第8話 面倒事

 午前三時。太陽が登り空が明るくなる前のまだ暗い時間、オトノは自分に用意された一人部屋で机に向かっていた。机の電気スタンドを付けて資料室から持ってきた分厚い本や資料を寝ずに読み漁っていた。


 読んでいた資料は長年続く戦争の概要だった。


 14年前にアリアの故郷でもある東の村に突如として襲撃。事実関係を確認している最中にも西の工業都市が襲撃、これが13年前。飛んで二年前にメルディルに最も近い南にある村が襲撃。

 いずれも襲撃した地域を制圧するわけでもなかった。ただその場所で暴れただけとも言える。


 西の工業都市が襲撃された後、ストラも同盟国と共に報復としてメルディルに攻め込むが、返り討ちに遭う。メルディルの軍事力と兵士の異能スキルの練度が高かったのだ。

 異能スキルは鉛玉さえいとも簡単に防ぐことが可能なため、どれだけ強力な武器を用いようが最終的には異能スキル同士の戦いとなってしまう。故に、異能スキルの強さが勝敗を分けるのだ。


 強力な軍事力を持っているにもにもかかわらず、たったの三回しか攻めてこない。国を滅ぼす乃至は侵略するつもりであるならばとうの昔に戦争は終結しているはずだ。例えそれがストラが敗戦していたとしても。



(言っていた通り、目的が全く読めない。訳が分からん…)


 持っていた資料を雑に手放し椅子の背もたれに寄り掛かる。溜め息を吐いて背伸びをし壁掛け時計に目を移した。もうすぐ夜明けの時間が近付いているのを確認した。


「…寝るか」


 徹夜するなときつく言われた事を思い出し、机の上の本と資料を軽く整理整頓した後、倒れるようにベッドに横になりそのまま眠りに就いた。



 オトノは睡眠時間を削って夜中に何冊もの本を読むという生活を続けていた。






「オトノ、今日は休みだし何処かに出掛けてみない?」


 朝の食堂でアリアがオトノに尋ねる。アリアの隣には弟のアルバも一緒に座っていた。


「別に、行きたいところも無いが」


「えー、…なら今日も私と戦う?」


「休めよ…」


「冗談よ。…でもオトノ、あなたは少し頑張り過ぎだと思うわ。いくら平気だとはいえ無理しすぎ。ほら、アルバも何か言ってあげて」


「えっ?あー…。オトノさん、たまには息抜きもいいんじゃないですか?」


 急に話を振られたアルバは若干気まずそうであった。オトノとはどう接していいのか分からなかった。


 二人が言うように、オトノは怪我の治療全般を一人でこなし、自分自身も訓練に参加している。オトノが魔力消費による疲れや身体に疲労が溜まらないことはアリアしか知らないので、働きすぎで大丈夫なのかと軍の中で少なからず噂されていた。


「分かったよ…、何処に行くかは任せる」


「やったわアルバ、あなたも準備しててね」


「えっ、俺も行くの…!?」


 二人だけで行くものだと思っていたアルバは驚いて聞き返す。


「なんで?行かないの?……行くよね?」


「あっ、じゃあ行こうかな…」


「決まりね」


 アリアが独特の圧を掛けて半ば脅すかのようにして一緒に連れていく事にした。


「…ふっ、かなり強引だな」



 そんな姉弟の仲睦まじいやりとりを見ていたオトノは少しだけ頬を緩ませて



 その姿はアリアにとっては表情に出さないものの衝撃的であった。


 オトノはそういう表情を滅多に見せない――というよりもアリアの知っている限りでは見たことがなかった。まだ十日にも満たない付き合いだが、オトノからはいつもどこか苦しそうな雰囲気を感じ、周りにはそう思わせないようにしてか顔は基本的に無表情のままだったのだ。


 そんな彼が優しい笑みを浮かべた。それがとても嬉しかった。


(彼は、まだ助けられる、救いの手を差し伸べられるはず…)


