第9話 処暑 嵐の夜に

その日は、一日中雲が空を覆い、風がいつもより激しく吹いていた。

旅を続けているツチノコとスナネコは風にあおられて、髪がバサバサと乱れた。

蒸し暑い空気に風は気持ちよかったが、ちょっと不安になるほどの強さの風だった。


「ツチノコ、今日は風が強いですね」 とスナネコは言った。


ツチノコは、スナネコには応えずに空を睨んでいた。灰色の雲が、風の向きにつつと流れていく。

風上の空に目をやると、より黒い雲が待ち構えていた。


「しばらく晴れそうにもないしなあ……」 とツチノコは呟いた。


その時、道の向こうから一匹のフレンズが慌てた様子で走ってくるのが見えた。

近づいてきたその子は、赤っぽい茶色のイヌ科のフレンズだった。


「何してるの二人とも! ”たいふう”が来るんだよ!」 とそのフレンズは二人に言った。


「たいふうですか?」 とスナネコが聞いた。

「そう! あれ、最近生まれたフレンズなのかな? 毎年来てるから、大体の子は覚えてるはずなんだけど」

「すまん、この辺に来るのは初めてなんだ」 とツチノコがフォローを入れた。


「そっかそっか! 僕はニホンオオカミ。初めまして!」 とそのフレンズが自己紹介した。

「スナネコです」

「ツチノコだ」


あっ、自己紹介してる場合じゃなかった、とニホンオオカミが我に返って二人に詰め寄った。


「今から”たいふう”が来るんだ。よくわかんないけど、すっごい風が吹いて、すっごい雨が降るの」


「そうなんですか?」


「今でもすごく風が吹いてるでしょ。これがもっと強くなるんだ」


「なるほど。強い嵐ってかんじか」


「そうそう! いつも涼しくなる手前にくる嵐のことを”たいふう”って言うんだって、前に教えてもらったの」


「この風、もっと強くなるんですか?」 スナネコがツチノコに不安そうに聞いた。


「らしいな。困ったな……どっかで身を守らないと……」 ツチノコが呟いた。


「よかったら、僕のうちにおいでよ」 とニホンオオカミが言った。


「この近くなんですか?」 とスナネコが聞いた。


「うん! あと、何回も”たいふう”をしのいでる頑丈なおうちだから、きっと安全だよ」


「それは助かる」 とツチノコが言った。

「できたら今晩泊めて欲しい。何がお礼できるかは分からないけれど……」


「あっ、だったら、あのじゃぱりまん運ぶの手伝ってくれないかな?」


とニホンオオカミは言うと、彼女の後ろからノロノロやってきたラッキービーストを指さした。


「”たいふう”に備えて特別なじゃぱりまんを配ってもらってるんだけど、あの子たちだと脚が遅くってね」


「分かった」 とツチノコは言うと、ラッキービーストに歩み寄った。

ラッキービーストは、頭の上のかごにじゃぱりまんをたくさん載せていた。


「これ、このへんのフレンズの分なのか?」 とツチノコがニホンオオカミに聞いた。


「そう! ”たいふう”のあとだとじゃぱりまんが上手く作れなくなることがあって、そのために今たくさん配るんだよ」


「へえ、よくできていますね」


よいしょっとかごを抱えたツチノコは、ニホンオオカミに従って森の中に入っていった。


