第12話 花の匂い
二人の歩くスピードが、日に日に快調になっていった。
理由の一つは、日中の気温が下がり動きやすくなったこと。
もう一つは、日が落ちるのが早くなって、中々距離が稼げなくなったことだった。
日が落ちるのが早くなると、日中になっても空気が温まらない。
そのまま夕方になると、気温が容赦なく下がっていくのだった。
よく晴れて、空が透き通るような日は、夕方になってからの冷え込みが特に厳しかった。
「なあおい、今日はこの辺にしとかないか」
ツチノコが、自分より前を歩くスナネコに呼び掛けた。
「そうですか?」
スナネコは、立ち止まってツチノコを振り返った。
夕方の空は既に暗く、ツチノコの表情もすでに見えづらくなっていた。
すでに冷たくなってしまった風が、適度に火照った体を冷ましていく。
「今日はもう、この辺で宿を探そうぜ。もう暗くなってきたし」
「でも、もっと歩けそうだと思いますけれど」
「悪いな。実をいうと、今日はあんまり元気出ねえんだ……」
というと、ツチノコはズズズっといって鼻水をすすった。
「身体がどうしたんですか?」
「ああ、ちょっとな」
「そうですか」
ツチノコは、薄暗くなった景色を見まわして、夜の寒さをしのげそうな場所を探した。
道の脇に、木造の廃屋があるのを見つけた。
「あそこにするか。誰もいないだろうけど、朝露や風はしのげるだろ」
というと、ツチノコは廃屋に向かって歩き出した。
スナネコは後についていく。
ツチノコの足取りが、いつもよりしっかりしていないのが、スナネコには気になった。
スナネコの鼻が、何か強烈な匂いを感じ取る。
「ツチノコ、何か変なにおいがしますよ」
ツチノコは、スナネコの呼びかけに反応せずにつかつか歩いて行った。
* * *
二人が入った廃屋は、人が生きていたころに、簡単な集まりをするために建てられたようだった。
ガラスのなくなったサッシをずらすと、板張りの部屋が現れた。
ツチノコは部屋に上がると、何も言わずに横になった。
「ツチノコ?」
「ちょっと疲れただけだ。一晩寝てれば、明日には元に戻る」
ツチノコは、いつもより荒い息をしていた。
少し震えると、熱を逃がさないように身をかがめて丸くなる。
「そのサッシ、閉めてくれ。外が寒いんだ」
「でも、このドア、真ん中がなくなってますよ」
「ちっ」
「何か変ですよ、ツチノコ」
「なんでもねえよ」
スナネコは、この時になって初めて、ツチノコがいつもと何かが違うと思った。
何かが、良くない方に違っている。
「押し入れ、なんかねえかな」
ツチノコは、立ち上がろうとしてふらつき、床にもう一度伏せた。
「立てないんですか?」
「疲れてるだけだ。……悪いが、その押し入れの中に何か入ってないか、見てくれないか」
「はい」
スナネコは、押し入れを開けた。
押し入れの中には、使用感のある布団と、小さなコップと大きな薬缶が置いてあった。
「ツチノコ、何かありますよ。誰かが使ってそうな……」
「あれ、誰かいますわね」
廃屋の外から声がした。
ツチノコは身を起こして、サッシの隙間から外の様子を見た。
声の主は、二人連れだった。
おそろいの髪飾りをして、小さな耳をつけ、大きな尻尾を揺らしている。
片方は黒っぽい茶色の服を着て、もう一方はよく目立つ黄色の服を着ていた。
「悪い、フレンズが使ってるとは知らなかったんだ。邪魔だったら済まない。ここから出ていくから……」
ツチノコは、ゆっくり立ち上がろうとした。
震えてうまく立てないのを、スナネコが咄嗟に駆け寄って支える。
触れたツチノコの体はいつもより生ぬるく、生気がなかった。
「もしかして、あまり体調がよろしくないんですか?」
サッシの向こうからフレンズがツチノコに尋ねる。
「……たぶんな」
支えられたツチノコがのろのろと言う。
「すみません、一晩だけでいいので、ここで寝させてもらっていいでしょうか」
スナネコが、サッシの外のフレンズ達に言った。
ツチノコがぴくっと反応する。
「でしたら、ここで休んでいただいて結構ですわよ。その代わり、私たちもここで寝泊り致しますけれど、それでよろしいかしら」
茶色い方のフレンズが言った。
「ありがとうございます」
スナネコは頭を下げると、ツチノコを床に寝かせた。
* * *
二人のフレンズは、サッシを開けると部屋の中に入ってきた。
「初めまして。私はクロテンといいます」
「ホンドテンです」
二人は、スナネコの前に座ると挨拶した。
「スナネコです。こっちで寝ているのは、ツチノコです」
スナネコも自己紹介をした。
「ね、ねえ。その……ツチノコさんなんだけど」
と、ホンドテンが口を開いた。
「もしかして、風邪引いてるの?」
「風邪?」
スナネコが首を傾げる。
「そうだよ。空気が寒くって、あんまり寒いと身体の調子が悪くなるの。ちょっと様子、見ていい?」
とホンドテンがまくしたてる。
スナネコが促すと、ホンドテンはツチノコににじり寄って、額に手を当てた。
「うわあ、こりゃ風邪だよ! 早く温めなきゃ。クロテンちゃん、布団出して」
「あらあら」
クロテンとホンドテンは、てきぱきと押し入れから布団を出すと、敷布団と掛布団の間にツチノコをはさみこんだ。
「すまん……」
布団の中でツチノコが小さく言った。
「いえいえ。今は暖かくなさってください」
クロテンが優しく言った。
しばらくすると、ツチノコが規則正しい寝息を立て始めた。
ただ、いつもよりも息が荒い。
「ありがとうございます」
