第6話 発動条件

「――異能スキルの、存在理由……?」


「ええ。私が持ってないからというのもあるけど、人間にこんな力は必要ないんじゃないか、って」


 アリアは例えばね、と口にする。


「人を無差別に襲ってくる怪物などがいたとしたら、それを倒すための力だと思えば納得はいく。でも、この世界にそんな怪物はいなくてね。何のために異能スキルがあるのかって考えると、不思議じゃないかしら?」


 日は変わって二人は朝食を取りに施設内の食堂に来ていた。食堂には大人から青年など様々な年齢層の人達で賑わっていた。

 そんな中でオトノとアリアは正面に座り話をしながら食事を口に運んでいた。


「よく分からないな…。異能スキルはどれほど昔からあったんだ?」


「少なくとも千年以上前からあったって話。それ以上昔の資料や記録はまだ見つかってないみたい」


 ふーん、とあまり納得はしてないもののそういう雰囲気を装って相槌を打った。


「人は異能スキルを持っているのが普通なのか?…少なくとも俺はそうは思わないんだが」


「オトノは、不自然だと思う?」


 オトノはああ、と肯定を返してコップに入った水を飲み干し空にした。


「…こんな力を元から持っていたとは思えない。もしかすると、神から授かったのかも、なんて」


 あくまでも冗談であると伝える。するとアリアは首を少し傾け右手の人差し指を頬に当てて考えるような素振りを見せた。


異能スキルは四歳から十歳になる頃にはし終えるけど、あなたはそれが遅かったケースかもしれないわね」


「へえ…、そんなことあるのか」


「ふふっ、嘘よ。実はないの」


 神妙な面持ちをしていたアリアは冗談めかしてオトノをからかった。嫌な気分にはなっていないが少し馬鹿にされたようでモヤモヤとした感じになり、オトノは溜め息を吐いた。



 異能スキルは産まれた時から使えるわけではなく、ある日何かの異能スキルが使えるようになる。例えば水の異能スキルが使えるようになったとき、水の異能スキルが発現した、という表現をする。

 発現とは、新しい異能スキルを会得することを示している。異能スキルが発現したとき、本人の意識によってどの異能スキルが発現したか感覚的に分かるようなっている。

 アリアにはその経験が無かったため、結果として異能スキルを持たない唯一の人間となった。



「…ともかく、俺もいつ異能スキルが発現したかなんてからそう言っただけだよ」


 オトノは一口サイズに切られた魚と葉物野菜が一緒に煮込まれたスープをスプーンで口に運ぶ。アリアはじっとその様子を眺めていた。


「――オトノって、記憶が曖昧な所が多いけど、記憶喪失とは違うの?…言いたくないなら、無理して聞こうとはしないけれど」


 不意にそんな話をアリアは切り出した。先程までの態度とは一変して真面目な表情で問い質している。眉の辺りには皺が出来ていた。

 アリアは昨日の会話でそういった点を多く感じたので、疑問を素直に口にした。


「いや、いや……」


 どちらも質問に対しての否定だが、その根拠となる事実を記憶の引き出しから探し出していく。


「記憶喪失、というよりも忘れただけ…、それか知らない事だと認識してる」


「忘れただけ?…記憶喪失とは何が違うの?」


「無くし方、か?脳への強い衝撃や傷害とかで記憶を失ったのであれば治せると思うが、脳が生きていく上での情報の取捨選択という形で忘れていくのであれば、それはとは違う」


「本当に、治せるものなの…?記憶までも」


 確かに記憶は忘れていくものであるが、オトノは何度も投身自殺をしたという事実だけを聞いているアリアとしては、それが原因で脳に影響が出ており、記憶に関してはオトノの治癒能力では完全に治らないのではと考えた。


 上手く伝わっていないのでそれを説明するとオトノはそれに対して、


「目の前であなたの弟君に頭撃たれてるんですよ…?」


 と、皮肉を込めたような言い方で自分のこめかみの部分を指でつつきながら別の例を挙げた。



 前日のあの出来事。オトノがアリアの怪我を治した後にオトノは壊れた扉の前で隙を伺っていた何名かの軍人の内、その一人であるアリアの弟、セルシア・アルバによって脳を撃ち抜かれた。