「ツチノコ、持ちましょうか?」 とスナネコが聞いた。


「いや、大丈夫だ」 とツチノコが言った。


***


ニホンオオカミの家は、大きな岩の下をくりぬいてできていた。


「なるほど、こりゃ嵐にも耐えられるな」 とツチノコが家の外観を眺めながら言った。


「そうだよ。たまに他のフレンズも”たいふう”の時にはここに逃げ込んでくるんだ」 とニホンオオカミが言った。


三人がニホンオオカミの家の中で時間を潰していると、外が急に暗くなり、激しい雨が降り出した。


強い風にあおられて、森の木が激しい音を立てる。


「はじまったね」 とニホンオオカミが言った。


「まるで夜みたいな暗さだ」 とツチノコが外を眺めながら言った。


ニホンオオカミの部屋には明かりがなかったので、外が暗くなると、お互いの顔さえはっきり見えないのだった。


「一晩もすれば”たいふう”は通り過ぎるよ」 とニホンオオカミが言った。「それまでは僕の

うちにいていいよ」


「ありがとうございます」 とスナネコが言った。


「いいのいいの。だって君たち困ってそうだったし」 とニホンオオカミは言って、ちょっと静かな声になって続けた。

「若干君の顔に見覚えがあったんだ。どこかで会ったことないかな?」


ニホンオオカミは、ツチノコを見ていた。

ツチノコは、ニホンオオカミの視線を正面から受け止めた。


「いや、俺はあんたに会ったことはないな」


稲妻がパッと光って、後で雷がゴロゴロと響いた。


暗くなったニホンオオカミの部屋に、それぞれの目がぼんやりと光っていた。


「そっか、じゃあ気のせいかな。ごめんごめん、変なこと言っちゃって」 とニホンオオカミが言った。


「いや、気のせいというか、それは前の世代の記憶かもしれん」 とツチノコが言った。


「前の世代?」 とニホンオオカミが聞き返す。


「ああ、俺たちは、動物の姿の時にサンドスターを浴びてこの姿になった。当然サンドスターが切れたり、この身体での寿命が来たりすれば、もとの動物に戻る。これが俺たちフレンズの一生だ。だが、動物に戻ったあとでもう一度サンドスターを浴びれば、再びフレンズになることがある。こうして世代交代というやつが生まれる」


ツチノコが滔滔と説明する。


「つまり……?」 ニホンオオカミが首を傾げた。


「生まれ変わりみたいなもんだ。あんたの前にニホンオオカミのフレンズだったやつと、俺の前にツチノコのフレンズだったやつが前に会ったことがあって、その時に記憶をお前がぼんやりと受け継いでるんだよ」


「僕じゃないのに、どうして僕が覚えているの?」


「個としてのフレンズのありかたは、そんなにはっきりしたもんじゃないんだ」 とツチノコが続けた。「ここから先は他人の受け売りなんだが、俺たちの記憶は、俺たちの中にあるサンドスターに貯められるんじゃないかと言われてるんだ。俺たちが消えた後、その時のサンドスターを使ってフレンズが生まれると、若干俺たちの記憶を受け継ぐらしい」


説明しながら、ツチノコはあの憎たらしいキツネの神様を思い出していた。今頃はどこで手を引いているのだろう?


