第7話 剣を手にした者達は
「――ということで、彼には医療に携わってもらうことになる。少し特殊ではあるが二か月後の入隊式よりも先に軍に所属することになった」
オトノに変わって前に立っているのは、強面で体格ががっちりとしている白髪混じりの栗毛の男性、ジェイ・ガレンである。厳格とも言える立ち振舞いの彼はストラ王国軍で隊長を務めている。
「彼の
説明を受けても未だ動揺している者や、治癒能力を目の当たりにして驚きと賞賛を口にする者など反応は様々だった。
そんな軍人達を、静まれとジェイは一声掛けて話を進める。
「とにかく、兵士諸君は今後、怪我を負ったら彼に治してもらうといい。だが大怪我をした際にはきっちり報告をして休息を取るようにしろ。そして
その言葉でこの集会は解散となった。
「あーあ、…寒気がする」
独り言を呟いた。先程のは印象付けの為の演技だったが反応はドン引きしていたように見えたので、少し悔やんでいた。少し前の自分を殴りたいと思うくらいに。
「オトノ、着いたわよ」
「ああ、ここか」
二人が訪れたのは屋外の訓練場で、剣などの近接武器を扱う兵士達の場だ。既に様々な武器同士で模擬戦を始めていた。
「で、俺は何をすればいい?」
「今日から毎回
「まあ、即死しない限りは大丈夫だと思うが…。というかアリアは
「お前、
「いやいや無理無理、絶対殺されるって」
その兵士達は二人を、というよりもアリアを見ていた。
アリアに視線を向けると、オトノを見て不思議そうな顔をしていたが、あっとアリアは何かに気付いて声を出した。
「そういえば言ってなかったかも。私この国で一番強いの。一番よ、一番」
自慢げな顔で堂々とアリアは答えた。
「…は?」
「国内では誰にも負けたこと無いわ。負けたのは昨日のエイゼルだけね」
昨日のエイゼルに負けたのはオトノとしても理解できた。しかしそれ以外には誰にも負けない、ましてや
「信じてない?」
「……まあ半分半分。でも俺が現れる前に
寧ろ左脚だけで済んでいたとも言うべきか、とエイゼルの
それっきり会話が途切れ、種々雑多の武器での戦いを静観するオトノに、アリアが意外な言葉をを掛ける。
「それじゃあ、私とやってみる?」
「……え?」
オトノは何の脈絡の無い提案に思わず反応が遅れる。アリアはにっこりと微笑む。
「待て待て、俺は戦ったことなんてないし、いきなりアリアと戦うなんて無理だろ」
「そう?意外にもセンスがあるかもしれないわよ」
「そんなわけ無いだろ。それに俺は役割としては衛生兵みたいなもんだろ?」
オトノはまた戦争が起きた際にも、その治癒能力を使ってもらうことを、昨夜軍のトップとの間で契約が交わされた。軍としては医療費の削減や怪我の治療などメリットがとても大きかったのと、安全を保証することを条件にオトノの軍隊への加入が合意された。
「オトノは戦う必要はないんだけど…ね、あなたが狙われる可能性があるの」
「俺が…?」
「あなたのその
触れるだけで瞬時に効果を発揮する。その原因となる
そう伝えるとオトノは自分の両手を不安げに眺めた。
「オトノが他人を治すところをメルディルは直接見てないけど、確実に警戒はしてるんじゃないかしら」
「戦争になったら、確実に知られるだろうな…。だから狙われると」
アリアは首を縦に降った。
つまり、オトノは治癒能力以外に
「でも俺は死なない。俺が殺せないと分かったら、…拘束か?何にせよ、俺には為す術が無いな」
「そういうことに特化した
「…なるほどな」
自分の
「アリアと戦う必要はないと思うんだが……」
オトノとアリアは10メートルほど離れて正面に向き合っている。その様子を兵士達は遠くから野次馬のように見守っていた。
「あの人アリアさんと戦って大丈夫なのか?」
「さすがに手加減はするだろう」
そんな不吉な会話は聞き流し持っている剣を軽く何度か素振りする。
「剣って結構重いな…」
「オトノー、準備は出来たー?」
アリアが手を振りながら確認してきたので、オトノも声を大きくして返事をする。
「じゃあ始めるよー」
戦う前には少し気の抜けたような声だな、とオトノは考えていた。
しかし笑顔から一転してアリアの表情が引き締まり、姿勢を低くし剣を強く握りしめた。その切り替えの早さに先程までの自分の考えが打ち崩されたように感じた。
それが合図とでも言わんばかりにアリアはオトノへ接近を仕掛ける。
オトノはその速さに驚きを隠せなかった。
(なっ……!?)
