第15話 小寒 柊のように

ツチノコとスナネコは黙々と歩き続けていた。

少しでも立ち止まると、たちまち体が芯から冷えていくのだった。


気温は昼になっても上がらず、夕方から夜にかけて、毎日のように、体が動かなくなるほど寒くなった。

そんなときは、二人は抱き合って、毛布をぴったりと巻き付けて眠った。


ツチノコはかじかんだ手をポケットに突っ込んで歩いていた。

足を動かしている間は、体が震えるのをごまかすことができた。

しかしこのところ寒さは特にひどく、夜になって寝ようとしても、寒くて途中で目が覚めてしまう日が続いていた。

寝不足なまま歩いていると、体の中にたまった疲労が、熱になって自分の体を蝕んでいくのが感じられた。


いつの間にかツチノコは歩きながら眠っていた。小さな石につまずき、ハッと我に返った時には、顔を地面に強打していた。

「いてて……」 と呟きながら顔を上げると、前方でスナネコが自分を振り返っている。


「ツチノコ、また寝てましたね」

「冬眠してた頃の癖なんだよ」 ツチノコは鼻をすすりながら嘘をついた。

「本当ですか?」

「疑うのかよ」


スナネコはツチノコに歩み寄ると、ツチノコの顔に触れた。

スナネコの健康的な顔が、ツチノコには眩しかった。


「最近、ツチノコの元気が少しずつなくなっています。それにちょっと熱いです」


ツチノコはスナネコの手を払った。ツチノコの生ぬるい手の体温がスナネコに伝わった。

その手をスナネコがつかむ。


「大丈夫ですか」


ツチノコはスナネコに目を合わせない。


「大丈夫じゃなくても、行くしかないんだよ」

「でも」

「でもじゃない。お前のおうちなんだよ。それを探しに、俺たちはここまで来たんだ」

「どこにもたどり着いていないじゃないですか」

「だから俺たちは、もっと歩かなきゃいけないんだ。もっと。もっとだ」

「途中で倒れたらどうするんですか」

「そんなことは考えるな」


ツチノコはスナネコを睨んだ。スナネコは睨み返しながら、ツチノコの手を放す。


「行こうぜ。止まったから体が冷えちまった」 ツチノコはぶっきらぼうに言った。

二人は目を合わせないまま、再び歩き出した。


* * *


「今日は全然暖かくなりませんね」 スナネコは空を覆う白い雲を見上げながら言った。

「ああ。雨かみぞれが降りそうだな」

「”みぞれ”ってなんですか?」

「みぞれってのはな、一旦空で氷になった雨が、ちょっと融けたような状態で降ってきたやつで――」


とツチノコが言った時だった。ツチノコの肩に冷たい雨がパシャリと落ちた。風に乗って、溶けかかった氷のような雨がちらほらと二人に降りかかる。

二人はざっと辺りを見渡して、雨宿りができそうな場所を探した。二人の周りには荒れ果てた畑が広がっており、雨がしのげそうな廃屋は見当たらなかった。

スナネコは、畑の隅にボロボロに錆びた車が捨てられているのを見つけた。ツチノコを急かして、車の残骸に乗り込む。


「この車、フロントガラスないじゃねえか」


ツチノコが運転席に散らばったガラスの破片に触れながら言った。


「何もないよりはましです。ここで”みぞれ”をやり過ごしましょう」


スナネコは後部座席の埃を払いながら言った。

二人は車の後部座席に座った。上から降るみぞれは防げたが、前方から風に乗って降りこんでくるものは防げなかった。


座ったことで、ツチノコの中に溜まっていた疲労がどっと押し寄せてきた。姿勢を保つこともままならず、スナネコに寄りかかるようにして倒れこむ。


「ツチノコ、大丈夫ですか」 スナネコが動揺して言った。

「疲れただけだ。あとちょっと、寒い」 ツチノコは力なく言った。


ツチノコは自分の頭をスナネコの膝に預けるように横になると、膝を抱えて丸くなった。

車の中に風が吹き込んでくる。風を感じる度に、ツチノコの体は震えた。

寒い、寒いとうわごとのようにツチノコは繰り返した。震えるその体をスナネコは撫でた。


「なあスナネコ。さっきお前、俺が倒れたらどうするって話をしただろう」

「はい」

「そうだなァ……そのときは、俺を置いて、お前はお前のおうち探しを続ければいい」

「何言ってるんですか……」

「お前はもう、俺なしでもこの地方をまわれるだろう」

「そんなのは嫌です」

「なんだそれ。見ての通り、俺はどうやらこの冬を越せなくて、お前は越せるだろう。そしてお前はおうちを見つけなきゃならない。それだけだ」


スナネコはツチノコの肩をつかんだ。


「ツチノコは、今寒くておかしくなってるんです。どこかでしっかり休んで、また元気になったら、今までみたいにずっと旅ができるようになりますよ。一緒に」


* * *


一度降り出したみぞれは、なかなか降りやまなかった。

時刻は昼を過ぎ、夕方に差し掛かり、空が暗くなり出していた。


「このまま夜になるかもな」

「ツチノコは、ここで夜を越せそうですか?」

「さあな」 ツチノコはせき込みながら力なく言った。


「僕、ちょっと誰か探してきます」というと、スナネコはツチノコを跳ねのけた。


「おい待て。まだ止んでないんだぞ。お前まで風邪引いたらどうするんだ」