 アリアはそう強く思い込んだ。それが、光の見えない海底深くまで沈んだ彼に手を伸ばすような無謀な事であっても、必ずその手を掴んであげたいと思うほどに。



 机の下の手は強く握られていた。




 それから数時間後、アリアとアルバが門の前で待ち合わせをしていると、上から下まで白で統一された清潔感のある服でオトノはやってきた。


「全身真っ白ね」


「支給されてたのがこれくらいだったからな」


 普段は軍服を着用しているが、私服はほとんど無地の白や黒といったシンプルなものばかりしかなかった。


「でも似合ってると思いますよ」


「そう?」


 それでも黒髪とのコントラストが絶妙で似合っていた。姉弟が二人揃って頷いたの見てオトノはそうかと返事をした。


「だったらさ、最初は服を買いに行かないかしら?」


「まあ何処でもいいよ」


「あなたの服を買いに行くの。さ、付いて来て」


 アリアはオトノの腕を掴んで引っ張り、アルバは後ろから見守るような形で三人は街の方へ歩き出した。


 腕を引かれ急ぎ足になる。そこまで急ぐ必要はないとオトノは疑問に思いそう素直に伝える。


「ちょっ…、アリア速いって」


 すぐにアリアは、ああごめん、と一度振り返り謝罪の言葉を伝え歩く速度を緩めた。

 その時に見えた表情はとても申し訳なさそうな顔をしていた。大したことでもないのにとオトノは疑問に思った。


(――何で焦っているんだ…?)


 オトノはアリアから謎の焦燥感を感じた。ゆっくりと歩いている今でもずっと同じ力でオトノの腕を掴んでいた。


(…なんでこんなに、世話を焼いてくれるんだ……?)


 アリアは誰に対してもこうなのだろうか。仮にそうだとしても、無理をしている気がした。


 アリアがそうなっているのは恐らく自分のせいである気がして、触れているアリアの手を見てオトノは少し悲しげな表情を浮かべた。


 その表情を誰にも見せないまま足を動かした。






 暫く歩いてアリアは中に服が陳列されたガラス張りの店のドアをゆっくりと引いて中に入る。オトノとアルバもそれに続く。


「ここなら色んな種類の服が買えるから見てみるといいわ。私達も何か適当に探してるから」


「靴屋もすぐ近くの所にありますからそっちも後で寄りましょう。男物の服は右奥の方にありますよ」


 そう説明を受けてオトノはありがとうと言い、二人を置いてその場から離れた。



 アリアはオトノと声が届かなくなるくらいの距離まで離れた事を確認してアルバと話を始めた。


「さて…、この後はどこに行けばいいと思う?」


「んー、図書館とかはどうかな?」


 姉弟二人は次に連れていく場所を秘かに決めていた。


「図書館……。オトノって結構本を読んでいるって聞いたんだけどさ…」


「?へえ、そうなんだ」


 姉が気まずそうに話した。その理由が分からずアルバはそのまま相槌を打つ。アリアはその様子を見て重い口を開けた。


「夜はほとんど寝ないでずっと部屋で読んでるんだって…。毎日よ?」


「それ本当…?」


 ゆっくりと頷いた。


 これはジェイ隊長が何冊もの本を借りていくオトノ姿を二日連続で確認したことで発覚した。事情を聞くと一晩で全て読みきっていると答えたので、しっかりと休息を取ってくれと釘を刺された。

 だがしかしこれに対してオトノは、(治るから)別に問題ないの一点張りで無理を通そうとした。最終的には彼もオトノに呆れて徹夜をしないことを条件にした。


 その事を説明してもアルバは納得していなかった。オトノが疲れているようには全く見えなかったからだ。


「ねえ。アルバはオトノのこと、どう思ってる?」


「うーん……、なんだろう。強いて言うなら、怖い、かな」


「怖い…ね。……確かにそうなのかもね」


「何を考えているのか分からないしさ…」


 表情が読めないので、アリア以外の人はオトノに少なからず苦手意識を持っていた。オトノは怪我を治して貰った人が感謝の言葉を述べたとしても、素っ気ない態度でお大事にと言うだけだった。


「なんていうか―――、…いや、やっぱ何でもない」


「?」


 アルバは言葉に詰まった後、そのまま言葉を濁してしまった。何故だろうと思っていると、後ろから声を掛けられた。


「終わったよ」


「……えっ?ああ、オトノ」


 あっという間にオトノは買い物を済ませていた。手には服が入った紙袋をぶら下げていた。


「結構早いのね。気に入った物は見つかった?」


「まあ。…そっちは何も買わなくていいのか?」


「あーうん、私達は大丈夫よ。それじゃあ行こっか」


「そうですね」


 姉弟はオトノに背を向けて店を出て行った。


(……)


