第18話 雨水 獺の祭り


スナネコは、オイナリサマの言いつけの通りに荒れ果てた神社に寝泊まりして、『春』が来るのを待った。


神社は、荒れ果ててはいたものの、最低限雨風をしのぐことはできた。


さらに一日に二度、ラッキービーストがじゃぱりまんを運んできた。


スナネコは、夜は神社に上がって眠り、昼は周囲を散策して過ごした。


何も不満のない生活だったが、ツチノコにも会えず、どこにもいけない日々は、澱みとなってスナネコの中に溜まっていった。



昼になると風の冷たさは和らぎ、日差しの温かみをじっくり感じられるようになっていた。


スナネコが神社の裏を流れる小川に沿って歩いていると、一人のフレンズが川で遊んでいるのを目にした。


彼女はまだ冷たい川の中にざぶんと入ると、川底から丸い石を取り出しては、川沿いの大きな石の上に並べていた。



「何をしているんですか?」 とスナネコはそのフレンズに話しかけた。


彼女は突然の挨拶にびっくりして飛び上がり、石の後ろ側に隠れた。


並べていた石がばらばらと川に落ちてしまう。


川の流れる音だけが響いていた。


「あ、ボクはスナネコです。初めまして」


「ニホンカワウソです……」


ニホンカワウソと名乗ったフレンズは、スナネコが自分に危害を加えそうにないのを確認すると、おずおずと姿を現した。


彼女は、落ち葉の多い山の風景によく溶け込むような茶色の水着に身を包み、小さな耳を生やしていた。


「何をしていたんですか?」 スナネコは再び聞いた。


「遊んでいたの」 とニホンカワウソは答えた。


「一緒に遊ぶ?」 ニホンカワウソはスナネコに、逆に聞き返した。


「わかりません。わからないんですけれど、何もすることがなくて」 とスナネコは言った。


ニホンカワウソはちょっと微笑んでみせて、この不審なフレンズに自分の遊びを教えることにした。


* * *


スナネコは、ニホンカワウソが川底から拾ってきた石を、ひたすら大きな石の上に並べた。


それの何が楽しいのかスナネコには分からなかったが、スナネコに石を渡すときのニホンカワウソの嬉しそうな顔を目にすると、彼女は本当に楽しんでいるんだなということが分かった。


ひとしきり川底をさらったニホンカワウソは、ちょうど二人が腰かけられそうな石の上に上がると、スナネコを誘った。


スナネコは、足を滑らせないように気を付けながらその石までざぶざぶと歩いて行った。


「やっぱり誰かと遊ぶって、楽しいね」


「楽しいんですか?」


「うん。……あれ、あんまり楽しくなかった?」


「よく分かりませんでした」


「やっぱり、私のけものだったころの癖なのかなあ。こうやって、なにかを石の上に並べておくと、とても落ち着くんだ」


「そうなんですか……」


スナネコは、いつもツチノコが言っていたことを思い出していた。


「ボクの、けものだったころの癖……」


「スナネコさんは、どんな遊びを普段はしているの?」


「覚えていないんです」


スナネコは頭を振った。ニホンカワウソは表情を曇らせる。


「じゃあ、おうちは?」


「それも分からないんです。ボクは、ボクのおうちを探して、ツチノコとずっと歩いていました」


「そうなんだ……じゃあ、まだすぐどこかに行っちゃうのかな」


「いえ。オイナリサマに、近くの神社の見張りをしばらく任されました」


「じゃあまだ遊べるね!」


スナネコはニホンカワウソを見た。


「初めて見たときに、私とちょっと雰囲気が似てるなって思ったんだ。なんか、一緒に遊んでくれる人をずっと探してるような、寂しい感じ。ね、一緒に遊ぼうよ。きっと楽しくなるよ」


「でも、ボクはツチノコが……」


ほら、というとニホンカワウソはスナネコの手を引いて、石から飛び降りた。


バシャバシャと音を立てて、二人は川から上がる。


* * *


それから二人は、山の木を使ってかくれんぼをしたり、川の深いところに飛び込んでみたりして、思い切り遊んだ。


最初は乗り気ではなかったスナネコも、ニホンカワウソの遊び相手をしているうちに、気分が上がってきた。


ニホンカワウソに続いて冷たい川に飛び込んだ時には心臓が止まるかと思ったが、しばらく激しく動き回っていたら、体が水温に慣れてしまった。


川から上がると、ニホンカワウソが簡単な着替えとタオルを用意してくれた。


ようやくあたたくなった風に、服と体を乾かしながら、二人はじゃぱりまんを食べた。


ツチノコとずっと歩いてきたスナネコにとって、ひとつの所にとどまって遊ぶという経験は、とても刺激的だった。


「スナネコさん、とても体力があるんだね」


とニホンカワウソが打ち解けた様子で言った。


「ありがとうございます」


「きっとけものだったころは、厳しい環境で生きていたんだよ」


「そうなんでしょうか……」


「覚えてないの?」


スナネコは首を振った。


ニホンカワウソは、スナネコに重ねて聞いた。


「もしスナネコさんが良かったら、ここで私とずっと遊んでくれないかな」


「ずっと?」


「スナネコさんは、おうちをツチノコさんとずっと探してるんだよね。だけど思い出せないんだよね。それってもしかしたら、おうちがずっと見つからないかもしれないってことだよね。ねえそれって楽しいのかな? スナネコさんはずっとここまで歩いてきたわけだけど、さっきみたいに一人でさみしそうだよ。それって幸せなのかな」


