Dear

阿尾鈴悟

Dear

 これから僕は良い人を辞める。

 それはここまでの人生を否定することかもしれないけど、それは残りの人生を棒に振ることかもしれないけど、僕は皆に言わなければならない。

 ありがとう。そして、おめでとう。


*


 成人式に呼ばれたのは、これが二度目のことだった。

 一度目は、僕らの曲が世間に知られたとき。当時、バンドを組んだばかりだった僕たち四人は、作った曲をレコード会社に送った。すると、運良く新人発掘の担当さんの目に止まり、気が付けばショップにCDが並んでいた。それを知った地元の市役所からオファーを頂き、成人式を彩るためのゲストとして参加したのだ。二度目の今回は、それとはいっさい関係ない、成人を迎えた本来の意味での招待だった。

 ただ、僕はかねてから成人式に出席すべきかを悩んでいた。特に出席義務があるわけでもなく、出なかったからと言って、成人になれないわけでもない。誕生日が来れば、誰だって成人になって、様々な権限を獲得──もしくは制限を解除される。内容も大方の予想が付いていた。世間で偉いと言われる地位の人が登壇して、成人としての自覚や責任について述べるのは間違いない。たくさん積んできた人生経験を、肝心の教訓が霞んでしまうほど滔々と聞かされ、運営スタッフが醸し出す、『ありがたい』という空気を読んで、何が何だったのか良くも分からぬまま、万雷の一部として拍手を鳴らす。以下、その繰り返し……。きっと、そんな感じ。だって、一回、舞台袖で見ているんだから。なんだったら、ライブでも似たようなものを見たことがある。後はせいぜい旧友と顔を合わせるくらいだろうか。数年、会っていない友人は、もはや別人になっているかもしれない。僕は、都合、大学に行っていないし、旧友と話を合わせられる自信が微塵もなかった。そして、なにより気が進まなかったのは、出席するに当たって、費やすものがあることだ。その場の雰囲気にあわせたスーツや靴を買うためのお金に、必然と拘束されてしまう数時間。お金こそバンド活動で少しは持てるようになったが、時間はどうしたって蓄えられない。デメリットにだけ目が行って、成人式へのメリットを見いだせなかった。

 結局、僕が出席を決めたのは、他三人のメンバーが、全員、出席するからという理由だった。幸か不幸か、ライブ等の活動が休みだったことに加え、出席する側は確実に生涯一回なんて言われたら、メリットが見つからなくとも惜しくなった。貧乏性の怖いところだ。

 会場の市民会館に入ると、地区ごとに区画が決められているだけの自由席だった。やっぱりメンバーと固まって席に着く。すぐに旧友とファン、それから知ってはいる人たちに囲まれて、わずかな思い出を増幅、美化した話を聞かされる。そうして、集まったほとんどの人がメンバーからのサインを求めた。中には覚えていない、もしくは知らない人も居たけど、僕は得意の愛想笑いを浮かべて、式が始まるまで、歪んだサインを書き続けた。

 大方の予想通りに式は進む。まるで検算を解くように、頭の中がほとんどそのまま再現された。会館がスピーカーからの音と会話の音で震えている。新成人の皆は、学校で習ったはずの静寂の維持をどこで落としてきただろう。運営の手伝いをしている高校の教師たちも、あの頃のように咎めるのではなく、傍観を決め込んでいる様子だった。

 唯一、全く違ったのは、市長らしき人が自分語りの最後として言い出したこと。

『……皆さんも彼らのように!』

 そこで僕たちが座っていた一角にスポットライトが当てられる。

『彼らのように社会へ羽ばたいてください!』

 壇上から向けられる、してやったりといった表情。目を丸くする僕らへ、拍手と喝采が向けられる。厭な予感がした。理解できない興奮が会場に満ちて、決壊寸前のダムのよう。

 そして、その予感は的中する。

「歌わぇのかぁ?」

 どこからともなく聞こえてきたヤジによって、そのダムはついに決壊する。興奮がマグマとなって僕らを囲った。逃げ場がどんどん無くなって、司会の人も壇上に上がるようお願いという催促をする。

 顔を見合わせ、表情だけで相談した。誰も楽器すら持ってきていない。僕も発声をしていないから歌えない。そもそも事務所との契約がある。歌える状況では無かった。

 リーダーが首を振って、一人で壇上へ上がった。申し訳なさそうに事情を説明すると、一斉に落胆の声が上がる。

「つまんねえな」

「金持ってるから良い気になってるじゃない?」

「あいつなんて、高卒なんだよ? 今時、いる?」

 聞こえていないつもりなのか、陰口が飛び交う。壇上のリーダー以外、僕らはうつむいてその声を聞いていた。

 僕ら全員、祝う側ではなく、祝われる側のつもりで会場に来たはずだ。それなのに──


*


 ずっと良い人であれば救われると思っていた。

 どんな物語でも良い人であれば救われる。救われてきた。担当の方に出会えたのも、ファンの方に恵まれているのも、お金を持てるようになったのも、教わったルールを守り、できる限り頼まれごとを断らず、良い人であることに勤めて来たお陰だと思っていた。

 けど。けど、どうやらそれは違うらしい。

 本当は大学で勉強をしたかった。それなのに、学費が払えず、どうしようもなかった。そこへは、今、ルールを守らず、人の心も考えず、勉強がしたい訳でもないらしい人間が通っている。彼ら彼女らが悪人とは言わないが、良い人であるようには思えない。

 つまりはそういうことだ。

 良い人は、都合の良い人の略。ありがとう、皆。おめでとう、僕。

 もう、大丈夫。

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Dear 阿尾鈴悟 @hideephemera

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