 オトノは気を使われてる感じがして申し訳なさを感じた。何も買わなかった二人を見て特に何も言わずに店を出た。






 その後、靴屋に寄った後はレストランで昼食を済ませた。


 満足のいく食事を取った三人は国で最も大きい図書館にやって来た。王城と比べれば格段に劣りはするものの、その建物は街のシンボルとも言えるほどに大きかった。

 ストラ王国の内外の本が集まるこの図書館には休日ということもあり、多くの利用者が訪れていた。


「オトノは何か読みたい本とかあったりする?」


「そうだな…。異能スキルについて書かれてる本ってある?」


「ええ、あるわ。書物庫に無い本もここならあるわ」


「分かった。探して読んでくる」


 アリアは頷き、いってらっしゃいと答え微笑みながら手を降り見送った。アルバもオトノとは別の方向へ歩みだしたその時、その肩をアリアが捕まえた。


「待ってアルバ」


「ん?何?」


「オトノが分からない事があったら教えてほしいの」


「えー何で……」


 アルバは断ろうと思うも真剣味な表情で見つめられたので、四の五の言わずに願いを聞くことにした。


「分かったよ」


「…ごめんね」


「ううん、気にしないで」


 そう言ってアルバはすぐ近くにあった棚から適当に本を選びオトノが向かった先へ歩いていった。


(ありがとうね、アルバ)


 オトノの力になってくれる事に感謝をしたアリアは心理学の本を探し始めた。






 職員に尋ねて場所を聞き何冊か本を見付けたオトノは椅子に座って読み始めた。


 表紙を捲り、気になる内容がないか流し見しながら読んでいく。すると、水の異能スキルについての記述があったのでじっくりと読み進めていく。



『この異能スキルは魔力を水へと変換し操る事が出来る。自身が直接水に触れる、もしくは魔力で操っている水と触れることで魔力で編み出した水でなくとも任意で操る事が可能となる。』


『発動者から半径約2メートル(この異能スキル)内の任意の場所に水を出現させることが可能。魔力領域から完全に離れるとその水は操る事が出来なくなるが予め軌道や威力を定めておく事で領域外でも効果を発揮する。魔力領域内の水と繋がっている状態であれば範囲外にある水も操る事が出来る。』



「魔力領域……?」


 資料室にある本はどのような特徴なのかだけというかなり省略されたものだったため、ここまで詳しく書かれているのを見るのは初めてだった。しかし、専門用語のような単語の意味が分からずいまいち内容が掴めていなかった。


 オトノは考えても理解できなかったので誰かに聞こうと本から目を離し周りを見ると、右隣の席を一つ開けた先にアルバが座っていた。本を読むことに集中していて全く気付かなかったが、むしろアルバが気を使ってくれたからだと察した。