 アルバは脚を失った姉の姿を見てとても気が動転しており、目の前のを仕留めようとするのに必死で何が起きているか確認しないまま、銃の引き金を引いた。


 要するに早とちりである。


 エイゼル程ではないにしろ、十分に即死レベルの大怪我であるが、オトノは気を失う前の出来事を鮮明に覚えていた。なので、怪我によって記憶が無くなることはない――正確に言うと怪我で脳がダメージを受けても異能スキルで記憶も治せるという事を示していた。



「あー…、そっか。なんか…弟がごめんね…」


「別にいいけどな。きちんと殺してくれるなら、遠慮せずにいくらでもどうぞ」


 怪我を負わされた事に腹を立てるでも嫌がるでもなく、寧ろ歓迎すらしていると言い切ったことに、さすがにアリアも引いてしまう。


「う、うわあ……」


「いやまあ冗談…」


 そう言ってオトノはアリアから目を反らした。


 

 気まずい空気が流れる。自分のように冗談を言おうとしたのか彼の本心なのかがアリアには分からなかった。彼がとても嘘をつくような人には思えず、話し掛けようとオトノを見た瞬間、アリアは衝撃を受ける。


 オトノの隠しきれない思いが悲痛な面持ちとなって一瞬だけ、ほんの一瞬現れていた。どこも見てないような目でどこかを見ていたそのオトノの姿に、いわく言い難い哀しさを感じた。

 身内に心配を掛けないように気丈に振る舞っているような、心が押し潰されそうな人が死ぬ前に見せる特有の危険な状態というものがどういうものか、無意識に出すSOSのサインをオトノから感じた。


 そして、昨夜の自分の言動を後悔した。


(幸せになれるとか幸せを目指そうなんて私の勝手な思いなのは分かってる。オトノもそれを分かっているけど……)


 ――そんなことは望んでいない、と考えるのが怖くなった。何も理解していないまま的外れな言葉で元気付けた気になっていた自分をどんな感情で見ていたかを考え出すと、自分が酷く愚かに思えてくる。


「オトノは……、ごめん、何でもないわ」


「?ああ…、別に大丈夫……」


 答えを聞いても真実はどこかに隠してしまうと思ってアリアは聞くことをやめた。



「記憶、というか精神にこの異能スキルが作用しないのには何か理由があるのか?」


「……え?どういうこと?」


 オトノの独り言ではなく、質問をしていたと気付きアリアは思わず聞き返す。


「心もなら、俺は今も死にたいなんて思ってないだろ?」


 ああ、とアリアは納得しそうになるが、その言葉のを理解してすぐにいや、と否定する。


「それは…、あなた自身を否定しているに等しいわ……」


「……そうかもな。でも、治せていたなら、俺はだったのかもな……」


「……」


 オトノの無関心な返事から、自分を大切に思っていない事が感じられる。オトノは殉教者などではなく理由があって死にたいと言っていた。それが脳の異常と考えたオトノをアリアは批難した。

 何か気の聞いた言葉が言えたら、と考えても何も言葉が出てこなかった。


 食堂の食欲をそそる料理の匂いが漂う広い空間の中で、二人の間だけが無味無臭の暗い空気で閉じ込められているようにさえ思えた。


「どんな怪我を負っても死なない。触れればどんな怪我も治せる。壊れたさえも直せる。魔力を消費するにも関わらずいくらでも使える。馬鹿げてるなこの異能スキル。分からない事が多くて嫌になる」