まるで地面すれすれを飛んでいるかのようだった。一歩地面を蹴る度に加速しあっという間にその距離は縮まる。
落ち着いて対処しようとオトノも剣を握る手に力を入れ、アリアの剣に注意を向ける。
「はあっ!」
アリアは左から右に剣を振るった。余りにも速すぎる剣筋だがオトノはそれをなんとか目で追えた。焦りつつも剣を縦に構えて受けようとする。そして剣と剣がぶつかると、オトノの剣が激しく横に弾かれ、胴体の部分ががら空きとなった。
アリアはそこに容赦なく蹴りを入れる。自身の速度の乗った蹴りはオトノの胸を強く打ち、蹴りの衝撃でオトノは数メートル後ろへ突き飛ばされた。
「ぐほっ…!?」
肋骨が何本か折れるほど強力な蹴りを食らい、地面に背中から落ち口から血を吐き出した。勢いはそれで止まらずそのまま後ろに一回転し、頭を強く地面に打ちそこでやっと停止した。
だが攻撃は終わらない。
いつの間にか目の前にいるアリアの剣が近付く。止めの一撃がオトノの首元目掛けて鋭い剣先が伸びていく。
太陽に照らされて光のように輝くアリアの銀色の剣は真っ直ぐと首へ進んでいき――、
数ミリ手前で止まった。
アリアの剣が止まるまでの時間は一瞬だったがオトノにとっては時間が引き伸ばされたような濃密さを感じた。
実際には起こっていないが剣が喉を貫いたような感覚になり、ちゃんと呼吸出来ているのか分からなくなっていた。
「……」
「えっと……大丈夫?オトノ」
アリアは呼吸が乱れることもなくそう言って剣をオトノから離す。剣を片手に持ち換え左手をオトノへ差し出した。
困惑した表情のオトノは喉に触れて手に血が付着してないことを確認して、剣が寸止めされたことを数秒かけて理解した。
「はっ、ははは…。駄目だ……」
「オトノ?」
オトノはその差し出された手を取らなかった。地面に手を突きながら自力で立ち上がる。当然のように無傷の状態で。
「こんなんじゃ…駄目なんだな…」
口の中の血を吐き出して口元を拭い、苦しそうな声で言った。そして、不恰好ながらも剣を構えた。
「…本気なの?」
アリアはまだ続けるという意思を示すオトノに驚く。これ以上続けても一方的な試合になることは誰が見ても明らかだった。
「自分で言っておいて忘れたか?
