第17話 立春 鬼は外


シマフクロウはツチノコを抱えると音もなく飛び去った。

一人取り残されたスナネコは、タンチョウとマナヅルの家に帰ろうとした。

しかし、スナネコたちはマナヅルたちに空から運ばれてきたため、彼女らの家がどこにあるのか分からなかった。

スナネコは、風が吹きすさぶ森の中で迷子になった。


スナネコは森の中をあてもなく歩いた。誰かが通ったようなけもの道を探しては、道が続くままに歩いた。

おなかがすいたらバッグの中にあったじゃぱりまんを食べた。

ツチノコのいない一人の時間は、とても静かにゆっくりと流れた。


やがてスナネコは、一つの荒れた神社に着いた。

見るからに長い間誰にも手入れされていない建物で、石という石は苔むし、本殿の屋根には穴が開いていた。

それでも夜を過ごすには十分で、スナネコは荒廃した本殿に上がると、ごろんと横になった。


足を止めると、自分の体が冷え切っていることに気付いた。

しかしスナネコはツチノコと違って、体が冷えるくらいでは体調を崩さなかった。

少しでも体温が逃げるのを防ぐために、スナネコは体を丸めた。

自分で自分の暖かさを感じると、夜な夜なツチノコに寄り添って寝た最後の日々を思い出すのだった。


* * *


夜明け前、外で何かが動く音がして、スナネコは目を覚ました。

ドシンドシンという、フレンズでは考えられないような重い音だ。

スナネコはパッと身をひるがえすと、ささくれた柱の陰に隠れて様子を伺った。


音の出どころは、果たして大型のセルリアンだった。

今のスナネコには一人で対応できそうにないことは容易に見て取れた。

そのセルリアンは神社の境内をドシドシと歩き回ると、本殿の中に入ってこようとした。

朽ちた階段が、セルリアンの重みに耐えられずにバキンと折れ、セルリアンの足の下で粉々になった。


その時、パラパラという別の音が突然聞こえて、セルリアンの表面で何かがキラキラと輝いた。

セルリアンはその輝きになぜか怯んだようで、体の向きを変えると神社の外へと退却していった。

そのセルリアンを見送るように、本殿の縁側から一人の白い狐のフレンズが現れた。


「そろそろここも限界よね。とはいっても、この区域に管理を任せられるようなまともな子はいないし……誰かしら」


その白いフレンズは、柱の陰にいるフレンズの気配に気が付き、凛とした声で呼びかけた。

スナネコは柱の陰から出て、姿を見せた。


「あら、あなたは……」

「スナネコです」

「ええ、わかっていますよ。お久しぶりですわね」


彼女――オイナリサマは、スナネコに妖艶に微笑みかけた。


* * *


「私はここの見回りに来ただけなのに、期せずしてあなたを助けてしまいましたわ」


オイナリサマは、わざとらしく肩をすくめて言った。


「ありがとうございました」

「殊勝な心構えですわね。ツチノコさんもあなたみたいに素直だったら良かったのに」


ツチノコの名前がオイナリサマの口から出てきて、スナネコは身を固くした。

その様子を見ていたオイナリサマが、目を細めてスナネコに聞いた。


「そういえば、お連れのあの子はどうしたんですの?」

「ツチノコは、寒くて病気になりました。目を覚まさなくなって、今は別のフレンズさんに手当てしてもらっています」

「ふぅん……」


オイナリサマは目を伏せた。


「そのフレンズさんは、きっとこのあたりでそんなことができるフレンズは数えるほどしかいないとは思いますが、ツチノコさんを助けられるんですか?」

「たぶん、そうだと思います。助けると言ってくれました」

「ほんとに?」


オイナリサマは俯いて何かを考えていたようだったが、やがてくっくっと笑い始めた。


「助かるといいですわね。いえ、私もそれを望んでいますわ」

「オイナリサマは、ツチノコのことを何か知っているんですか?」

「いいえ、何も」


オイナリサマはスナネコを軽くいなした。その質問には真剣に答える気がないことが、彼女のしぐさから感じられた。


* * *


「さて、思いがけずあなたを助けてしまいましたが、その対価としてあなたに何かさせなければなりませんね」

「どういうことですか?」

「別に。タダでお恵みが欲しいなんて不届きものが出ないようにしてるだけですわ。ちょうど私はここで雑用があるんですの。手伝ってくださります?」


スナネコは、以前オイナリサマのおうちで延々と稲荷ずしを作らされたことを思い出して警戒した。


