第11話 ABC

 飛び込めばそこには氷の坂、大通りの十字路に沿って氷の城は築かれた。氷は十字路を覆い次々と兵士達は下へと集まっていく。数は五百人程度と決して多いとは言えない。


「この歳で滑り台とはな…」


 銀色の髪を風で揺らしながらエイゼルは滑り台、簡単に言えば氷の城の外壁を滑っていく。傾斜は徐々に緩やかになり、地面と平行に滑っていくと水の壁をクッション代わりにし勢いを落とす。異能スキルで作られた水の壁はあくまで速度を落とす役割で、通り抜ければ水滴も慣性もゼロとなる。




 メルディルは今回王都に奇襲を仕掛け、中枢からの侵略を目論んでいた。北に位置する王城と軍事基地のどちらかに被害を与える事が主な作戦の内容である。


 ここでエイゼルが向かうのは北ではなく東。その狙いはだった。


 ストラ王都には東北東から西南西に向けて川が流れており、川が境界線となって北側と南側の二つのエリアに分ける事ができる。

 大きく分けて二つのチームが南北を同時に進行し、南側は作戦終了時に空間歪曲の異能スキル――ゲートを発動し撤収するための安全確保が目的だった。


 今回の作戦で抑えるべき橋の場所は東、中央、南の三つだ。この三つは王都の北に位置する王城と軍事基地から比較的近い場所にあった。


 メルディルの主戦力の一人であるエイゼルがここへ向かうのには理由がある。それは援軍の存在。

 王都から最も近い別の駐屯地、それが東にあった。なので、作戦を邪魔されないよう、東側で待ち構えて足止めし、自分たちに対処せざるを得ない状況にする為だ。




 エイゼルは何十人かが集まったのを確認し声を掛ける。


「…集まったか?なら時間が惜しい、さっさと行くか」


 エイゼルの班はおおよそ二十人ずつに分かれて目的地へと向かった。






 先行して前で飛んでいる仲間に索敵してもらっているが今のところ何も起きていない。不気味な程に順調なのはいつも通りだが、それでも以前よりも油断できない。不安が脳裏にチラついている。



 ――先日の記念日のストラ襲撃、目的は主に二つ。一つはゲートの試用。実際に作戦に組み込む事ができるか、そして再使用までの時間を調べていた。もう一つはあの部屋を起点として作戦に移せないか、など。


 予言では誰の邪魔も入らないはずだった。しかし結果としてはストラ最強の剣士セルシア・アリアがそこへ現れた。

 それでも一人だけであればどうにか対処できてはいた。


 問題は、その次に現れただった。


 ゲートと同類の異能スキルで目の前に落ちてきたヒトの形をした何か。セルシア・アリアが化け物と言うのならあれは何と言うのか。

 話す言葉や振る舞い、一から十まで何もかも不気味だと感じるほど異質、それでいて自分と同質のヒトなのだ。同じ人間なのに見ているだけで鳥肌が立つような不気味さを放つのが信じられなかった。


 生きている事が許容できないほど気持ちの悪い、まるで不気味という概念そのものような存在を消し去ろうと全身全霊の力を込めて俺は異能スキルを放った。

 異能スキルは確かにその身体を貫いた。どうあがいても助からない、あれは死が確定していた。それなのに傷一つ残らず立ち上がっていた。


 人生において不条理というものをこれほど痛感した事は他にない。夢でも見ているのではないかとさえ疑った。


 逃げようとして目が合った時、自分が感じた不快さは恐怖であることに気付く。メルディルに戻っても暫く震えが止まらなかった。もう二度と出会いたくはないと心から願っている。