「そうだけど…、いくらでも治るからといっても、痛みはしっかりと感じるのでしょ…?」
「そんなのどうだっていい。…それに」
漆黒の瞳と青藍色の瞳がお互いに見つめ合う。
「――幸せになるんだろ?」
幸せになる。オトノが言うその言葉には重みがあった。
昨夜のあの光景がアリアの脳裏に甦る。自分は幸せになれないと言っていた彼は私のために、私達のために頑張るつもりなのだということが伝わった。
「うん…」
アリアはオトノから覚悟を感じた。
「そう…。なら、私も本気でいくわ」
アリアとしては最初はどれだけ対処出来るかを確かめようとしていたので、剣で防御出来ただけでも十分だった。
でも、オトノの言葉を聞いて、そういう訳にもいかなくなった。
何が彼を突き動かすのかは分からないけれど、自分の幸せを願う彼の覚悟に応えてあげなくては、と。
そして再び剣を構えて、オトノに斬りかかった。
―――アリアの上段からの攻撃を、オトノは右手で柄を握り左手で刀身を押さえて強烈な一撃を受けると、キンと金属特有の甲高い音が響いた。
受けた剣からの衝撃が足まで伝わり、地面を擦りながらオトノを後ろに下がらせていた。剣を斜めにずらして剣を下に滑らせようとすると、アリアは剣を引き戻し素早くオトノの右肘を狙い全身を伸ばして突きを放つ。
オトノは右手に剣を持っていたため咄嗟に防御することが出来なかった。それでも少しでも足掻こうと脇を締めるが、切り裂かれた腕の外側から大量の血が流れる。
それを気にすることもなく今度はアリアに接近し自分から攻撃を仕掛ける。
左手でアリアの腕を掴もうとするが、アリアはその左手に対して下から掬い上げるように剣を動かし切断する。オトノの左手は手首から綺麗に切り落とされた。
オトノは左手が無くなり痛みで顔を歪ませるが、勢いのままに右手の剣を降り下ろした。だがそれもアリアは剣を合わせてそのまま剣を押し返し、オトノのバランスを崩した。
後ろによろめいたオトノはそのまま倒れるのではなく背中で器用に後転し体勢を建て直そうとする。そこにもアリアの追撃はやってくる。
膝立ちの姿勢のまま、アリアの降り下ろしを剣ではなく左腕を使って
ここでアリアに初めて隙が生まれる。コンマ数秒にも満たないそのタイミングに、オトノは立ち上がりながら剣をアリアの身体へ伸ばしていく。
全身全霊の鋭い一撃だ。
しかし、その渾身の一突きはアリアの左肘と左膝で挟まれることで動きを止めた。そしてアリアの左手はオトノの止まった右腕を捕らえ、そのまま背負い投げの要領で地面に叩きつけられた。
オトノは叩きつけられた時に剣を離してしまった。完全に無防備の状態となる。
力強く握られたアリアの剣が近付く。その剣は心臓に植え付けるかのように縦に突き刺さる。
アリアの剣先はオトノの心臓に迫り、深々と沈み込んだ。オトノは声にならない声を上げた。
大量の血が泉のように涌き出ていた。
それを見てアリアは慎重に剣を引き抜き、慌てて倒れているオトノの首の後ろに手を回した。
「はあ…はあ…。大…丈夫…?」
「ーーーーっ!うぐっ……!はっ……!あ…、あぁ……」
アリアは肩で息をしている。長時間に渡るオトノとの対戦で体力をかなり使っていた。自身は全く怪我をしていないにも関わらず、返り血で顔や髪に全身の防具のあらゆる所が真っ赤に染まっていた。
一方オトノは痛みに悶えながら胸の傷をすぐに癒していく。痛みは瞬時に和らいでいった。
傷の塞がったオトノは特に息を荒げることもなく、アリアの手を取り立ち上がった。落ちた左手を拾い上げ断面に雑にくっ付けると、すぐに傷口は塞がり左手が自由に動くのを開いたり閉じたりして確認した。
「はあ…はあ…。お疲れ…、オトノ」
「ああ、お疲れさま。…すまない、かなり俺の血で汚れてる」
「そんなの…、洗えばいいだけよ…。ふう…」
アリアは喋りながらもすぐに呼吸が整った。
「中々悪くなかったわよオトノ。最初から思ってたけど動体視力が良いのね。剣を目で追えてるし、きっとすぐに人並み程度には上達出来ると思うわ」
「そうか…、アリアから褒められると自信が付きそうだな。まあ俺も色々と分かったことがあってな」
オトノの言葉にアリアはきょとんと不思議そうな顔をする。それを見てオトノは喋り出した。
「
