六 シュビスタシアの合意

「そういえば、今日は何で2軒目をはしごしたの?」

 状況を察してフェルファトアが口を開いた。

「うん……」

エレーシーは持っていたコップを机にトンと置くと、左右を一瞥してから一息ついてから話し始めた。

「……私、一昨日ぐらいに家に帰ったら、荷物の中に教科書が入ってたの。あれ、フェルフでしょ」

「あ、分かった?」

「そりゃあね。それで、フェルフに貰ったその社会学の本を読んだんだけどね。ティナも読んだ?」

「うーん、半分くらいかな?」

「半分くらいか。で、そのね、私は全部読んだの」

「2日で?!」

「そう、2日で。それでね、大変な事に気がついたの」

「大変な事?」

 途端にフェルファトアが身を乗り出してきた。

「そう、あのね、地上天暦が始まる前までは、このミュレシアには私達の国があったんだって」

「そうなの?!」

 ティナが思わず大きな声を上げて反応した。周りが静かなのもあって、エレーシーは慌ててティナの両肩を掴んだ。

「今日の話はあまり天政府人に聞かれたくないから……それで、そう、私達の民族の国が、それより何千年もずっと続いてたんだって」

 それから暫く、この狭い部屋の中でエレーシーの民族史の講義が開かれた。


 現在の「ミュレス」という民族名が歴史の中で初めて登場するのは、地上天暦前3700年頃の国名改革の時だ。

 都市国家カルハ=ハミアーヌ=カッターが周辺国と、戦争と無血併合を繰り返して領土を拡げた後、当時の国王フェバー・トルが「ミュレス国」に改称し、身体の特徴や文化、言語の似通った白猫(マレト)族、黒猫(タイト)族、北方白猫(メルスマレト)族、シュバスタ族を纏めて「ミュレス族」という名前を充てがった。(訳註:「夢礼族」とも書く。)

 この「ミュレス」という名前は天政府本土よりも北の魔法族の呼び名で、「ミューと鳴く」という意味で呼ばれていたのを借用したものであるが、これより上述の4族は「同じ民族」という民族意識を持ち始めるようになったと言われている。

 その後、天政府人は幾度となくミュレス民族への侵攻を企て、地上天暦前1305年の第四次天夢戦争でミュレス国が敗れてから天政府のミュレス国支配が始まったようだ。但し、当時の天政府の扱いは今よりも緩い「属国」という扱いであり、天政府に手綱を握られつつもある程度の政治的自主性を許していたようだ。

 しかし、ミュレス民族は天政府人の支配にこの1300年間手をこまねいていた訳ではなかった。地上天暦前2年、アルビア・ト・タトーが数万の義勇軍と共に天政府人に対して反逆の刃を向けたタトーの反乱が起こった。しかし、これは完全なる失敗に終わり、天政府はミュレス国を廃して直轄地とし、地上統括府を置いた。(註:現在では、革命運動ではなく、天政府の侵略に対する抵抗であったことが判明している(第五次天夢戦争)。)

 この戦争により、3700年にわたる「ミュレス民族の国」は終焉を迎え、現在に至るのであった。


 ティナは麺の揚げ物を手にしたままエレーシーの講義をずっと聞いていた。

「なるほどねー。そんなに栄えた国があった訳ねー」

 一方、フェルファトアは講義を聞きながらも途中からティナの前にある揚げ物をひょいひょいとつまんでいった。

「ね、大変な事でしょ?」

「そうね。確かに大変な事だとは思うわ。私の村の学校では『私達ミュレス民族がどれだけ天政府人に尽くしてきたか』しか教えてもらってないし」

「学校で教えることは全部教育院の天政府人の中で決めてるし、社会学の教科書は天政府人を持ち上げる方向で書くように言われてるのよね」

「やっぱりそうなんだね。でも、私達は天政府人に対して下僕根性でいろいろと我慢してる所あるでしょ? 私はそうじゃなくて、『私達も昔は国を持ってたんだぞ』っていう気持ちを持ちたいなって」

