星宮の祭にて、男と女は出会いに目覚める

兵藤晴佳

第1話

「ねえ、そろそろじゃない?」

 高校卒業後、共に上京した同郷の女の子と、街中でばったり会った。

 かき氷でも食べようと近くの喫茶店に入ったところで、すぐ目の前には天井近くまで立てられた笹の葉がを、さやさやと短冊を揺らしていた。


 僕の生まれた村には、不思議なお祭りがあった。

数え年で男の子も女の子も4歳・8歳・12歳・16歳、そして20歳になると、七夕の夜に星宮と呼ばれる神社に集まる。

 つまり、4年に1ぺんだ。

 篝火の焚かれた拝殿の上では、近所のお兄さんやお姉さん、おじさんおばさんたちが宴会をしているけど、男の子と女の子はそこでいったん分けられる。

各々、神社を挟んで流れる川に沿って、杉や松の生い茂る山奥深くへと歩かされると、やがて、岩場に囲まれた深い淵が見えてくる。

 その岸には丸太を立てて藁屋根をかぶせただけの、急ごしらえの拝殿がある。


「恥ずかしかったなあ、アレ」

 彼女はクリーム金時をスプーンでざくざくやりながら、口を尖らせてつぶやいた。

 僕らはあの拝殿でで服を脱ぎ捨てて、川で身体を浄めさせられることになっていたのだ。

 なんでも、この服が現世の肉体にあたるらしい。それを脱ぎ捨てた僕たちは、身体を抜け出した魂というわけだ。

「そうだったな」

 気のない返事をしながら、結構流行っている店内を見渡す。

 僕も、彼女と同じことを思い出したからだ。

 もっとも、暗いので、男の子も女の子も、お互いの裸身をはっきりと見ることはできなかったが。

 それをなぜ、僕が知っているのかというと……。


「知ってる? あの儀式の言い伝え」

 話をそらそうとして披露した超ローカルなトリビアに、彼女は目を輝かせて飛びついてきた。

「どんな?」

 こんな話だ。

 昔、この辺りにさる大尽がやってきて、若い男女を下働きに求めた。実はそれが災厄神で、仕えたものは魂を汚されて人外の獣にされてしまう。

 それを知った村人が天に祈ると、若者たちの魂は身体から抜け出して星になった。

「つまり、自分の服を肉体に見立ててるわけね?」

 察しのいい娘になった。いや、昔からそうだったか。

 彼女の読んだ通りである。

 男も女も、肉体を離れた、つまりまだ互いに異性を知らない身体を冷たい水で洗うのがこの儀式なのだった。


 さらに、この儀式には続きがある。

 水から上がった僕たちは、闇の中で、星明りだけを頼りに白装束へと着替えさせられるのだ。

「あれ、けっこう大変でさ」

 それも同感だが、考えてみると、それなりに意味がある。

 もと来た道を歩いて星宮神社に戻ると、僕たち男女はいつもと違うお互いの姿を篝火の灯の中で見出すことになるのだ。

 そのときの彼女がどんな感じだったか思い出そうとして、僕はつい、かき氷が運ばれる口元をじっと眺めてしまっていた。

「ちょっと!」

 彼女が顔を赤らめて抗議したのは、それを察したからだろうか。

 確かにあの時は当然、お互い下着なんか着けてはいなかったんだけど、そこで胸が高鳴ることはなかったのだ。

 酒盛りをしていた近所のお兄さんやお姉さんたちが、足もとで酔っぱらって眠っていたからである。 

「いや、あのときのこと思い出すとおかしくってさ」

 僕はとっさにごまかした。

 周りには素焼きの器に、水で溶いた色とりどりの絵の具が満たしてあった。僕たちはそれを手に取って、最も年の近い大人たちの顔に、落書きをしたのである。


「これも、さっきの話の続き」

 さらに、僕は種明かしを続けた。

 騙されたことを知った災厄神は、自らも肉体を地上に置いて天空へと舞い上がり、羅喉星(ほうき星)となって若者たちを食い尽くそうとした。

 だが、それを察した若者たちは元の肉体へと戻り、災厄神の身体に魔除けの印を描いた。見かけを変えてしまえば、追ってきた災厄神の魂がどこへ戻ったらいいのか分からなくなってしまうからだ。