「ボクは一体何をさせられるんですか?」

「そうですねえ。そろそろ初午だから、また前のように稲荷ずしを作ってもらってもいいのだけれど……」


スナネコの態度を見て、オイナリサマは吹き出しそうになった。


「前のがそんなに嫌でしたの? いやいや、こんなボロボロのところで作ってくれなんていいませんわ。ちょっと豆を撒いてきてくださらないかしら」

「まめ?」

「ええ。さっきの大きなセルリアンに撒いていたのを見ていたでしょう?」


あのキラキラのことをスナネコは思い出した。


「あれを、この神社の境界に撒いてきて欲しいのですわ。あれはセルリアンにとってとても刺激が強いものだから、ついでに小さなのがいたらぶつけちゃって構いません」

「わかりました」


スナネコがオイナリサマに指示されたとおりに神社の裏側へ回ると、”おけ”いっぱいのキラキラ光る”まめ”を見つけた。

それを”ます”に適当な量に入れると、神社の庭に出て、手あたり次第適当に撒いた。

神社の周囲を徘徊する小さなセルリアンがいたので、”まめ”を投げつけてみた。

“まめ”が当たったセルリアンは、びっくりした様子ですごすごと神社から離れていった。


* * *


ひととおり”まめ”を撒き終えたスナネコが神社の本殿に戻ると、オイナリサマが掃除と片づけを済ませているところだった。


「今ちょうどご神体を修復したところですわ。これでこの神社の結界も治るはずです」

「ごしんたい?」

「この土地のカミ……といっても、あなたにはわからないでしょうね」


といってオイナリサマは微笑んだ。


「ご覧になります? ご神体」

「それはすごいものなんですか?」

「ええ、とっても。特に輝きを集め、この土地を守る力としては」

「かがやき……」


スナネコはなにやら考え込む様子を見せた。


「どうしたんですの?」

「ツチノコは、今輝きが足りないらしいんです。そしてツチノコを返してもらうには、何か”たいか”が必要だって。

 その”ごしんたい”は、ツチノコを返してもらう”たいか”になるでしょうか?」

「これを? これをツチノコに流し込むんですか?」

「あんまりよく分からないですけれど……」


オイナリサマは愉快そうにケラケラと笑った。


「そんなことをしたら、この世界もあの子もめちゃくちゃになっちゃいますわ。もしあの子に使わずに契約の対価にするとしても、この土地からあれを引きはがすわけにはいきませんの」

「そうですか……」


肩を落としたスナネコに、オイナリサマが声をかけた。


「あなたがこの土地をしばらく管理してくれるというなら、どんな対価をそのフレンズに差し出せばよいか、一緒に考えてあげても構いませんわ」

「管理……?」

「ええ。あの直したご神体がこの土地に定着するまで、この神社に住んでご神体の面倒を見てほしいんですの。見るといったって、特に動いたりするものではないから、壊れたり、盗まれたりしないように見ていてほしいだけですわ」


スナネコが不審そうな表情を崩さないので、オイナリサマはさらに条件を提示した。


「毎日ラッキービーストにじゃぱりまんを持ってこさせますから。それに、定着させるといっても、ひと月もかからないくらいですから、あなたたちの旅を邪魔するようなことはありませんわ」

「ひと月って、どのくらいですか」

「そうですねえ。今が春の始まりなので、次に暖かくなって、野原に花が咲き始める頃に」

「暖かく……」


スナネコの脳裏に、暖かい日々の記憶が蘇った。記憶を失ってから、新しく積み上げてきた日々。


「ええ。どうせ暖かくなるまで、ツチノコも動けないでしょう。それまでの間、この神社にいながら対価を探したらどうでしょう?」

「わかりました」

「そしたら、取引成立ということで」


オイナリサマはポケットから茶色のじゃぱりまんを取り出すと、スナネコに渡した。


「私は今日は失礼しますが、また時が満ちたらここに戻ってきますわ。それまでここの管理、よろしく頼みますよ」

「わかりました」

「それにしてもあなたたち、似たもの同士なんですのね」


スナネコはオイナリサマの発言の意図が分からなかったが、オイナリサマはふふっと笑って流した。

彼女は本殿の外に出ると歩いて神社を去っていった。

一人残されたスナネコを、少し早くなった夜明けの光が迎えている。


つづく


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