第14話 冬至 長い夜には温かい風呂を
空気はどんどん寒くなっていくが、昼になっても気温が上がらなければ、当然夜はとことん冷え込むことになる。
ついに真昼になっても震えが止まらないような日がやってきて、その日は夕方から突きさすように寒くなった。
なけなしの体温を、凍てついた風がさらっていく。
「ツチノコ、大丈夫ですか」とスナネコが隣で震えながら歩いているツチノコに話しかけた。
「だ、大丈夫だ。でもさっさとどっか見つけないと、こ、このままじゃお陀仏だ」
ツチノコは体を震わせながら言った。唇から血の気がなくなっているのをスナネコは見て取った。
二人はとっぷりと暮れた夕闇の中に立っていた。いつもであれば、こんなに日が暮れてしまう前に寝床を探し出し、今頃は晩飯を食べているはずなのだ。その日は昼になっても気温が上がらず、おろおろと歩いていたら寝床を見つけそこなったのだ。
すっかり夜といって良いほど暗くなった空に、星が煌煌と瞬いている。ツチノコはついに足を止めてしまった。
「も、もうちょっといってだな。何も見つからなかったら、スナネコ、ここで寝るぞ」
「ただの道端じゃないですか。屋根も何もないですよ」
「仕方ないだろ。見つからないんだよ」
「でも、ここで寝たら、体はもっと冷えちゃいますよ」
ツチノコはイライラして言った。
「だから、もう見つからないって言ってるじゃねえか。このまま夜通しこんな寒い中歩いて力尽きるより、ここで踏ん張って、明日の朝まで耐えれば何とかなる。何とかなるだろう」
「何とかなるって、ツチノコはこの夜を耐えられるんですか?」
スナネコはすこし現実的な冷たさをにじませた声で、ツチノコに聞いた。ツチノコは体を震わせたまま黙り込んだ。やがて、弱弱しい声で小さく呟いた。
「寒い。寒いんだ。もうだめかもしれない」
スナネコはツチノコの手を取った。氷に触れているような、冷たい手だった。
「もうちょっと頑張りましょう。もうちょっと頑張って見つからなかったら、僕が頑張って何とかします」
「何とかって、どうするんだよ」
「さあ……」
「さあじゃないんだよ。このまま共倒れか、俺たち」
二人は手をつないで歩き出した。震えてうまく歩けないツチノコの歩調にスナネコが合わせる。
* * *
歩いた先で、二人は、明かりのついている建物を見つけた。
ツチノコは大きく息をつき、スナネコは目を輝かせた。
「助かりましたね、ツチノコ」
「死ぬかと思った」
その建物の入り口には紺色の布が掛けられていた。
カラカラと音を立てて引き戸を開けると、ムッとした暖かい空気が外に漏れた。
「あら、いらっしゃいませ」
玄関の奥のカウンターに立っていたフレンズが、二人に微笑んだ。
暖かい空気に包まれて、二人の緊張が一気にほどける。
「外、随分寒かったでしょう。ゆっくりしていってくださいな」
スナネコは、建物の内装にすっかり気を取られてしまった。壁や天井を見ながら、ふらふらと前に進む。
一方ツチノコは、緊張が解けると寒さによる消耗がどっと襲ってきて、その場にうずくまってしまった。
びっくりして駆け寄ったスナネコに、「いや、気が抜けただけだから、大丈夫だから」と震える声で応える。
「あらら。はやく温泉につかった方がいいわね」
カウンターに立っていたフレンズが二人に歩み寄ると、手ぬぐいと浴衣を手渡した。
手渡しながら、彼女は自分のことをギンギツネだと名乗った。
「温泉って、何ですか?」
「温かくて大きいお風呂よ」
「おふろ……」
「こんな寒い夜はね、温かいお湯に肩まで浸かって、体をしっかり温めるの。風邪を引きそうなときは、なおさらしっかり入らなきゃね」
ギンギツネは、廊下の奥の方に二人を促した。ツチノコもゆっくり立ち上がると、スナネコに手を引かれながら湯殿へと向かった。
* * *
「ツチノコ、これはなんて書いてあるんですか」
スナネコは、文字がびっしり書いてあるパネルについてツチノコに聞いた。
「あぁ、温泉に入るときの決まりが色々書いてあるんだよ」
ツチノコは、温泉に入るときの簡単なルールをスナネコに教えた。脱衣所で服を脱ぎ、手ぬぐいを持って浴場に入り、かけ湯をしてから湯船に肩まで浸かる。
湯煙の中、二人きりで大きな湯船に、隣り合って座っている。
「あの毛皮って、脱げたんですね」 スナネコが自分の裸の腕や腹を眺めながら言った。