「わかんないけど、僕の中にあるこのぼんやりとした記憶は、気のせいじゃないってことなんだね」 とニホンオオカミは嬉しそうに言った。


「ああ。多分、どこかずっと前の世代で会ってるんだろう」 とツチノコは言った。


「記憶……」 とスナネコがつぶやいた。


「何か思い出したか」 とツチノコはスナネコに聞いた。


「いえ……覚えているのは、あつい砂と、真っ青な空と……おうち?……涼しくて、ひんやりしてて……」


「その子、何か思い出せないの?」 とニホンオオカミがツチノコに聞いた。


「ああ。自分の家が思い出せないんだ。それでずっと、家を探しながら歩いてる」 とツチノコが言った。


「そう、おうちは……涼しくて、ひんやりしているのに、真っ暗で。ここみたいに、真っ暗で。その、奥には……真っ暗な……ツチノコ?」


スナネコは、暗闇の中で自分を見ているツチノコを見た。鈍く光る瞳と、赤く光るフードの飾りを見つめた。


大きな雷が落ちた。一瞬三人の顔が鮮明に照らされて、その直後にバリバリという大きな音が響いた。


「ボクのおうちの奥には、ツチノコが……ツチノコがいた気がします……これは……?」


「前の世代の記憶なんじゃないか。俺はそんな景色に見覚えはないな」 とツチノコが静かに言った。


「この記憶は……前の……ですか? だったら、今の僕のおうちは……どこですか…?」


「だったら、そこに俺がいたっていうのは、多分気のせいだ。じゃないと説明がつかないだろう」 とツチノコは言った。


「そう、ですね」 とスナネコはうなだれて言った。「ボク、ちょっと疲れました。今日はもう寝ますね」


スナネコはその場で横になると、動かなくなった。時折規則正しく胸が上下する。


「毛布かけてあげなきゃ」 とニホンオオカミが言うと、スナネコに近寄った。


「にしても、この子かわいいね。天使みたいだ」


「変なことするなよ」


「大丈夫大丈夫。食べないよ」 ニホンオオカミは笑った。


「この子がさっき思い出そうとしてたこと、あれは全部気のせいなのかな」


「さあ。どうなんだろうな」


「でも、もし気のせいじゃないとしたら、君の中にも記憶が残ってるはずじゃん。それをこの子に教えてあげないのは、ちょっと卑怯だと思うな」


「俺は世代の違う記憶は混ぜないようにしてるんだ」 とツチノコがぴしゃりと言った。「それは俺の記憶ではないし、俺じゃない奴がやったことに何か感じても、どうしようもないだろ」


「それでも、その記憶がこの子のおうち探しの役に立つんだよ」 とニホンオオカミが言った。「君はこの子のおうちを本当に見つけてあげようと思ってるの?」


二人はしばらく沈黙した。


「お前、純粋なことしか言わないから耳が痛えよ」 とツチノコが言った。「前の世代でも多分そういう奴だった」


「そうなの? あはは、ちょっと照れるなあ」 とニホンオオカミが言った。


「もうちょい声は小さくてもいいんだぞ」とツチノコは言った。


「確かに、以前あいつはああいう所に住んでいた。俺もあいつのそばに住んでいた」とツチノコは言った。


「そうなんだ。それって、今の世代の話?」


「いや、世代が違うのか一緒なのかは微妙なところなんだが」とツチノコは言葉を濁らせた。「俺もどうやって帰ったらいいか忘れたんだ。だからこうやって、一緒に探してる。俺はもともとどこにもいないようなもんだったから、おうちなんてのに執着はないんだけどな」


「そっか」 とニホンオオカミは言った。「それ、この子には言わなくていいの?」


「言ったってどうしようもないからな。俺も帰り道忘れたんだから」


「じゃあ、これからも一緒に探すんだね」


「そうだ」


「見つかるといいね、おうち」 とニホンオオカミが言った。


「ああ」 とツチノコは生返事をして、スナネコの寝顔を見ていた。


外の風は強く、雨もバラバラとニホンオオカミの家を叩いていた。


***


翌朝、あれだけ立ち込めていた雲も消え、外はすっかり明るくなっていた。


雨に冷やされたのか、空気もすっかり涼しくなっていた。


「おおー、綺麗に晴れたねえ」 とニホンオオカミが言った。


「涼しくなりましたね」 とスナネコが言った。


「うん! これからはもっと涼しくなって、もっと過ごしやすくなるよ」 とニホンオオカミが言った。


「それじゃあ行くぞ、スナネコ」 とツチノコはスナネコに言い、次にニホンオオカミを向いた。「昨夜はありがとう」


「いいよいいよ。僕もすっきりしたから」 とニホンオオカミが言った。


「何かしたのですか?」 とスナネコがツチノコに聞いた。


「いや、特には」 とツチノコがあしらった。


「そうだ、これあげるよ」 というと、ニホンオオカミは丸い石をスナネコに渡した。


「なんですか、これ」


「おまもり。これでも私は昔から不思議な力を持っていて、ヒトに敬われていたんだよ」


「逆だよ。敬われていたからフレンズになった時に力を持ったんだ」 とツチノコは言ったが、「ま、今となってはどうでもいいよな。ありがとう」 と付け加えた。


「道中気を付けてね」


「ありがとう」


「またどこかであえるかな。次の世代とかでも」


「さあな。ま、そのうちどこかで」


ツチノコは、ニホンオオカミに手を振って別れた。


地面の水たまりが、晴れて透き通った空の青を反射している。


夏が終わり、涼しい風が吹いていた。


つづく




暮れゆくままに、ものも見えず吹きまよはして、いとむくつけければ、御格子など参りぬるに、うしろめたくいみじと、花の上を思し嘆く。

源氏物語

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る