「なるほどねえ。でも、それすると……皆に広く知らしめると何が起こると思う?」

 フェルファトアの問いかけに、エレーシーは腕を組んで暫く考えた。

「うーん、そうだね、えーと……天政府人に歯向かう人が増える?」

「そうかもしれないわね、大変危険な事だけど」

 ティナはそう言うと、エレーシーと同じように腕を組んで小鉢を眺めていた。

「でも結局、私達ミュレスの民は多かれ少なかれ天政府人の事をよく思ってる人はいないわけよね」

「私もこれまで会ってきたミュレス民族で天政府人の事が好きな人はいなかったね」

「地上統括府市でもいないわ」

ティナは2人の意見を聞くと暫く黙り込んだが、やがてまた酒を口にした。

「私を含めて何十万の仲間が今、天政府人に苦しめられてるわけだし、いつか打開しないといけないわよね……」

「そうだね……」

「このままの状態が続いても、私達の民族に未来はないと思うわ」

 その言葉を最後に沈黙が続いた。

「でも、私達みたいに、この本に書いていることを皆が知ったら……」

 長い長い沈黙を破り、ティナが口を開いた。

「350年前のアルビアさんみたいに、反乱を起こす人も出るかも……」

「そうかもね……」

「でも、そもそも、誰が広めるの?」

「それは……広めるとしたらやっぱり私達じゃないかな、だってこの本を沢山持ってるフェルフがいるんだし。3人で頑張れば多少なりとも……」

 エレーシーがフェルファトアの肩を叩きながら答えたが、フェルファトアは微妙な笑みを零した。

「いやー、そうね。まあ、うちは文書管理も甘いし、多少は抜いても気づかれないとは思うけどね。でもさ、そういう雰囲気が広まると天政府に感づかれて潰されるんじゃない?」

「うーん……そうかもしれないわね」

 その後、再び沈黙が続いた。

「やっぱり水面下で一気に広めて、一気に攻め込まなきゃ。こっちが更に割りを食うだけだね」

 エレーシーは腕を組み直し、眉間にシワを寄せて首を傾げてながら考え込み始めた。無言で酒に口をつけ、テーブルに置いた。

「……よし、考えよう、明日から」

「やるの? やるのね?!」

 フェルファトアは興奮気味にエレーシーの目を見て言った。

「うん、これも縁じゃないかなと思って」

「……分かったわ。エレーシーにのってあげるわ。民族のために」

 ティナの号令と共に3人ともコップを掲げた。

「民族のために!」

 3人とも残った酒を一気に飲み干し、合わせたように置いた。


「エレーシー、今日泊めてくれない?」

 飲み終え、エレーシーがランプを消そうと手を伸ばした時、フェルファトアが肩を叩いた。

「フェルフ、今日の宿ないの?」

「ちょっと暇がなくて……それにさっきの話もあるし」

「それじゃあ私も泊めさせてもらおうかしら」

 そばで話を聞いていたティナもエレーシーの背中を叩いた。

「3人も泊められるほど、うちは広くないよ?」

「明日も休みだし、3人でさっきの話の続きをしましょうよ、ね」

「私はちょっと寝させてもらうわよ。明日、地上統括府市に帰るんだから」

「もう……なんでもいいよ。じゃあ、こっそりついて来てね。入る時も出る時も別々にね」

 エレーシーは髪をくしゃくしゃと乱しながら苦笑いを浮かべつつ、ランプを消した。

 3人は店を出た後、一度別れたが、ティナとフェルファトアの二人は少し距離を開けてエレーシーの歩いた後をついていった。

 冬のしんと冷えた寂しい郊外の道を歩いていると、じわりじわりと身体が外側から冷えていく。しかし、3人はこれから朝まで続く楽しい事を考えていると、外界の寒さなど全く感じることはなかった。むしろある種の暖かさを感じるのであった。

 地上天暦352年12月3日、このシュビスタシア郊外の酒場で交わしたこの宴会は、後に我々ミュレス民族の歴史の中に刻まれる「シュビスタシアの合意」と呼ばれるのであった。

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