「俺たちの体の代謝はヒトとは違うから、わざわざ脱いで洗うなんてことはしなくていいんだがな」 ツチノコはぎこちなく言った。極力スナネコから目を逸らそうとしている。
「ツチノコ、緊張してるんですか?」
「あ? あ、まあ、毛皮が無いと、ちょっとな」
「すべすべしてて、面白いですよね」
「そ、そうだな」
スナネコの指が、突然ツチノコの背中に触れた。スナネコの指が、ツチノコのうなじから背筋をなぞって尻尾の付け根に触れる。ツチノコは全身が総毛だった。スナネコの指がツチノコの尻尾を撫でまわす前に、飛びのいて距離を取る。
「急に何すんだよ!」
「いえ、ツチノコもすべすべしてるのかなって」
「馬鹿、敏感なんだよ」
「すみませんでした」
「全然反省してないだろ」
向き合って見つめたスナネコの姿は、湯の加減で肩から下はよく見えない。
あまりじろじろ見るのは不審だと思って、ツチノコは視線を横にずらした。
「ツチノコ、元気になりましたね」
スナネコが不意に静かな声で言った。
「まあ、温まればこのくらい」
「温泉が見つかって良かったです」
「ほんとにな。ついてたな」
スナネコは湯船の中で立ち上がると、ツチノコに歩み寄った。
一糸まとわぬ彼女の体が露になって、ツチノコは思わず動揺する。
「なんだ、何だスナネコ。俺なんかしたか?」
スナネコは何か言おうとしたが、言い出せず俯いた。小さくぽつりと漏れる。
「ツチノコが動けなくなったら、僕、どうしようと思って」
スナネコの手が、宙ぶらりんなツチノコの手を捕まえる。
「どうしようって、どうしようと思ったんだ」
「わかりません」
スナネコはぴしゃりと言った。二人の声は湯気にくぐもって、浴場の湿気に吸い込まれる。
「僕は寒いのはへっちゃらなんですけれど、ツチノコはとても弱いです。このままで大丈夫なんですか。もしツチノコが動けなくなっちゃったら、僕はどうしたらいいんですか。僕のおうちはどうなるんですか」
スナネコの声は、ツチノコを詰りながら少しずつ細くなり、最後にはしゃくりあげるようになってしまった。
ツチノコは俯いて震えているスナネコの背中に手をまわした。その体にスナネコがしがみつく。
そのまましばらく抱き合っていた。ただお互いの肌と体温を五感に刻み付けていた。
「体が冷えるだろ。ちゃんと浸かれ」
二人はその場で座り込み、再び肩まで湯に浸かった。
* * *
温泉から上がり、浴衣に着替えた二人は、畳が貼られた部屋に寝転がっていた。ギンギツネが暖かそうな布団まで用意してくれていた。
「ここんところずっと無茶をしてたのは認める。もともと俺は冬に出歩けるようなけものじゃないんだ」
お茶を飲みながらツチノコが口火を切った。
「だったら、冬はずっとどこかにいましょうよ。暖かくなるまで」
スナネコは切実な調子で訴えたが、ツチノコは冷たく返した。
「そしたら、お前のおうちが探せないだろ。ここだって、また暖かくなるまで、ずっとお邪魔し続けるわけにもいかないし」
「僕のおうち……」
「そうだ。お前のおうちが見つかれば、この旅は終わる。そしたら、寒い時期はずっとそこで暮らせばいい。暖かくなって、暑すぎる季節が来ても、そこで昼をやりすごせばいい」
ツチノコのいうことに納得したのか、スナネコは黙り込んだ。
「ま、お前のおうちに俺がいても良いならの話だがな」
「その時は、僕の言うことを聞いてもらいます」
「やなこった」
眠気がやってきたので、部屋の明かりを消した。畳の上に敷かれた布団の中は、まさに天国のような快適さだった。連日の廃屋野宿とは比べ物にならない。
暗い中で目をつむっていると、色々なことを考えるようになる。トナカイの家で見た、中身をほとんど思い出せない夢のことや、ツチノコが自分に何か隠しているようなこと。
「ツチノコ、この前トナカイさんのおうちに泊まったじゃないですか。あの時確か夢を見て。何を見たのかは思い出せないんですけれど、何か大事だったような」
スナネコはツチノコに話しかけたが、既にツチノコの布団からは規則正しい寝息が聞こえていた。
「僕はあの時、何を見たんでしょうか」
スナネコは誰に聞くでもなく呟いた。そのまま横になっていると、彼女にもすぐに眠気がやってきた。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます