第16話 大寒 春よ来い

大寒 春よ来い


スナネコとツチノコは、タンチョウとマナヅルのおうちに身を寄せた。

冷たいみぞれが雪に変わったあの夜から、空気は一段と冷え込み、日中に雪がちらつくようになっていた。


ツチノコはあれから目を覚まさなかった。

時折呼吸に喘鳴が混じり、苦しそうな咳をした。

スナネコはツチノコのそばを離れなかった。眠るときは身を寄せ合って眠り、起きているときはツチノコの頭を膝に乗せていた。

しかしそれが数日も続くと、さすがのスナネコにも疲労が溜まった。

それを見ていたタンチョウたちは、スナネコの体調も心配した。


「まだしばらくは寒い日が続きそうですわ」 おうちに戻ってきたタンチョウが、スナネコにじゃぱりまんを渡しながら言った。

スナネコはただうなずくと、もらったじゃぱりまんを頬張った。


「大丈夫ですか?」

「ツチノコは……どうなるんでしょうか……」

スナネコはツチノコの頬に指で触れながら言った。昏睡してから、ツチノコは何も食べていなかった。


「ごめんなさいね」 タンチョウが急に謝った。「私たちが、ツチノコさんを助けられるようなわざを持っていたら良かったんですけれど」


「いえ、ツチノコが倒れたのは、ツチノコが無理をしたからなので」スナネコは静かに言った。「こんなに長く泊めてもらって、ありがとうございます」


* * *


タンチョウの妹であるマナヅルも、おうちに帰ってきた。

「どう? そっちのツチノコさん、元気になったかしら?」

「いえ、まだあんまり……」

「あなたもちょっとやつれたわね」


というと、マナヅルはスナネコの頭に手を触れた。

「やつれる……?」

「あなたも元気を失くしてるように見えるわよ」


スナネコはぼうっとマナヅルの顔を見ていた。

それがかえって、タンチョウとマナヅルの危機感を煽り立てた。


「このままじゃ二人とも共倒れしちゃうわよ」 とタンチョウがスナネコに強めに語りかけた。

「そうですか。でも……」 スナネコはツチノコの髪に触れた。

「僕にはどうしようもないんです」


「どうにかできるはずよ。そうでなきゃ、私たちがつらくてやりきれないわ」タンチョウが悲痛な声で言った。

その声が響いて、虚ろだったスナネコの目にも涙が滲んだ。

「どうにか……なるんですか……?」

スナネコは肩を震わせた。


「どうにか……何かもっと、力になれるようなフレンズがいたら……」

タンチョウが俯いて呟いた。

「タンチョウ、あのフレンズなら何とかしてくれるんじゃないかしら。たしか、シマフクロウとかいう」


マナヅルの提案を聞いて、タンチョウは腕を組んだ。


「たしかに、あの子なら何とかしてくれるかもしれないけれど、ちょっと癖が強いのよね……」

「どんなフレンズなんですか?」 スナネコが聞いた。

「大きなフクロウのフレンズよ。大きくて、物知りで。不思議な力を使えるって聞いたこともあるけれど、本当のことは分かりませんわ」

「僕、そのフレンズに会いたいです」


タンチョウは真面目な顔でスナネコに向き合った。

「シマフクロウさんがこの森にいることは確かですが、あの子は他のフレンズと直接友達になるような子ではありませんわ。もしかしたら、私たちの知らないところで、怖くて恐ろしいところのあるフレンズさんかもしれません。それでもいいんですの?」