 そのままオトノは、魔力もそうだよなと続ける。


異能スキルを使うのに必要。人に宿る。他の生物にはない。物質にも魔力はない。それなのに――」


 飲み干したガラスのコップを手に取り、それをテーブルから床の上へ腕を動かしそこで手を離す。当然落ちたコップはガシャンと音を立てていくつかの破片となって割れた。

 その音を聞いて周囲の人達の視線が二人に集まる。殆どの人がすぐに目を離すが、何人かはアリアといる謎の男との関係が気になりじっと見続けていた。


 割れた破片を一つ一つ拾い上げてテーブルの上にまとめ、覆い被せるように右手をその上に置く。そしてその手を持ち上げた時、そこにあったのはガラスの破片ではなかった。


 罅や欠けたところがどこにも無い新品同様の輝きを放つガラスのコップがそこにあった。


「魔力を使った異能スキルで、魔力が無いモノを直せるっていうのが、いまいち理解できない」



 魔力は物質に宿らない。故にこの世界でも科学は発展し、人々はより豊かになっていった。特定の異能スキルを持たない人が不便にならないように、生じる格差を減らしていくよう科学者たちの努力が積み重なった結果、高度な文明を築くことを可能とした。


 物理法則を無視した物質は存在しなかった。


 なので、壊れたモノを元通りに直せる事に納得がいかなかった。これは明らかに物理法則がどうという次元の話ではなかった。



 自分の異能スキルについて色々な考察をしていたその時、誰かがオトノに話し掛けてきた。


「…あの、オトノさん。ジェイ隊長が呼んでます」


 振り向くとそこには短い金髪が似合う背の高い爽やかな雰囲気の美男子がいた。だがその顔は少し困りきった様な、どこか居心地の悪そうな表情をしていた。


「おはよう、アルバ」


「おはよう姉ちゃん。えっとその…」


「…アリアの弟?」


 オトノはまじまじとアルバの顔を見る。そして少し口角を上げ人がよさそうな表情を張り付けて、椅子から立ち上がる。


「昨日の射撃はなかなか上手だったよ。よろしくなアルバ」


「本当に…、すいません、でした……」


「…あんまり私の弟をいじめないでね、オトノ」


「多少の痛みは覚えてるからな。少しくらいはいいかなって」


 そう言ってトレーを持ち上げて椅子の背の部分を膝でゆっくり押して椅子をしまう。そして食器の返却口の方へ歩き出す前に、

 

「別に気にしてないから、お前も気に病む必要はないよ」


 と、アルバに向けてそう口にして去っていった。それを見ていたアリアも席を立ち、私も行くわと弟に告げてオトノの後を追いかけた。



「アルバー、今アリアさんと一緒にいた人って誰?」


 その場に残ったアルバに向けて、離れた席で様子を眺めていた人物から質問が飛ぶ。アルバはその人物に向けて重い口を開けて答えた。


「不死身…、なんだと思います……」


 敵に回してはいけないと、よく分からない恐怖を感じ萎縮していた。







 その数時間後、王都に駐屯する軍人の殆どが集まった室内訓練場で、オトノは壇上に上がる。好奇の目に晒され、十分に自分に注目してると分かったオトノは手に隠し持ったナイフで勢いよく首を切り裂く。

 首から血が流れていき、その光景を見て悲鳴を上げる者や動揺する者がいる。

 だが、オトノを見ていた者達は異常に気付いてから更に困惑が大きくなる。


「傷が治ってる……!?」


 誰かが、何名もが、そう呟いた。


 その言葉を聞いて再度注目が集まる。


「治癒能力の異能スキル所持者、オトノと申します。皆さんの怪我を全て治せます。これからよろしくお願いします」


 無機質めいた声でにこやかな笑顔を見せるがその表情はかえって、オトノという人物の異常さを際立たせていた。



 アリアは、その笑顔が紛い物であると分かっていた。


 オトノの目はどこも見ていなかったから。



 昨日の夜の彼の優しさを改めて感じたアリアは、自然と顔が俯いていた。


 それでも、オトノも幸せになるためには私がどうにかしなくては、という思いが強く芽生える。


(私達…、皆一緒に、幸せになろう?)


 心の中で、昨日のような言葉をオトノに向けながら顔を上げて見つめ続けた。


 前に立っていたオトノと目が合った気がした。

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