 ――そうこうしている内に、橋までなんの障害もなく辿り着く。


「…来たか」


 背負っていた荷物を地面に置き、100メートルはある川幅を上から見下ろして呟く。その様子を見た後ろの仲間から声が掛かる。


「すぐに始めようぜ?」


「――ああ、分かってる」


 そう答え、身体中から黒いもやを身体の周りに発生させる。そのもやは次第に濃くなり、右腕へと集まっていく。



 ――準備完了。


「ただの一般人に、やられるやつはいねえよな?」


 挑発するような態度で全員を見渡すと、頷きや肯定の反応が返ってきた。


「いやー、まさかな?」


「俺は北のメンバーよりも活躍してやっからな」


「じゃあ俺は…、エイゼルがやられたら真っ先に逃げるわ」


 こんな状況でもいつも通りだ。頼もしい。俺はそんな仲間たちを鼓舞するように、自分の不安を誤魔化すように言葉を次々と出していく。


「ハッ、確かにそうした方がいい。だがセルシア・アリアの左脚は消し飛ばしたからもう戦えない。だから注意するのは他の奴等でいい。が、それすらも来れないだろうな」


 予言では、東に来るストラの兵士は増援だけだと聞いている。ならばその分期待以上の活躍をしてやろうか。


「――行くぞ」


 ただ一言、俺は静かに言った。


「全員、皆殺しにしてやる」



 の恨みを晴らす為に。俺は、俺達は夜の街を再度駆け出した。





 破壊、破壊、破壊。ただひたすら、それだけだ。


 逃げてきた男の目の前に現れて剣で切り裂く。名前も知らない男の悲鳴が木霊する。

 それがエサとなって次の獲物が現れた。泣いて何を喋ってるか分からん小さなガキだ。そいつは生意気にも小さな針を飛ばしてきた。異能スキルで反抗してきたのでこちらも異能スキルを使うとそいつは避けられず死んだ。


 ざまあみろ。


「つーか、今のは親子か…」


 なら母親は…、まあ探すのも面倒だ。俺は適当に破壊の霧を逃げる奴等へ当てていく。頭か心臓を狙えばいいだけなので細い線のようにしている。魔力の消費も少なくていい。


 住宅街には爆発音や発砲音が響き続ける。それと一緒に絶叫と悲鳴が四方八方から聞こえてくる。


 ならば静かになるまで破壊しつくしてやろう。


『ザザ……、エイゼル、聞こえるか』


 すると、今度は通信機から声が鳴る。橋を崩すための爆弾を設置している仲間からだった。


 …何かあったのか?


「どうした」


『ストラの兵が近くにいたみたいだ。怪我人は出たが死人は出てない――』


「――は?」


『話は最後まで聞け。いたのは数人だけだった。恐らく事態を知って大急ぎで様子を見に、って感じだった。もうじき戦闘になると思うから注意しろ。それだけだ』


「あ、ああ…。分かった」


 通信機から声は止んだ。


「……」


 予言が外れたのかと思ってしまい取り乱してしまった。クソッ…。


 限りなく100%に近いものに変わってしまったからだ。外す確率の方が圧倒的に少ないのに、そちらの方が多いのではないかと錯覚しているんだこれは。そうに違いな――、



 ふと、あの男の表情が脳裏に映る。



「ーーッ!ふざけやがって…」


 苛立ちを抑えて異能スキルを右腕に増幅させる。冷静になる為に深呼吸をする。


 そうだ。ここは敵地だ。予言がどうした。どちらにしろやることは一つだ。


 破壊だ。




 ――そして、橋の付近からは住人はいなくなった。住人は逃げ切った者か死体と化したのどちらかだ。そこら中から鉄の臭いが風に乗って鼻に入る。

 …やはりいつになってもこの臭いには馴れない。


 橋まで戻って、地面に靴裏に付いた血と肉のスタンプを何度か押しつける。ベタベタと地面に張り付くのが無くなった。


「こっちは終わったぞ、そっちはどうだ?」


「終わってる。寝てもいいくらい暇」


「了解。他のところはどうだ」


「通信はまだだけど、恐らくもうすぐ」


 中央や南も制圧が終わるはずだ。後は北と西から攻めている本部隊の作戦終了を待つだけだ。


 …早く、終わってくれ。



 そう思っていると、空高くで双眼鏡を構えている仲間が何かに気付く。


「あっ…、おい、全員準備しろ!」


 ということは東からの増援だ。意外にも到着までの時間が短かった。恐らくだがこの前の作戦がバレたからある程度警戒体制を強めていたんだろうな。


「まあいいや、とにかく時間稼ぎをするぞ」



 エイゼルの指示で全員が配置に着こうとしたその時、通信機から突然ノイズがうるさく鳴り響く。通信は中央の部隊からだった。



「うるせえな…」


 耳を遠ざけながら仲間が愚痴を溢している間に、ノイズは徐々に声へと変わっていく。




『ザー……ザザ…いおい、おい!?聞こえるか!?まずいことにザザー……南に…』


 近くにいた仲間と顔を合わせる。困惑で顔が暗くなっていた。


 雲行きが怪しくなる。


「…お、おい!何があった!?南がなんだ!?」


 仲間が通信機に必死に理由を訪ねると、そこから返ってきた言葉は絶対に聞きたくなかった言葉だった。






『――セルシア・アリアが仲間と共に南に潜んでいたんだ!!南は既に全滅してる!!こちらも全員で倒そうとしたが異能スキルされてこっちの攻撃が通らな……ッ!!ぐああああああああ!!』



 仲間の叫びと何かがぶつかる音が最後の通信となった。



 エイゼルは吐き気を催す。誤魔化していた不安、それがあまりにも肥大化し過ぎて口を手で抑える。


 セルシア・アリアが最悪のメンバーを連れているとしたら、それは二人。二年前の戦争で猛威を振るった組み合わせ。セルシア・アリアと一緒にいては、誰も敵わない。


 まるで、そのためにあるかのような必然さ。


 その中でも特に異能スキルの無効化、その条件に当てはまるのが一人。


 最強が無敵となる仲間。


「嘘だ……」


 予言は外れる。
















 ――アリアの振り下ろした剣が胸を切り裂き止めを刺す。


 南のメルディルの部隊に続いて、中央の部隊も殲滅した。たったの四人で何十人もの相手をし、見事に勝利したのだ。



 黒い透明な正方形の結界に覆われた空間内に四人はいた。周りを見渡して敵がいないことを確認したビークンは銃の構えを解き一息付いた。


 オトノは敵から拾った剣で手のひらを滑らせる。パックリと割れて血が地面に垂れるほどの傷口も、数秒で塞がった。オトノは治った手を見つめ続けていた。


「……」


「あっ、魔力領域が無いなら発動できますよー」


 ビークンはその黒い結界を解除してニコニコとしながらオトノに異能スキルの特性を教える。


「…どういうこと?」


「魔力領域を持たない異能スキルは使えてもー、他の異能スキルは全部使えないんです。中にいれば安全ですよ~♪」


「こいつの異能スキルは魔力領域無効化の異能スキル。簡単に言えばアンチ異能スキルで、結界内じゃ魔力領域を持つ異能スキルは効果も発動も無効化されるっていう」


 シューヤの説明にビークンは腰に両手を当てて、えっへんとでも言いたげなドヤ顔をしていた。


「凄いね」


「えへへ…、それほどでも…あるかな?」


 オトノが褒めると頬を赤らめて恥ずかしそうな態度をとる。意外にも褒められるのは苦手だったようだ。


「――魔力領域が無い…か」


 アリアはその呟きを聞いて目線を逸らした。だがすぐに頭を振り、シューヤに声を掛ける。


「シューヤ、連絡をお願い」


「んあ、何を伝えんるんだ?橋に爆弾仕掛けられてるとか?」


 シューヤは盾を背中に背負い腰につけた鞄から通信機を取り出す。


「それもそうね。私達が今から基地に戻ることを伝えて」


「ふーん。他のところは見に行かなくていいのか?さっき通信してるやついたけど」


「私達の存在を相手に知られた上で態々行くのは愚かだわ。奇襲できないならしなくていい」


「なるほど。堅実に、か」


 眼鏡の位置を中指で直し通信機のボタンを何度か押して耳に当てた。それを見てやり取りを終えるのを待っていようとした。


「本部へ通信、応答願う――」



 その時、全員の耳が遠くから幾度と響く爆発音を捉える。



 音源へ顔を向けると辺りは明るく燃えており、暗くてもよく視認できた。方角は東だった。


「どうして橋を壊したんですかね?そもそもわざわざこっちのエリアを狙う理由も分からないんですが」


「ストラ王都を滅ぼす為なら数が圧倒的に足りてない。けど、あいつらには空間歪曲の異能スキルで自由に行き来できる。だから、段階的に分けて攻めようとしてるのかもね」


「あー…、何となく分かりました」


 二人は苦い顔をしていると、シューヤは通信機を鞄にしまい三人に近付く。


「さっきの爆発も伝えておいた。そしたらもう援軍が来てるらしくて、まずは橋の爆弾解除と逃げ遅れた人の救出に向かうって」


「ありがと、シューヤ。…ならもう用は無いから行こう」


「了解」


「――待って」


 この場を去ろうとした三人にオトノは静止を呼び掛ける。振り向いて立ち止まるとオトノは三人の肩をそっと触れた。


 瞬間、たったそれだけの行為が持つ意味を全員は理解した。たったそれだけで、戦闘による疲労が消えたのだ。特に、重い盾を背負っているシューヤは目を開いてその効果を実感していた。