「大丈夫です」

スナネコはきっぱりと返事をした。


「分かりました。シマフクロウさんに会えるという場所に案内しますわ」

タンチョウは立ち上がった。


* * *


タンチョウとマナヅルは、スナネコとツチノコを抱えて飛んだ。

二人は、森の中のひときわ大きい杉の木の下に運ばれた。

ぐったりしているツチノコを、スナネコが抱きかかえる。


タンチョウは深呼吸して姿勢を正すと、朗々と何かの文章らしきものを読み上げた。

「天に坐す我らがコタンコロカムイよ。今、父母の神々の身元に、地の恵みと共に、安らかにあらんことを」


タンチョウの声が、寒々とした針葉樹の森に凛と響き渡った。


「これで、シマフクロウさんがいらっしゃるはずですわ」


タンチョウたちは、シマフクロウは要件のあるフレンズにしか会おうとしないのでここでお別れだと二人に告げた。


「それでは、私たちはこれで」

「御武運を」

「ありがとうございました」


タンチョウとマナヅルが飛び去ると、あたりは静寂に包まれた。

スナネコはツチノコの体が冷えないようにしっかり抱えると、前をじっと見て、シマフクロウを待った。


じっと動かずにいると、指先や耳の先から感覚がなくなっていった。

一方で、腕の中でかすかに息をするツチノコの体温が、じんわりと伝わってくるのだった。


* * *


どのくらい待っただろうか。

つい気が遠くなったスナネコがふっと我に返ると、いつの間にか背後に誰かが立っていることに気付いた。

バッと振り返ると、背後に立っていた何者かは素早く飛び上がって、木立の中に隠れた。


「お前は誰だ」

という声が、どこかから聞こえる。


「僕はスナネコです。こっちのフレンズはツチノコです」


声の主は、姿を見せないままスナネコに問いをかけ続けた。


「どうしてここに来た。なぜ私を呼んだ」

「ツチノコが倒れてしまったんです。そしたらタンチョウさんとマナヅルさんが助けてくれて、シマフクロウさんならもっと力になってくれるかもしれないと言って、紹介してくれました」


「都合のいいことばかり考えやがって」 声の主は吐き捨てるように言った。


やがて、一人の大きなフクロウのフレンズが、二人の前に音もなく舞い降りた。


「私がシマフクロウだ」

「初めまして。スナネコです」

「それで、そっちの寝たきりがツチノコだな?」

「そうです」

「見せてみろ」


スナネコは、目を覚まさないツチノコをシマフクロウに渡した。

シマフクロウはツチノコの額に手を当てた。

シマフクロウの手がけものプラズムを放ち、何かの情報を読み取っているようだった。


やがて、シマフクロウはツチノコの額から手を離した。

「これは駄目だろう」


スナネコは足の力が抜けて、その場に座り込んだ。

心に重たい氷のようなものがのしかかって、まったく動けなくなるようだった。


「大体、こいつは冬眠する習性があるだろう。なんでこんな季節に出歩いたんだ。それでかがやきを消耗しても当然だ」

シマフクロウは冷たい口調で言った。

「私が手を入れる余地などない。こいつはこの冬の間に消えるだろう。こいつの命はこの土地を巡って、我々の星へと還る。何の不自然も、何の理不尽もない」


* * *


返すぞ、といってシマフクロウがツチノコをスナネコに渡そうとした時だった。

スナネコが震える声で話し出した。


「ちょっと待ってください。ツチノコと僕は、僕のおうちをずっと探してるんです。僕は前の思い出を全部なくしてて、気付いた時にはツチノコのおうちにいたんです。そこから、ずっと二人で歩いてきたんです。こんなに寒くなっても、僕のおうちは見つかりませんでした。それで、ツチノコも無理して僕に付き合ってくれてたんです。悪いのは僕なんです。おうちを思い出せない僕がいけないんです」


シマフクロウは怪訝そうな顔をした。


「何を言ってるんだ、フレンズなら、自分の家くらいは――」


「僕は、ツチノコと会う前のことを何も思い出せないんです。待ってください。一人にしないでください。ツチノコがいなくなったら、僕はこの世界にひとりぼっちです。そんなのは、きっと耐えられません。何も知らない、僕のおうちじゃないとこに、僕を置いていかないでください……」