「ボクは一人なのは、ツチノコが……」


「ツチノコさんって、誰かな。そのフレンズって、さっきみたいに一緒に遊んで、楽しい思いをさせてくれる人なのかな」


「それは、違います」 スナネコの目から涙が一筋こぼれた。


「ね。そうやってスナネコさんは、ツチノコさんのことで泣いちゃうんだ。ツチノコさんは、スナネコさんを悲しませることしかできないんだよ。私だったら、スナネコさんと楽しく遊ぶことができる。ねえどっちかっていったら」


「違います!!」 スナネコはニホンカワウソをさえぎって叫んだ。


スナネコの声が森に響き渡る。ニホンカワウソはおびえて目を瞠った。


「違うんです。ツチノコは……たしかにツチノコは、ひねくれてるし、体は強くないし、あんまり優しくないです。今だって、ボクがこんなことになっちゃったのも、全部ツチノコのせいです。だけど……ツチノコは……」


スナネコの嗚咽が川の音に流れてゆく。


「ボクが気付いたとき、ツチノコがそばにいてくれたんです。何も覚えてない、何もわからないボクを、ツチノコが引っ張ってくれたんです。それからずっと、今まで、ツチノコと一緒にいたんです。ツチノコは……今ボクは、ツチノコと離れることは……できないです……」


ニホンカワウソは、スナネコから目をそらすと、俯いて「ごめんね」と言った。


スナネコは肩を震わせていた。


* * *


ニホンカワウソは、一人で川の中に入った。


スナネコと距離を取ったところで、ぱっとスナネコを振り返った。


「スナネコさんは、けものだったころを覚えてる? フレンズになる前の、家族で暮らしていたころの記憶」


スナネコは顔を上げて、首を傾げた。ニホンカワウソは話を続ける。


「私はね、今でも夢に見るんだ。私がけものだったころは、家族で一緒に暮らしてたの。あの頃はたくさん仲間がいて、みんなで川で遊んでから魚を取って、みんなで石の上に並べて」


ニホンカワウソは、足元から石をひとつ拾った。


それが魚であるかのように。


「でもいつからか、住める場所が少しずつ減っていって。私たちは、みんなで住みやすい場所へと、どんどん山奥の方に引っ越していったの。どんどん隠れて暮らすようになって、そうしているうちに仲間も減って。最後は、私一人だけ、山奥に一人ぼっちで残されてしまった」


スナネコはただ俯いて、彼女の話を聞いている。


「一人ぼっちのまま、私はここでフレンズとして生まれ変わったんだ。だから、ここが私のおうち。私はここで、私の仲間がいつか現れるのを、ずっと待ってる。ずっとここで待っていれば、いつか誰かが帰ってくるかもしれないから」


「でも、そんなことは……」


「わかんないよね。そもそもフレンズなのに、『なかま』って何だろうね? でもいいの。私はここで、ずっと誰かを待ってる。こうしてるのが、私にとっていちばん落ち着くのかもしれない。これが、ひとりぼっちになってしまったけものの運命なんだよ」


並べて遊んでいた石が、わずかな傾斜を転がって川に落ちていく。


「だから、スナネコさんがここに来た時、ひょっとしたらスナネコさんは私の仲間になってくれるんじゃないかと思ったの。私はずっと寂しかった。誰かと一緒に遊びたかった。誰でもいいから。その気持ちを、スナネコさんに押し付けてしまった。ごめんね」


「いえ、でも、ボクは……」


「ツチノコさんっていうのかな。スナネコさんと一緒にいた、大事な人。いいなあ。うらやましいな。私はおうちを持ってるけど、スナネコさんは持ってない。だけど大事な人がいる。いいなあ。うらやましいなあ……!」


ニホンカワウソは、両手で顔を覆うと泣き出した。


太陽は傾き始め、夕方が迫ろうとしていた。


* * *


スナネコは、自分のポーチを手に取ると、その中から四葉のクローバーを取り出した。


「これは、ボクとツチノコが歩き始めたときに、鳥のフレンズさんからもらったものです。これをあなたにあげます」


「でもそれは、スナネコさんにとって大事な、思い出じゃ……」


「いいんです。今からこれは、ボクとニホンカワウソさんが遊んだ思い出です。こんなものしか渡せないですが、受け取ってください」


ニホンカワウソは、スナネコから四葉のクローバーを受け取った。


「ボクにとってツチノコは、はじめから大事なひとではありませんでした。でも、ずっと一緒に歩いているうちに、ちょっとずつ大事になっていきました。ボクのポーチの中は、その思い出でいっぱいです」


「私……私も、ずっと生きていたら、何か大事なものができる、のかな?」


「分かりません。でもボクとツチノコは、そうしてきました」


ニホンカワウソは、スナネコから受け取ったクローバーを大事そうに胸に抱えた。


「大事なもの、大事なもの……。分かんないけど、それで私、変われるような気がする。ありがとう」


「ごめんなさい、ずっと一緒に遊んであげられなくて」


「いやいや、私こそ、変なことを言ってしまってごめんね」


ニホンカワウソは泣き笑いのような顔をした。


それからスナネコは乾かしていた服を着ると、ニホンカワウソに別れを告げた。


彼女たちは、お互い笑顔で、手を振って別れた。


* * *


その夜、スナネコは神社で寝返りを打ちながら考えていた。


ツチノコを取り戻すために差し出す対価について、思いついたアイデアを整理していた。


夜はまだ寒かったが、日に日に肌を刺すような冷たさは薄れていき、『春』が着実に近づいていた。


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る