第78話 えくぼ

 翌朝、沙絵はいつもより1時間近く早く学校に着くと、昨日教頭から聞いた、盛り塩をしている場所全部の場所をもう一度、見回った。


 学校に盛り塩が幾ヵ所もあり、それを教頭や桑田や杉田がしていたことを知っていたことを話し、これからは自分にも手伝わせて欲しいと教頭に直談判し、男子更衣室や男子トイレなど、沙絵には無理な場所以外はやらせてもらうことになったのだった。


 職員入り口から校内入り、職員室にカバンを置くと、まず職員室を出て階段を挟んだ向こうの職員女子更衣室に行き、細い小部屋に並ぶロッカーの端の、こんなところにあったっけ?と思うような隙間に置いてある、小さな脚立を出し、それに乗ってロッカーの上を覗いた。


 昨日、帰りにチェックしたと同じ場所に同じように、盛り塩はそこにキチンとした形でそこにある。沙絵は脚立を戻すと部屋を出て、その横にある職員用女子トイレもチェックした。


 階段を上がり、音楽室、家庭科室、理科室等々、数か所の盛り塩を見て回り、どこも変化のないことに安堵しながら、教室側の階段を下りて子供たちの下駄箱に向かった。


 つま先立ちをして、2ヵ所にしてある盛り塩を確認すると、その一つが壊れていた。


「えっ?昨日の帰りにはちゃんと盛れていたのに、どうして……」


 沙絵は傘立てと下駄箱の間にある脚立を持ち、それが壊れている低学年の子たちが使う下駄箱に持って行くと、周りに誰もいないことを確認するとそこに立ち、両手で盛り塩を綺麗に作り直した。


「これ、上から叩き壊したみたいだわ」


 その崩れ方は、あきらかに人の手が加わったものだとわかり、沙絵の心に影を落とした。


「まさかとは思うけど、また美咲さんじゃないよね」


 すぐに頭に思い浮かぶのは、以前盛り塩を壊して回っていた美咲の存在だった。


 沙絵は不安に駆られ、速足で生徒用の女子トイレに向かった。


 もし、美咲がやったのだとしたら、美咲の身長で容易に届く場所、盛り塩がある場所がわかっている場所だろうと思ったからだ。


 トイレに入ると、身体を屈めるようにして手洗い場の下に目をやった。


「ああ……ここもだ」


 沙絵は眼を瞑ると、目に見えてわかるほど肩から力が抜けた。


 やっぱりと思う気持ちと、いや、まだ美咲がやったとは限らないんだしという少しの希望に自分を奮い起こし、しゃがんでそれを直そうとしたその時、誰かが廊下を走る音がした。


「急がなきゃ。もうみんな登校してくる頃だわ」


 沙絵は急いで盛り塩を直すとトイレ入り口から外を窺い、誰もいないことを確認して廊下へ出た。


 先程盛り塩を直した下駄箱に行くと、少しずつ子供たちが登校し始めてきた。


「おはよう。早いわね」


 同じように子供たちの様子を見に来たのか、麻衣がやってきた。


「おはようございます。休み明けですから子供たちを迎えてやりたくて」


「私も。やっぱ休み明けは子供たちの様子も気になるよね」


「おはようございまーす」


 いくつかの声がかぶさるようにして、挨拶の声が響いた。その挨拶に挨拶を返すと、沙絵と麻衣は顔を見合わせると、ニコリとして頷いた。こちらが返す挨拶に笑顔を乗せると、子供たちのたくさんの笑顔が次々と返ってくる。


 麻衣とアイコンタクトで「よかった」と伝え合い、続けて子供たちを迎えていると、美咲がやってきた。今日も一人だ。


「美咲さん、おはようございます」


「おは、ようございます」


 大人しい、顔をやっと上げてくれる美咲だ。そうだ、これが美咲だ。やっぱり違う。こんな子があれを壊し続けているなんて、やはり考えられない。


 美咲は挨拶以外では一つの音もたてずに、手提げから上靴を取り出して上がり段に置くとそれをそっと履き、靴を持ち下駄箱に静かに入れ、教室に向かう廊下にまた一段上がって教室に向かった。


 その美咲の仕草を見守っていると、ふと、その美咲の足元、美咲が上靴で歩いたところに、薄っすらと上靴の底の形が残ったことに気付き、沙絵はその違和感に目を閉じ首を傾げた。


「おはようございます」


 結美だ。明るく元気な声に顔がほころんだ。沙絵は両頬を両手で軽く触る程度に打つと、結美に向き合った。結美は今日も近所の2年生と一緒で、隣の下駄箱に上がって行く子と、バイバイと手を振り合っている。


「おはようございます。今、美咲さんも来たところよ」


「美咲ちゃん?」


 結美はそう呟くと、頷く沙絵を笑顔で頷き返すと、嬉しそうに小走りで上がって行った。2人が仲良くなって、本当によかった。


 沙絵がホッとしたようにそれを見送っていると、背中から大きな声が聞こえた。


「おはようございます!!」


 大きな2つの声が重なっていたが、これが大也と優太であることは沙絵には声ですぐに分かった。


「優太さん、大也さん、おはようございます」


 こちらは大きな音を立てながら、上靴に履き替えると、バタバタと靴を入れ前を行く優太を大也が追いかけるようにして、廊下へ上がった。


 すると、ふと、大也が立ち止まり空を見上げた。


「えっ?」


 その瞬間、沙絵は自分の背筋を何かが這い上がっていくのを感じた。大也はこちらに振り返ると、空を指さし沙絵に向かって、こう言ったのだ。


「せんせ、ふわふわさんがいるよ、ふわふわさん。……ほら、えくぼのせんせ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る