シマフクロウはしばらく考え込んでいたが、急に慌ててツチノコの額に手を当てた。

先程とは打って変わって、真剣な様子でツチノコの状態をうかがっている。

シマフクロウは、キッとスナネコを睨み据えた。


「お前たち、何をした」

「えっ」

「そうか、お前は記憶が……。お前、ちょっとここで野生解放しろ」

「野生……?」

「お前の獣性を引き出すんだ。そら、私からこいつを奪い返してみろ。今から引き裂くぞ」


と言って、シマフクロウはツチノコの胸に爪を立てようとした。

スナネコの頭の中で何かが弾け、全身に力がみなぎった。

ひとっとびでシマフクロウの懐に飛び込むと、彼女の腕を払いのけ、ツチノコを奪い返した。

そのまま後ろに飛び退ると、腰を低くしてシマフクロウを威嚇する。


シマフクロウは、スナネコからにじみ出たけものプラズムの残滓を確かめていた。


「まさか……そんなはずは……」


スナネコは、シマフクロウがこれ以上危害を加えてこないことを察すると、全身の緊張を解いた。途端に疲れが襲ってくる。


* * *


膝をついたスナネコに、シマフクロウがゆっくり歩み寄った。


「そこのツチノコを渡せ」


スナネコはシマフクロウを睨んだが、先程のような力はもう入らなかった。


「かがやきの減ったお前では、私には絶対勝てんよ。いいから渡しな。別に取って食うわけじゃない」

「何をするんですか」

「気が変わった。上手くいくかは知らんが、助けてやろう」


スナネコは若干警戒しながら、ツチノコをシマフクロウに渡した。


シマフクロウは、右手にけものプラズムを溜めると、一気にツチノコの胸に突き刺した。

ツチノコの体もけものプラズムで輝き、シマフクロウの手がズブズブと沈み込む。

ツチノコの顔が苦痛に歪んだ。


「何するんですか!」 とスナネコがびっくりして聞いた。

「治療だ。どのみちこいつは、直に今の姿を保っていられなくなる」


シマフクロウはツチノコの胸から手を抜いた。ツチノコの体は虹色に光り続け、依然として目を覚まさなかったが、先程より呼吸が落ち着いていた。


「ちょっとしか残っておらん。どっちにしろ総入れ替えだな」

とシマフクロウがぼやいた。


「ツチノコは大丈夫なんですか?」 とスナネコが聞いた。

「これ以上悪くなることはない。あとは、春になるまで私のうちで預かってやる」


「ありがとうございます」 といって、スナネコは深く頭を下げた。


「スナネコよ」 とシマフクロウが呼び掛けたので、スナネコは頭を上げた。

「ツチノコの命を繋ぎとめる事に関しては私が力を貸してやるが、それ以外のことはただではやらん。これからもこれと旅を続けたかったら、何かお前が私に差し出せるものを用意しろ」


「差し出す……?」

「契約の対価だ。私の力をツチノコに分ける以上、あれの命は私のものだ。あれを私が救うのと、あれが私のもとを離れてお前のもとに帰るのは、別の取引だということだ」


スナネコはあまり納得していなかったが、ツチノコを目の前で救ってもらっている手前、しぶしぶ了承した。

スナネコは今までの旅でもらった小物を漁って、対価として差し出せるものがないか探そうとした。


「じゃぱりまんだとか、よくわからん小石だとかいう些末なものは認めんぞ。命の取引に見合うだけの、お前にとってかけがえのないものを準備しろ」


困り果てたようなスナネコを見て、シマフクロウは「春まで待ってやる」といって苦笑した。


* * *


「ツチノコは私が預かるが、お前まで預かる道理はない。春までに差し出せるものを見つけて私のもとに再び訪れるがいい」


というと、シマフクロウは木でできた小さな笛をスナネコに渡した。森に入ってこの笛を吹けば、シマフクロウを呼ぶことができるらしい。

シマフクロウが飛び去る直前に、スナネコは眠ったままのツチノコに話しかけた。


「ツチノコ。絶対に元気になってくださいね。僕も『たいか』を探してきます。暖かくなったら、また旅に出ましょう。二人で」


スナネコは目を閉じると、ツチノコの頬に唇を寄せた。








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