第13話 小雪 燃える山


夜の冷え込みが、日中の陽気だけでは元に戻らないようになると、空気はぐんぐん寒くなっていった。


スナネコとツチノコは、日が暮れると寝床を真面目に探すようになっていた。

何も無いところで寝ていると、翌日の冷え込みで体調を崩しかねない。

しかし、日を追って昼の時間はみるみるうちに短くなり、少しも進まないうちに太陽の傾きを気にしなければいけなかった。


その日も快晴だったが、日差しの力は心もとなく、頬にあたる風は冷たかった。

テンたちにもらったスカーフは、冷たい空気が首から入り込んでくるのを見事に防いでくれていた。


二人は平野を抜けて、大きな峠を越えようとしていた。

ぼろぼろのアスファルトの舗装が残る、うねうねと曲がった細い道を上っていく。

道路の端は一部が欠けており、錆び着いた柵が傾いて刺さっていた。


「今日中には越えられるでしょうか」


とスナネコが先を歩きながら言った。


「たぶんな。でも急がねえと、最近あっという間に沈んじまうからな」


ツチノコがスナネコに応えた。


すでに時刻は正午を過ぎており、道路に落ちる影も長くなっていた。

二人はこれでも急いで歩いたつもりではあったが、日暮れが早くなる一方で、日の出も遅くなっていた。

それに、峠の地下を貫通していたトンネルが崩落していたので、二人はやむなく途中まで引き返して、状態の悪い旧道を進まざるを得なくなっていたのだ。


「まあこの調子でいけば、山ん中で野宿だけは避けられるだろ」


とツチノコは言って、また歩き出した。


* * *


峠の頂上に差し掛かると、空が広くなった。

上り坂が下り坂に変わる所で二人は立ち止まった。

少し開けた景色の向こうに、紅葉に染まった山々が見える。

太陽の光が黄ばみだして、影は一層長くなっていた。


「どうにか登り切りましたね」


スナネコが頬を上気させて言った。


「ああ。日暮れまでにはどうにかふもとに行けるな」


ツチノコがそう言った時だった。ガサガサっと落ち葉を踏む音を立てて、一人のフレンズが脇の林道から現れた。


「あれっ。こんなとこにフレンズがいるなんて珍しいね」


彼女は、色づいた枯葉に良くなじむ制服を身にまとい、頭には小ぶりな角を生やしていた。


「ああ。ちょっとこの峠を越えようとしててな」


とツチノコが言った。


「僕はニホンジカ。あなたたちは?」

「ツチノコだ」

「スナネコです」


三人は自己紹介をしあった。


「峠を越えるって言ってたけど、こっちから向こうに行こうとしてるってこと?」


ニホンジカが、ツチノコたちが歩いてきた方向から、彼女たちが向かおうとしている方向に目を動かしながら言った。


「ああ。日暮れまでに越えられたらいいんだが」


「あぁー。うーんとねえ」


と言って、ニホンジカは怪訝そうな顔をした。


「この道なんだけど、このちょっと向こうで崩れてるんだよね」


「え、そうなんですか」


とスナネコが驚いて聞いた。


「うん。もともと険しい山だし、道が壊れても誰も直せないから、しょうがないんだけどね」


と言ってニホンジカは苦笑いした。


「舗装されてない道で良ければ、僕が知ってる道を案内してあげるよ」


「本当か。できたらお願いしたい」


ツチノコがそう言うと、ニホンジカは少し考え込むような素振りをした。


「うん。だけど、日暮れまでに行けるかはわかんないなあ……」


三人が考え込んでいる間にも、太陽はじりじりと傾いていた。


「そうだ。良かったら、二人とも僕のうちに来ませんか。この山のてっぺんにあるお寺なんです。そこで今夜は早めに寝て、明日朝から出発して、この山を下りたらいいんじゃないかな」