「うおお……、やっぱりすげえな」


「わあっ…!ありがとうございます!」


 オトノはシューヤとビークンに頷きをする。そして、アリアの横に並び顔を向ける。だが、ちゃんとアリアを見る事ができずに逸らしてしまう。


「……」


「……」


 オトノは何も言わなかった。いや、何も言えなかった。どんな言葉も意味を成さないからだ。


 だから、アリアが代わりに言葉を紡いだ。


「…分かってるよ。ありがとう」


「ああ…」


 オトノは一人先に橋を歩いていく。アリアもその後ろ姿を追いかけるように駆け出した。


 シューヤとビークンはそのやりとりを見てお互いに顔を向けた。


「…どういうこと?」


「さあ、私にも…」


 先行するオトノとアリアに置いていかれないように二人も走り出す。











「――どうする…?」


「作戦変更だ。戻るしかないだろ、これは……」


 エイゼルは唇を噛んで橋の手すりに倒れるように寄り掛かる。


(どうして、セルシア・アリアが動ける。義足でも戦ってるのか?…それよりも問題はキリリス・ビークンだ。異能スキル重視の南の編成じゃあいつらに勝てるわけない……)


 頭を抑える手を離して、氷の城の方を見て口を開いた。


「全員に連絡してくれ…。作戦を中止して今すぐ戻れ。…そうじゃなきゃ、終わる」


 エイゼルは右手を手すりに叩き付ける。すると無意識の内に発動していた異能スキルが手すりを粉々に破壊した。


「クソおおおおッ!!!!」


 悔しさが込み上げて、エイゼルは叫んだ。夜の肌寒い温度は、その声を遠くまで響かせた。




「起爆させるぞ!エイゼルも早く走れ!」


 仲間の声に促され橋を渡る。全員が渡りきった時、仲間が直径50センチほどの火の玉を中央に設置していた爆弾に目掛けて放ち直撃させた。

 橋は連鎖的に爆発していく。橋はその衝撃に耐えられず、順に瓦礫と化して落ちていく。橋は通行不可能となった。


「くっ…、最初の場所まで戻るぞ」


 夜の街を駆け抜けて、ゲートを開いた地点まで走っていく。




 そして、たどり着いた先で空を飛ぶ仲間が異変に気づく。



「――なっ、なんだと?!」


 その声は震えていた。動揺しながらもすぐさま銃を構えて引き金を引いた。


「どうした!!」


「…もう手遅れだった。でも今、最後の一人を撃ち殺し…、た……」


 手遅れ、そう聞いて頭が痛くなる。

 だがこれは戦争なのだ。今は悔やんでいる場合ではないと頭では分かっていても納得はできなかった。


 氷の城の下で、仲間が見た光景を駆け付けた全員が目にする。


 そこには死屍累々が広がる。異能スキルの加護を失った氷の城は少しずつ溶け始めていた。溶け出した水滴は地面に流れ出た仲間の血と混ざる。



 ここに待機していた仲間全てが血に浅く漬かっていた。それだけで涙が溢れそうになった。



 誰か生きていないのか、そう思って必死に一人一人を確認していく。



 すると、その中で一つの死体が動いた。



 まだ生きて――、











 ――剣を握った黒い髪の男が、ゆっくりと立ち上がる。街頭の薄暗い明かりの中で確かに見えてしまった。



 その男の首筋の怪我が治っていく事を。











「――嗚呼、違う。おかしい。人を殺しても、哀しくならないなんて…。俺はこんな人間じゃない筈…。…筈?…いや、元から…?違う、そんなわけない……!もう何もかもがおかしい。こいつらにも、あんなやつらにも、慈悲の心なんて要らないはずなのに。それが普通だったのに、なんで気付けなかった。……あれ?矛盾している…?――俺は本当にこんな酷い人間なのか?どんな人間だった…?自分が、自分じゃない気がする…。普通が、分からなくなった…」











 不気味の象徴であり、概念そのもの。


 唯一人、そこにいた。






「でもこんなこともどうでもいい…!!死にたい!!もう何も悩みたくない!!楽になりたい!!どうしてこんなにも、苦しまなければならないんだ……!早く、解放されたい…、生という呪縛から…!」






 地面に横たわる死体全てが血を流している中、無傷となったが立ち上がり、振り向いた。



 ただそれだけで、エイゼルの全身が震え出す。の言葉が分かってしまった。その名前の分からない恐怖が意志疎通を図ることへの拒否反応故だった。



「ふざけるな…」


「……なあ、今度は殺してくれよ」



 そして、歪む。



「ふざけるな…」


「でも、俺を殺せないなら――」



 ――口元。






「邪魔だ」


「ふざけるなああああああああああッ!!!!!!」






 人の身体を遥かに越える大きさの霧が、覆い尽くすようにオトノに直撃した。以前とは違い、腹部だけでなく全身を貫く一撃だ。


 吹き飛ばされて、地面に倒れても、それはまた立ち上がる。抉るような重い一撃は煙となって消える。






 ――一人の女性を思い浮かべて呟く。


「痛い…。でも、アリアを、幸せにしないと……」


 正体不明の使命感が、オトノを動かす。

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