スナネコは、二人のフレンズに頭を下げた。
「こういう時はお互い様ですもの。構わないですわ」
クロテンはにっこり笑って言った。
「ね、スナネコさんたちってさ、どこからきたの?」
ホンドテンがスナネコに勢いよく聞いた。
「ホンドテンちゃん、いきなり踏み込んだことを聞くのは失礼ですわよ」
「だってえ。ていうか、フレンズが風邪引くって滅多にないことじゃん。何してたの?」
「僕とツチノコは、ずっと歩いています。ただ、今日のツチノコはなんか変で……」
「ぼちぼち、冬が来ますものね」
とクロテンが言った。
「ヘビのフレンズ達には、厳しいかもしれませんわ」
スナネコには、クロテンが最後に言ったことの真意は分からなかった。
* * *
「私って人見知りなんだけどさ、一度友達になっちゃうと、とても仲よくしたくなるんだ」
とホンドテンが言った。
「ともだち?」
「そう。ツチノコさんを温めてあげるためなら、こんなことだってできるよ!」
ホンドテンはツチノコを寝かしている布団に潜り込むと、ツチノコの背中に密着した。
大きな尻尾をツチノコの体に巻き付ける。
「こうすると、もっと暖かいよ」
ホンドテンは、キラキラした目でスナネコとクロテンを見た。
「こら、ホンドテンちゃん。元気じゃない人にいたずらしちゃだめでしょ」
「ホンドテンは、何をしているんですか?」
「私たちの毛皮って、とても暖かいんですよ。そのおかげで、私たちが動物だったころは、ヒトにとても大切にされていたんです」
「なるほど」
スナネコは、布団に丸まっているツチノコとホンドテンを見た。
クロテンがスナネコに気を遣うそぶりを見せる。
「お気を悪くされていたら、ごめんなさいね」
「いえ、別に」
スナネコは、自分の服と尻尾を触った。
「その毛皮で温めるというのは、僕のでもできるでしょうか」
「ええ! きっとツチノコさんも元気になりますよ。そしたら、布団をもう一つ出しましょうか」
クロテンは、押し入れから布団をもう一式出すと、ツチノコたちの隣に並べた。
スナネコはホンドテンの反対側に回ると、布団の中に入った。
いつもより赤いツチノコの寝顔が、目の前にある。
スナネコは力の抜けたツチノコの手を握った。
尻尾で彼女のむき出しのあしをなぞる。
自分の背中にも、クロテンの毛皮が当たっているのが分かった。
彼女のぬくもりが背中越しに伝わる。
「ずっと誰か一緒にいるというのは、素晴らしいことですわ」
とクロテンが小さくスナネコに言った。
「常にその人から刺激をもらって、この時間を退屈せずに生きていくことができますもの。
だけど、フレンズとフレンズであるからには、いつか必ず、お別れの時が来ますわ。お別れした後の、一人では味わうことのなかった寂しさを、ずっと抱えたまま生きていくには、あなたならどうすればいいと思います?」
スナネコは、クロテンが言ったことの意味をイメージしようと頑張った。
「僕には……わかりません。でも、そういうことは、きっとツチノコが考えていてくれると思います。ツチノコは、僕が分からないことや、知らないといけないことを全部教えてくれます。だから、さびしいとか、そういうことも、きっと大丈夫です」
言い終えた後、スナネコはため息をついた。
「かわいいことを言うのですわね、スナネコさんは」
背後でクロテンが小さく笑った。
「変なことを聞いちゃってごめんなさいね。そう、きっと大丈夫。きっと大丈夫ですわ」
クロテンは、それから何も言わなかった。
スナネコはそのままじっとしていたが、暗闇の中で何もせずにいると、どこからか眠気がやってきて、そのまま夢の中へと落ちていった。
* * *
次の朝、スナネコが目覚めると、布団の中には誰もいなかった。
「よく寝てたみてえだな」
頭の上から声がしたので、寝返りをうつと、すっかり支度を整えたツチノコがスナネコを見下ろしていた。
「おはようございます」
「おはよ」
クロテンとホンドテンはもうどこかへ遊びに行ったようだ。
スナネコは起き上がると、荷物の整理を始めた。
「もう身体はいいんですか」
「おかげさまでな。寝りゃあ治るんだ」
「そうですか」
スナネコは、自分の荷物の横に、細長い黄色の編み物が置いてあるのを見つけた。
「それはな、テンたちが編んでくれたんだ。マフラーだとかで、首に巻いて使うんだとさ」
とツチノコが言った。よく見ると、ツチノコも茶色いマフラーを首に巻いている。
「……昨日はありがとう。助かった」
「元気になって良かったです」
「そうか」
スナネコも身支度を整えたので、二人で廃屋を後にする。
「にしてもお前って、自分で色々言えるようになったんだな」
「そうでしょうか?」
「あいつらに泊めてくれってお願いするとか、なんか、成長したなって」
「あれはまあ、ツチノコが何もできそうになかったので」
「ああそうかよ」
元の道に戻ったところで、ツチノコが足を止めた。
「この匂いは金木犀だな」
「キンモクセイ?」
「そうだ、あの花だよ。良い匂いがするだろ」
ツチノコが指さした先には、黄色い小さな花を無数につけた、少し大きな木が立っていた。
「ほう。この匂いは、あの花だったんですね」
二人は足を止めて、金木犀の花の匂いを吸い込んだ。
やがて飽きれば、また足早に歩き始めるだろう。
つづく
木犀にすとんと闇の被さりぬ 山尾玉藻
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