人差し指を立て、昨日のアリア左脚を治したのは前者で、先程自分の左手を繋げたのが後者であると説明をする。アリアと戦った場所に大量の血で残っているが、それでもオトノに貧血の症状などは無かった。
新しく部位を再生する事によっていくらでも身体の部位や血を増やすことも可能で、離れた部位を繋げる、つまりは再利用する事で血の跡さえ残さずに治す事も出来るということだ。
「あとそれを意識して回復を遅らせることが出来て、ある程度
「なるほど、だから途中から傷が治っていないように見えたのね」
オトノは頷いた。そして今度は人差し指に続いて中指を立てる。
「二つ目だが、身体的には疲れない。というかこれも治せるんだろうな。もっと言うと、不眠不休で何も食べずにいても死なない。多分息をしなくても大丈夫」
昨日、疲れたと感じていたのはあくまでも精神的な話であり、身体的にはどこも疲れてはなかった。
少し考えればこの事はすぐに分かった筈であったがオトノは自殺していた時の時間の感覚を覚えていないので気付かずにいた。恐らく疲れも
「アリアもすぐに疲れが取れてるのは俺に触れたからだろうな」
「本当だ…!全く疲れが残ってないわ」
アリア肩や手首を動かして身体の状態を確かめた。
「オトノの
「…それなんだけどさ、
当然の疑問であった。未だに限界が感じられずに不快感が増していく。
「膨大な量の魔力を持っている…?それか魔力の回復が早い…?」
「うーん……。いくら治そうが魔力なんてものを感じられないんだが。本当にあるのかさえ疑う」
「私も持ってないから、その気持ちがよく分かるわ」
オトノの
どうしてこんなにも恐ろしい
「…少しやり過ぎたわね」
いつのまにか一時間以上過ぎていた。休憩なしで戦い続けて精神的に疲労が溜まっていた。オトノも気持ち的には十分疲れている。
「オトノはこの後どうするの?」
「そうだな…。とりあえず一度医務室に寄って怪我人がいたら治してから他の所に行ってみる。」
「そっか。私は血を洗い流してくるね」
そう言うとオトノは少し気まずそうな顔をする。気にしないでとアリアは再び口にした。
「分かった。もし何かあったら言えよ」
「オトノもね」
そう言ってアリアは微笑んだ。
「あー楽しかった。あなたみたいな戦い方をする人は今までにいなかったから新鮮だったわ」
「悉く返り討ちにされるわ攻撃は一度も当たらないわで、こっちはそんなこと考えてる余裕無かったけど」
「また明日もやりましょう?」
「えぇ……。まあいいけどさ」
笑顔と対照的にオトノは少し嫌そうな困ったような表情をした。
そして二人は別々の方向を目指し立ち去った。
その様子を見守っていた周りの兵士達は、自分もこれからあれだけの練習になると薄々感付いて、恐怖に染まった顔をしていた。
オトノは医務室に向かうとき窓ガラスに映る自分の姿を見て足を止めた。
その姿を見てふと我に帰るような感覚が巡った。
どうしてこんなことをしてるんだ?
どうしてまだ俺は
心が壊れてもおかしくない状況で何かの使命感に突き動かされている事に違和感を持ち、何度か自問自答を繰り返した。
その自問自答も自分の顔を見ると無意味であるように思えて、再度歩き始めた。
アリアのように笑うことが出来なくなった顔を見て、自分の全てが馬鹿馬鹿しく感じた。
アリアは軍服や装備の手入れを任せた後、血塗れになった身体を洗い流そうと浴場に入った。
シャワーのお湯をひねり先に洗い流した手でお湯を少しずつ触りながら温度を確認する。調度よい温度になり身体に付いた血流そうとしたその時、思わず手を引いた。
アリアは自分に付いたオトノの血に目が奪われ、洗うのを止めてしまった。純粋に興味を持ったからだ。
彼の、血。
血の味が気になったアリアはお湯を流しっぱなしにしたまま、自分の左手首を口に持っていく。
手首に付いたオトノの血を舐めて、そんな感想をアリアは抱いた。
そして、どこか懐かしさのような不思議な感覚が生まれた。安心と不安が混ざったような、アリアがオトノから感じているのと同じようなものを感じていた。
少しの間、何かに取り憑かれるかのように味わい続けていた。
不味くない血は、自分以外にはオトノが初めてだった。
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