 オトノは席を立ち綺麗な姿勢で本を読んでいるアルバに小さく声を掛ける。


「アルバ、少しいいか?」


「ん、どうしました?」


 アルバは嫌がる事もなく気さくな態度でオトノに顔を向ける。オトノは隣の席に着いて本を広げる。


「この本に書かれてる、魔力領域について聞いてもいいか?」


 その質問にアルバはえっと、と言い言葉を纏め上げていく。


「魔力領域というのは体外に放出するタイプの異能スキルが自由に操れる距離の上限とでも言えばいいんですかね」


「…うん?」


「実例を見せるのが分かりやすいですかね」


 そう言うとアルバの顔の横に淡い光が現れる。数秒後には謎の光る球体へと変貌した。オトノはまじまじとそれを見つめる。


「これは…、アルバの異能スキルか?」


「ええ、光の異能スキルです。魔力を多く使えば光を大きくしたり光線のようになり触れた部分を焼き切ることも出来ます」


 小さな光の玉が複数現れ、アルバの手首や腕の周りを動き続ける。


「例えばこの異能スキルの魔力領域は半径約3.5メートル。この光は発動者から3.5メートル内でならどこにでも出せますし、自由に動かすことが出来ます」


 アルバが顔を上げるとそれに釣られるかのように光の玉は一つに重なり、二人の頭上を通り越した。大体3メートル程の高さまで移動した所でアルバは上昇を止めた。


「これを更に遠くに動かそうとするとですね…」


 そう言ってアルバが光を再度上に動かすと、その光は速度を保ったままゆっくりと上昇するが、徐々にその光自体が弱まり数秒後には見えなくなってしまった。


「込められた魔力が無くなるまで異能スキルの効果を発揮します。要するに魔力領域というのは発動者からどの距離まで魔力が繋がるか、という認識でいいと思います」


 オトノは説明を受けてなんとなくではあるが把握することが出来た。


「つまり、魔力領域内にいる敵には上下左右何処からでも攻撃出来て、魔力領域外の敵には遠距離でないと攻撃出来ないってことか」


 まあそういうことですね、とアルバは答えた。するとアルバは何か思い付いたように、そういえばと話を切り出した。


「姉ちゃんから同じ異能スキル同士だと出来るって話は聞きました?」


「ちなみに何を?」


異能スキルです」


「…聞いてないな」


 そのような話は全く聞いたことが無かったので素直にそう答えた。アルバは話をしている時から薄々感づいていたので特に驚く事もなく苦笑いを浮かべていた。


「吸収ってことは……、ああそうか。そういうことか」


「同じ異能スキルであれば魔力領域に入った別の発動者からの異能スキルを消すことも出来ます。魔力は使いますけど」


 同じ異能スキル同士であれば、異能スキルを無力化出来るのだ。ちなみに吸収したからといっても、魔力が回復するわけではない。


「最近顔を覚えてきて、いつも誰かとは戦わない相手がいるとは思ったが、単純に意味がないのか」


 オトノがそう語るのは戦闘訓練のでの事だ。

 実際に自分で戦ったり観戦していたが、その異能スキルありの模擬戦で必ずペアにならない人達がいた。組分けは実力でいくつかのグループに分かれてるので実力差ではない。傍から見ても仲が悪いようには見えず何か特別な事情でもあるのかと思っていた。

 だがそれは異能スキルを用いる際には無駄であるという事をオトノは理解した。


「火と水の異能スキルを持っている人と火か水の異能スキルのどちらか一つしか持ってない人が戦ったとしたら…、ってことですね」


異能スキルを使うという名目上わざわざ同じのと戦わなくていいのか。なるほどね…、っていうかこれって常識か?」


「…まあそうですね。誰でも知っているんじゃないかと……」


 ふーんと喉を鳴らした。オトノは自分が常識外れであると知ったが、特にそれを気にした様子も無く興味がなさそうだった。


 ありがとな、と感謝を口にしてオトノは再び本を手に取りページを捲っていく。促されるようにアルバも本をパラパラとページを行ったり来たりしながら、読みかけのだったページを見つけて本を読み始めた。



 その後、アルバはそのまま何かをオトノに尋ねる事もなくずっと静かに本を読んでいた。


 姉のように何か自分の事を聞いてくるかと少しだけ構えていたが、その考えは杞憂に終わった。


(まあでも、それが普通か……)


 姉とは違うなと思いつつアルバを横目で見た。アルバが読んでいる本のタイトルは『青少年失踪事件』と書かれていた。






 図書館を出たあとは真っ直ぐ帰ることになった。既に日は傾き夕暮れに空は染まっていた。帰路について話しながら三人は通りを歩んでいく。


「あんまり出掛けたって感じじゃなかったかな?」


「そうかもしれないけど、俺にとっては有意義な時間だったよ」


「そっか。なら良かったわ」


 ふふっと微笑むアリアの姿は夕日に照らされて輝いていた。だがいつも見るような笑顔との違和感をオトノは感じた。


「アリア、疲れてないか?」


「ん?それほど疲れてないわ。オトノは平気?」


 アリアから逆に聞き返されオトノはその顔を数秒間見つめた。


 一日中ずっと、居心地が悪いような感覚があった。何故こんなにもアリアは自分を気にかけているのか。オトノにとってはそれが不思議でしかなかった。


「俺は大丈夫だよ…」


 そう言って目線を空へ向け夕日を眺めた。



 無理をしているんじゃないかと感じる。俺なんか放っておいてくれていいのに、どうしてそこまでして自分を心配しているんだ?



