びかかられた翔は倒れ、衛が馬乗りになる。

 殴りかかる衛に必死で抵抗する翔。

「チッ、雪絵の言ったとおりだったか」

 なんとか衛の両手を掴むも、激しくもみ合いになっている。

 昇降口のあたりは騒然として、人だかりができ始めている。偶然通りかかった俊哉が走ってきてかき分けて乱入した。

 必死に翔から衛を引き剥がす俊哉。

「離せっ!!!お前さえっ!!!」

 翔が押し返し、俊哉が引き剥がし、羽交い締めにされる衛。

 なおもバタバタと暴れている。


「どうして…こんなことになっちゃったの…?」


 暴れ続ける護を見て、あたしは取り返しのつかないことをしてしまったと悟った。

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