三九 ベレデネア村にて村長の好意に預かる
村長は急な申し出でありながら、大量の食事を6人に振る舞ってくれた。こういったところは、さすが村長とフェルファトアも頷かざるを得なかった。
「まあ、飲みなさい」
女から酒を渡された村長は、自ら蓋を開け、まずフェルファトアから順番にグラスへと注いだ。
「これはご丁寧に、どうも……」
村長のグラスにはフェルファトアが注いだ。そして、彼女が率先してグラスを手にすると、宴の参加者は皆、次々とグラスを手にした。
「それでは、えーと……民族の明日のために!」
「民族の明日のために!」
6人は、毎日のように繰り返していた言葉でグラスを突き合わせ、飲み干した。
「あー、酒も久しぶりだわ」
「私達、東遷部隊の方よりも幸せですね」
「どうしたの?」
「だって、軍幹部の方と飲んでるんですから」
兵士の一人が目を輝かせて語った。
「あらあら、貴女、もうすっかりミュレス国の一員ね」
「そりゃそうですよ。やっぱり、天政府人にヒイヒイ言われるよりも同じ民族で助け合う国の方が安心するじゃないですか。私は、そういう総司令官の理想についていこうと思ったんです」
別の兵士、フェブラ・ダスタンナリアの考えを聞いて、フェルファトアはニヤッと笑った。
「ふふっ、いいわ。そうでなくちゃ、果たせないもの」
すると、他の兵士も口を開いた。
「私も、天政府人の下で働いてた時は、理不尽な仕打ちで身体も心も参っちゃってたし、周りの仲間も同じように疲れ切っちゃってたので……私達は総司令官達に助けて頂きましたし、それにまた天政府人の下に帰らないように、徹底抗戦しないといけないじゃないですか」
「そうね。私達ミュレス民族が一人でも多く、天政府人の圧力から逃れられるように、頑張らないといけないわね」
フェルファトアも次第に上機嫌になりながら、兵士一人ひとりの思いを再確認した。
「でも、やはりそのためには、一日も早く地上統括府から権限を奪わなければいけないですよね」
「うん……?」
ほろ酔い気分に酔いしれながらも、フェブラの一言が少し気にかかった。
「だって、このまま天政府人……地上統括府が何もせずに黙ってみてるだけとは到底思えないじゃないですか」
「うーん、確かに、そうね」
「多分、地上統括府がやるとしたら、ミュレス人への圧迫をさらに強めると思うんです。私達のために、他の町の仲間が苦しい思いをすることになると思うんです。天政府領ミュレシアってものすごく広いので、仕方ないところもあると思うんですけど、それでも、その期間が一日でも短くなるように頑張らないといけないですよね……」
フェブラは、自信の不安を一気に吐露した。その他の兵士達もフェブラの話に同意したようだった。
「うん、貴女達の焦る気持ちはよく分かってるわ。かくいう私も、同じことを考えて、ヴェルデネリアに急ごうと言ってたのよ。でも、必要以上に焦るのは禁物よ。いざという時に戦うための体力を維持しておくのも、必要だと思うのよ」
兵士達も、一様に腕を組んで、自分の中でどうにか思考を整理しているようだった。
「難しいですよね……」
村長は、ミュレス国軍の会議を肴に酒を飲み続けていた。会議が一段落したところで、ようやく会話に参加し始めた。
「いや、皆、民族全体の事を考えて毎日暮らしてるんだね。ティナも尊敬されてるみたいだし。ティナを送り出した甲斐があるよ」
そういうと、村長はまたグラスを傾けた。
「ええ、村長もありがとうございます」
「え?」
「村長も、周辺の村々に兵の拠出をお願いしたそうじゃないですか」
「まあね」
村長はグラスを机に置くと、フェルファトアの方を向き直した。
「ティナは新年祭の時に帰ってきて、皆に天政府人への反乱に協力して欲しいと言って回ったんだ。うちの村も、徐々に天政府人の監視やらなんやらがきつくなっていって、何か手を打たないととは思っていたんだが……100人にも満たないこの村では、下流のシュビスタシアに比べれば最大限協力してあげようにも、無理がある。だから、私は新年祭が終わった後、同じ黒猫族の村を回って出兵をお願いしたんだよ」
「ありがとうございます。他の村の方々は、すんなり受け入れてくれたんですか?」
「うーん、下流の村は、ベレデネアと同じように天政府人の影響から逃れたいと思っている人も多いみたいだから、なんとか受け入れてくれるんだが、上流の村はなかなか協力してくれないね」
「そうなんですか?」
「多少なりとも地上統括府の影響はあると思うんだが、どちらかというと、現状それほど困ってないという意見が多いんだ。それよりも、兵に出て働き手が減ることだったり、戦死への恐れが人一倍強い人が多いんだよ。まあ、仕方がないことだとは思うけどね」
フェルファトアは、村長の苦労話を聞いて頭の下がる思いがし、また、この村長もまた天政府人中心の世に不満を持っていたに違いないと確信したのだった。
「それで、うちの村のティナはどうしてる?」
フェルファトアは、ついに来たかと、少しためらったが、どうせ分かることなのだから本当のことを話そうと心に決めた。
「ティナですか、ティナは、私達の総司令官になってもらっています」
「そ、総司令官……」
その予想以上に重すぎる地位にティナが就いていることに、村長は狼狽の表情を隠せなかった。やはり話さなければよかったのだろうかとフェルファトアは感じた。
「いや、何、あまりにも尊い役職で驚いただけだ。しかし、そうか、いい子だし、この村には欠かせない子だと思ってはいたが、あの子が一国の総司令官か……」