 先程まで綺麗だと感じていた景色は、その眩しさが思考を阻害するような煩わしさを覚えた。


「アリア」


 脳が疑問で圧迫され答えが知りたくなり、オトノは自然と言葉を口にしていた。


「どうしてそこまでする?」


「…へ?」


 一度間を置いて唾を飲み込み、再度口を開く。


「俺は大丈夫なんだ。俺に構わなくたっていい」


 目を見て、オトノもアリアを心配して説得するように伝える。


「俺に幸せなんて要らないから、アリアは無理しないでくれ。…アリアの言っていた幸せに、俺は――」



ドンッ。



 居なくていい。その言葉はオトノが曲がり角から走ってきた誰かと勢いよくぶつかった事で遮られた。



「…っ」


「うぐっ…すいません……」


 ぶつかった相手は20代後半くらいに見える若い男性で、尻餅を着き弱々しく息をしながら苦い顔をしていた。片手で脇腹の部分を押さえているのでどこか痛めている様子だった。


「…大丈夫か?」


「ええ…平気ですので、私は。それでは」


 早口で言葉を紡ぎ、誰の手を貸りることもなく一人で立ち上がり逃げるように去っていった。一連の流れから何か急いでいるようだった。


「……オトノ?」


「悪い、忘れてくれ」


 オトノは走り去る男性を姿が見えなくなるまで凝視していた。そして右手で額を押さえて唇を噛んでいた。

 意味ありげな顔をするオトノを二人はただ呆然と見ていた。


「面倒なことにならないでくれよ…」


 心の底からそう呟いた。











 息を荒げ汗を流しながら走っていく。茶髪の男性は家に向かって走っていた。


 ついさっき誰かにぶつかった時に傷口に鋭い痛みが走ったが、時間と共に和らいでいく感覚があった。今では気にもならないほどだ。


 今日は嫁の誕生日なので早く帰って祝わなければ、と逸る気持ちでいっぱいになりながら家のドアを開けて一呼吸した。


「おかえりなさい、あなた」


「ああ、ただいま!」


 両腕に包帯を巻いた女性が快く迎える。男性は朗らかな笑顔を見せ返事をし靴を脱ぎ家の中へ入る。


「随分急いで帰ってきたのね。そんなに慌てなくたっていいのに」


「今日は君の誕生日なんだ、痛みくらいへっちゃらさ」


「もう、そんなに無理して傷が広がったらどうするの?」


「時間が経てば治るさ」


 困った人ね、と呆れたように言い残し嫁は家の奥に行ってしまった。そんな適当な事を言っていた夫は自分の上着を捲る。お腹の周りにはぐるっと包帯が巻かれていた。


「あれ?」


 だが、いつもよりも綺麗だった。もっと血で滲んでいると男性は思っていた。



 包帯をゆっくりと外していく。



 いつもよりも丁寧に。



 そして自分の肌が見えたとき、男性は目玉が飛び出そうなほどに目を見開いた。




 傷がどこにもなかった。




「なっ……、えっ!?えっ!?」


「どうしたの?」


 夫のあわてふためく声を聞き小走りで戻ると、嫁も彼のお腹を見て驚きを隠せなかった。


「あなた…、怪我はどうしたの?」


「分からない…。何故か治っていたんだ。四日前に傷をつけたばかりなのに」


「いくらなんでも早すぎるわ。それに傷跡も残ってないなんて……」


 夫のお腹に触りながら嘘のような事態が現実であることを確かめる。


「さっきぶつかった時までは……。ッ!まさか!」


「…あなたそれってもしかして!」


「ああ!間違いない!」


 二人は嬉々とした表情で期待に胸を膨らませていく。気分は高揚し開いた口を手で隠しながら目をキラキラと子供のように輝かせた。


 そして、二人の言葉が重なった。






「「神の生まれ変わりだ(よ)!!!!!!」」






 マルメダ神を崇める宗教国家マルメダ。その教典にはこう書かれている。




『我らが神マルメダは傷付いた民に慈愛の心と癒しの力で何もかもを救った。我らはこの恩を生涯を掛けて忠誠を誓う。』











 一週間後、オトノは一人で図書館にやってきた。そして一人で本を読んでいたとき、


「すいません。少しよろしいでしょうか?」


 茶髪の男性から、声を掛けられた。


 オトノはその顔を見て本を閉じ、警戒心を強めた。




 オトノの嫌な予感は的中していた。

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