ニホンジカは、二人にそう提案した。二人は招いていただけるならということでニホンジカに甘えることにし、彼女についていくことにした。

三人はアスファルトの道を離れて、石が敷き詰められたより古そうな道を歩いていく。


* * *


色づいた木立の中を三人は進んでいく。

太陽は山の間に沈みだし、西の空に黄色が差し始めた。

やがて三人の目の前に、大きな石を切り出してできた大きな階段が現れた。


「もうすぐだよ。この階段を上った先に、僕のおうちのお寺があるんだ」


「随分と立派なつくりだな」


とツチノコが言った。


「そうでしょ。上のお堂はだいぶぼろぼろになっちゃってるんだけどね」


ニホンジカがはにかんで言った。


「どうして、こんな来にくいところにお寺を建てたのですか?」


とスナネコがツチノコに聞いた。


「それは多分、来るのが大変にしたかったからだろうな。お寺ってのは、ヒトが『修行』っつって、自分を鍛えるために建てた場合が多いんだ。そうすると、来るのが大変だったらそのお寺に来ること自体が『修行』になるだろ。そして戻るのも大変だったら、ずっとこのお寺に籠って『修行』せざるを得ないじゃんか。そもそもお寺で『修行』するヒトたちってのはな……」


ツチノコは自分の蘊蓄をべらべらとしゃべった。

スナネコはすぐに興味を失くして石段をすたすたと登り始めたが、代わりにニホンジカがツチノコの話に食いついてしまった。


「ツチノコって、ヒトについて詳しいんだね。もっと教えてよ」


「詳しいったって、俺も他のフレンズからの受け売りだぞ」


ツチノコは急に恥ずかしくなって、言葉を濁した。そのついでに、スナネコが先に行ってしまっていることに気付いた。二人は慌ててスナネコを追いかける。


「でも僕はね、ヒトがここにお寺を建てたのは、もっと他に理由があると思うんだよ」


石段を登りながらニホンジカが言った。


「ほう。そりゃどんなんだ?」


「あとで教えてあげる」


ニホンジカはいたずらっ子のようなウインクをした。


* * *


石段の頂上では、スナネコが登ってきた方向をぼうっと見ていた。


「何見てんだ? スナネコ」


ツチノコは息を整えながらスナネコに聞いた。


「きれいです。とても」


スナネコはツチノコたちに目を合わせずに答えた。

スナネコの心はすでに、目の前で見ているものにすっかり奪われてしまっているようだった。

ツチノコは振り返って、スナネコが見とれているものを確かめようとした。


「おぉ……」


という声が思わず漏れた。


三人が見たものは、紅葉に染まった山だった。

沈みかけの太陽に照らされて、紅葉はまるで炎のようである。


「きれいでしょ。人がここにお寺を建てた理由はさ、この景色が綺麗だったからだと思うんだ」


目の前の景色に見とれている二人の横で、ニホンジカが言った。


「いつも見てるただの山なのに、こんな風にみえることもあるんだな」


ツチノコがニホンジカに言った。


「ここまで頑張って登ってきたんだから、その頑張りのご褒美なんじゃない?」


とニホンジカが言った。


三人はしばらく黙って、目の前の山と夕日を眺めていた。

立ち止まると、たちどころに体が冷えていくのを感じた。

太陽はその姿を半分以上も隠し、地面に残された日向はもう少なかった。


「さ、僕のうちにおいでよ。山の上だから、冷え込みも一層くると思うよ」


ツチノコはスナネコを促して立たせると、ニホンジカについていこうとした。


立ち上がった時に、スナネコは石段の上に落ちていた紅葉の葉っぱを一つ拾った。

ふと気づいて辺りを見ると、石段の両脇にも、お寺の境内にも、赤い紅葉を付けた楓の木があちこちに立っていた。


「ツチノコ」


スナネコはツチノコを呼び止めた。


「この葉っぱ、綺麗ですね」

「そうだな」

「どうして、このお寺の周りも、この赤い葉っぱの木がいっぱいあるんでしょうか」

「さあな。ヒトが植えたんじゃないか?」

「どうしてでしょうか」

「さあ……」


ツチノコは適当な返事をしながら、自分がそのようなことについてまったく考えることがなかったことに気付いていた。


「ヒトも、この葉っぱの色を綺麗だと感じたんじゃないのか?」


その答えに納得したのか、スナネコは何も言わずに手に持った葉っぱをポーチの中に仕舞うと、ツチノコのもとへと近づいてきた。


「行くぞ。もう夜になっちまう」


二人は、ニホンジカの後を追って大きなお堂の中へと上がっていった。



古寺に 灯のともりたる 紅葉哉 正岡子規

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