「知りません。黙って寝ててください」


あ、あのなあとツチノコがまた言おうとしたので、スナネコはずいとツチノコの顔に寄った。


「ツチノコは、自分の体の心配はしないんですか。まるでツチノコの心配をしてる僕の方が変じゃないですか」

「何だお前、俺に怒ってるのか」

「ツチノコは、僕のおうちを見つける前に、ここでやめるつもりなんですか。ここで力尽きるつもりなんですか。さんざん僕を振り回して。ふざけないでください」


ツチノコが一瞬、今すぐ何かをスナネコに打ち明けたそうな表情を見せたが、すぐにその表情は奥に引っ込んだ。ツチノコは何か話そうとしたが、咳こんで何もしゃべれなかった。


「誰か探してきます。そこでじっとしていてください」


スナネコは車を飛び出すと、暗くなり始めた道を、一目散に走り出した。

知り合いの当てなど何もなかったが、誰かを見つけなければならなかった。


* * *


どこまで走ったのか覚えていない。しかしスナネコは、畑の真ん中で休んでいる二人のフレンズをとうとう見つけた。


彼女たちは、夕暮れ時にいきなり見たこともないネコ科のフレンズが、みぞれに降られながら必死に駆け寄ってきたので、すっかり驚いてしまった。


「だ、誰……?」


スナネコは二人に駆け寄ると、力が抜けてその場で膝をついてしまった。


「助けてください……」


二人のフレンズは怪訝そうに顔を見合わせたが、ただ事ではないことを察して、スナネコにまた話しかけた。


「初めまして。私はタンチョウ。こっちの子はマナヅルですわ」

「スナネコです……」

「どうかしたのですか?」


スナネコは、とぎれとぎれにツチノコのことを二人に訴えた。寒い日が続いてずっと調子が悪かったこと。今日のみぞれがとどめになって、動けなくなってしまったこと。

二人は、目の前のフレンズの相方が体調を崩してしまったことを理解した。


「それは大変ですわ。私たちのおうちで、最低限今夜を乗り切るといいですわ。そして、そのあとでもっとしっかりしたおうちを持ってるフレンズの所に行って、元気になるまで身を寄せるべきです」


スナネコは泣きながら礼を言った。


「でも、まずは迎えに行かなきゃ」マナヅルが言った。

「ツチノコさんが今寝ている場所は分かりますの?」


スナネコはパニックになって言った。

「すみません。よくわかりません……僕が悪いんです。ずっと向こうから走ってきて。そこに、ぼろぼろの箱みたいなのがあって。ツチノコは”くるま”って言ってたような」


「大丈夫ですわ。あっちの方向から来たんですのね。それなら、あっちに向けて飛んで、空から探しましょう」

「でも、今から戻っても、もう暗くなっちゃって――」

「私があなたを運ぶから、大丈夫ですわ。見覚えのある木や川があったら、教えてくださいね」


タンチョウはスナネコを抱えると、ビュンと力強く飛び上がった。

その後ろにマナヅルが続く。


「私たちは元の体が大きかったからかしら、多少何か抱えていてもへっちゃらなのよ」


耳元で風が鳴る。みぞれがバチバチと肌に襲い掛かった。


* * *


すっかり日が落ちかけた頃、スナネコは、見覚えのある廃車を空から見つけた。

そのことをタンチョウに伝えて、三人は廃車のそばに降下した。

スナネコは弾かれたように車に駆け寄る。


ツチノコは、スナネコが飛び出したときと同じ体勢で、車の中に横になっていた。

「ツチノコ!」というスナネコの大声にビクッと反応して目を開ける。

顔は白く、唇には血の気がなかった。


「なんだ、お迎えはお前なのか、やっぱりな……」


ツチノコはか細い声で呟いたが、言い切らないうちに大きな咳をして体を折った。ゼイゼイという高い音が息に混ざっている。


「助けを呼んできました。今夜を乗り切ったら、明日もっとしっかりした所に行きましょう。元気になるまでそこにいましょう。だからツチノコ、今夜は踏ん張ってください」

「今夜? そうか、そうか……」

「しっかりしてください!」


スナネコはツチノコを抱きかかえると、車の外に出た。ツチノコは小刻みに震え、息をするたびに咳をしそうになる。ヒューヒューという音が息をするたびに聞こえた。


パラパラと降っていたみぞれは、夜になると白い雪へと変わっていた。

それはツチノコやスナネコの肌に落ちては、はらりと融けた。


ツチノコが、スナネコの腕の中で動いた。顔を上げて、スナネコを見ようとする。

静まり返った湖のようなツチノコの瞳が、スナネコの目を捉えた。

今まで見たことがないような、落ち着いたツチノコの表情に、スナネコは固まった。


「なあスナネコ、お前のおうちだけどな――」


ツチノコは口を開いたが、いよいよ息もできなくなって、激しく咳き込んでしまった。

呼吸が極端に弱弱しくなったツチノコの体から、力が抜けた。


「ツチノコ! ツチノコ!!」


スナネコはツチノコの名前を必死に呼んだ。

タンチョウとマナヅルが駆け寄ってくる。




舞いだした粉雪は積もるのでしょう

冬を耐え抜いていく強さが欲しいよ


Do As Infinity

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