「だから、おじさんおばさんたちの出番か」

 彼女はクスクス笑いだした。

 お兄さんお姉さんの顔にバケツの水をかけて、絵の具を洗い流してしまう。酔い覚ましの意味もあるんだろうけど、ずぶ濡れのお兄さんお姉さんたちは、起き上がることはない。

 僕たちは僕たちで、目についたその足を手当たり次第に掴んで、頭と場所を入れ替えてしまう。


「これが表しているのが、さっきの話の結末」

 僕はインテリぶって、笑ってみせる。

 起こった災厄神は大雨を降らせて、魔除けの印を洗い流してしまうのだった。だが、鳥になって舞い降りてきた魂は、身体の中に戻ることができなかった。頭と足の向きが逆になっているので、潜りこむべき口を探し出すことができず、そのまま死んでしまったのである。


「そろそろ、行くね。講義が始まるから」

 彼女とのささやかな祭は、終わろうとしていた。

 地元の、あの祭の終わりはといえばおじさんおばさんたちの大合唱だ。

 ……「おめでとうございます」。

 これで僕たちは、地域の中で大人の仲間入りを果たすわけだが、彼女はショルダーバッグを手にしながら言った。

「何とも思わなかったな、あれ」

 男の子はというと、ドキドキだった。

 濡れた服を身体にまとわりつかせたお姉さんたちが身体を起こすと、すべすべした脚に触ったことを思い出すのだから。

 そんなことなど見抜いていたかのように、彼女は笑顔で追及してくる。

「ホントは考えてたんでしょう、いやらしいこと」

 ごまかしても無駄だ。

 あのときだって。

 同じことを経験してきたずぶ濡れのお兄さんたちに、しつこく感想を聞かれたからである。

 だから、返事はしない。彼女も、それは察してくれたようだった。

「めんどくさいね、ああいうしきたり」

 この日を境に男あるいは女と見なされた後は、年中行事に駆り出されもするし、働きが足りなければ頭をドヤシつけられることになる。

 中には、将来のお嫁さん、お婿さんとしてマークされるヤツもいたりするが。


 さえ、高校を卒業して東京の大学へ進学した後のことである。

「え? もう?」

 地元に残った悪童たちから聞いて、唖然とした。

 帰省してみたら、この祭はなくなっていたのだ。

「なんでも、たまたま外から訪れた旅行者が祭の様子をネットで流したら、炎上したらしい」

 そこで、どこかの偉い人たちが、「セクハラだ」とかなんとか騒ぎ出したらしい。

  僕はようやく、これだけ答えた。

「いろいろと後ろめたい……」

 確かに、外部との交流が乏しかった時代に、コレは山奥の村が存続するには必要な秘祭だったろう。

 男女が異なる性の存在を知り、その成熟した姿に触れ、最終的には伴侶までも見つけ出す機会だったのだ。

 交通も情報も保証された今では、もはや意味を成さないと言われても仕方がないが。

 悪友も苦笑いした。

「それ言うなよ」

 

 僕は思い出した。

 悪童たちと裸で山の中を走って、神社の反対側の淵を覗きに行ったときのことを。

 星明りの中で見えるものなどたかが知れているが、闇の中には杉や松とは違う、何かの微かな芳しさが感じられたものだ。

 男の子たちの間でこっそりと伝えられた公然の秘密であるが、現代の良識というヤツに照らせば……

「ま、天罰ってやつさ」

 かき氷を口にしながらまっすぐに見つめてきた彼女のことを思い出すと、こう強がってみせるしかなかった。

 そして、僕は20歳になる。

 今年こそは、彼女に……。

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星宮の祭にて、男と女は出会いに目覚める 兵藤晴佳 @hyoudo

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