「村長さん……?」
フェルファトアは村長の背中に手を置きながら心配そうに話しかけた。
「いや、いろいろと思い出してたところだ……」
「……ティナの?」
フェルファトアの一言に、村長はただ目を瞑って頷いた。
「そう……」
フェルファトアは思い出に耽ける村長の顔を見つつ、何も言わず再び酒に口をつけた。
同席していた兵士達も特に何も言う必要もなく、二人の出方を見守りながら大人しく、しかし豪快に食事を次々と手にしていた。
「もし……」
フェルファトアは長い沈黙を破って口を開いた。
「もし、総司令官がミュレス国の下について欲しいとお願いされたら……村長はどうしますか……?」
その瞬間、双方の間に若干の緊張感が走った。兵士達も食事の手をピタッと止めた。
「……ほら、今、このベレデネアは地上統括府の中にあるわけでしょう? 私達の目的は、天政府人の手から、私達ミュレス人の手に支配権を取り戻すことなので、当然この村も、上が変わることになるわけで……」
「うん? ああ、そうか」
村長は顔に手を当てて少し考え始めた
「まあ、確かに、そうだな」
フェルファトアは村長の目を酔いつつもまじまじと見つめた。
「確かに……しかし、それが村民のためになるならば、何も厭わないよ」
「本当なの? !」
フェルファトア含めた6人は、思わず肩の力が抜け、安堵のため息をついた。
「ありがとうございます!」
「もちろん、ティナの望みなればこそだけどね。あの子なら村のこともだけど、その他の、民族全体の事も考えてくれるんじゃないかな」
「そのためにも、私達はしっかりと戦わないと……ね」
フェルファトアは急に視線を兵士の方へ向けた。
「は、はい!」
5人は元気よく答えた。
「こ、声が大きいわよ」
「はは、まあ、天政府人と渡り合うにはこれぐらいの威勢は必要だろう。さあ、西の方に行くんだろう。どんどん食べなさい。どんどん」
「ああ、ありがとうございます。では、私も……」
フェルファトアは、それまで手にしていた酒を置き、料理に手をつけ始めた。
「フェルファトアさん、これもおいしいですよ」
「本当? あ、本当だ……」
一時流れた緊張感はほぐれ、ミュレス国を全く意識しない、穏やかな空気が流れ始めた。村長も、村長夫人も、そして遠征中の6人も分け隔てなく、忌憚のない世間話を、酒と料理と共に楽しむ余裕が生まれたのだった。
村長の思いやりからか、宴は思いの外早く終了した。
6人は早いうちに床につき、特にフェルファトアはここ数ヶ月で一番、気持ちよく眠ることができた。
「フェルファトアさん、フェルファトアさん」
フェルファトアは深く夢の中に沈んでいたところを突然引っ張り出された。
「うーん……」
まだ全く回っていない頭で、何が起こっているのか把握し始めた。
「フェルファトアさん、朝ですよ」
横からフェブラに話しかけられ、徐々に状況を掴み始めた。
「あ、ああ、そうね。そろそろ出発の時間ね……」
フェルファトアは他の兵士と協力して出発準備を終えると、村長を呼び、これから発つことを告げた。
「村長さん、昨日、今日とありがとうございました」
「ああ、天政府の攻撃に負けないように頑張って。……ああ、そうだ。少し待ちなさい」
村長は夫人を呼ぶと、何か耳打ちをした。夫人はそれに頷くと、すぐ奥に引っ込んでいった。
「村長さん、どうしたんですか?」
「なに、西に行くとなれば、また次の町まで歩いていくわけだ」
「ええ、そうなりますね」
「そうなれば、三食必要だし、今日も寝床が確保できるとも限らないのだろう?」
フェルファトアは、村長の見通しも現実的だと空を見つめながら自分なりに見通しを考えた。
「うーん、確かにそうね。今日中にヴェルデネリアに入城するのは、まあ難しいでしょうね……」
「それならと思って……」
村長が話を続けようとした所に、ちょうど夫人が大きな袋を持って奥から戻ってきた。
「このぐらいでいいかしら?」
「うーん、いいんじゃないかな。さあ、これを」
村長は夫人から受け取った袋をそのままフェルファトアに押し付けた。
「村長さん、これは……?」
結構な重量で、フェルファトアは戸惑った。
「昨日の宴会の残りとか、主食になりそうなものをとりあえず用意してみたんだが……」
フェルファトアが袋の隙間から中を覗き見ると、そこには昨日の宴会で並んでいた料理、それに丸めたパンがぎっしりと入っていた。
「村長さん、これ……」
「これだけあれば、6人で2~3食分は賄えると思うんだが……」
フェルファトアは袋をフェブラに渡すと、村長の両手を手にとった。
「ありがとうございます。こんなに手厚く……」
「いやいや、構わないよ。それよりも、一日も早く、民族のために頑張って」
「分かりました。それでは、ありがたく頂戴いたします……」
「お元気で」
「村長さんも、何卒……」
フェルファトアはぐっと村長の手を握りしめ、精一杯の意を表した。村長はそれを受け取ると、フェルファトアの拳を2回ほど優しく叩き、手を解いた。
「……さて、みんな。先を急ぎましょう。ヴェルデネリアの町は、まだまだ先なんだから」
「は、はい!」
6人は勇んで村を後にし、山あいにある林道へと足を踏み入れた。村長一家は、小さくなりゆく6人の姿を黙って、見えなくなるまで見送り続けたのだった。
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