第74話 清瀬川4
その日の朝、沙絵は目覚ましをかけずに眠ったにもかかわらず、いつもと同じ早朝に目覚めてから、ああそうだ、今日は休日だからまだ眠れるなと、また目を閉じた。
が、閉じた目の中は起きているときよりも鮮明になりはじめ、今日の日程を頭に起こし、清瀬川、清瀬川、その川の名を心で呟きながら、家からの道順を頭の中で辿っていた。
「ダメだ、寝てられないや」
今日、杉田先生は2時前には母親の実家に行くと言っていた。ご一緒したいと願い出たが断られた。
それはそうだろう、杉田志保の目的は、マー君……正樹さんがどうして命を落としたのか、それを確かめに行くのだから、自分がついて行ったら邪魔というか、気が散るだろう。断られるのは当たり前だ。
が、やはり気になって仕方がなかった沙絵は、杉田先生とは離れて様子を見に行こうと考えたのだ。
健太や篤史と話せるのに、正樹の存在も名前もわかっているのに、その名前を呼ぶこともできるのに、杉田先生が正樹の姿を目にできないことが、何か漠然とした不安を沙絵に感じさせていた。
ベットを抜け出した沙絵は、カーテンを開け、まだ朝なのにすでに熱い太陽に顔を向け、ラジオ体操第二の頑張ろうポーズの姿勢で大きく伸びをすると、レースのカーテンを引きベットを整え身支度を始めた。
いつもとおんなじルーティンは、休日でも変わりない。
数日分の溜まった洗濯ものを普通と手洗いに仕分けして、1度目の洗濯をしながら、電気ポットで湯を沸かし、コップに粉のジンジャーを入れ、湧いた湯をそこに入れた。
毎朝、起きて一番最初にお腹に入れるのは、この生姜湯が沙絵の鉄板だった。
本当は生の生姜をするほうがいいのだろうが、忙しい朝、そんなことをしている余裕はないので、粉の生姜でもそう大差ないと信じることにしたのだ。
冷え性予防に始めたこれが体調に合ったのかわからないが、ここ数年風邪一つひかない。冬も夏でも、この朝の生姜湯は健診などでご飯抜きの日以外はずっと続けている。
お湯が冷める間に、朝ご飯用に買っておいたバナナをカットし、ヨーグルトと和えると、ハチミツをかけ一袋分を刻んでおいたクルミを小さじ一杯振りかけた。
これも毎朝の習慣で、母親が毎朝フルーツヨーグルトにハチミツとナッツは欠かさず出していたので、独り暮らしになってもなんとなく続けている。
母に言わせると、「それが『三つ子の魂百まで』ってことなんじゃない?」だそうだ。子供の頃からの習慣は、なかなか変わらない。
朝食を終え、洗濯物を干し、平日にはほとんどできない掃除をして時計を見ると、まだ10時前だ。ここから清瀬川までは1時間はかからないだろう。
杉田先生は清瀬川に行く前に母親のご実家に顔を出すと言っていたし、はじめて行く場所なので、バーベキューなどをする人たちのために、所々に車が止められる場所があるようだが、その辺りの距離感がよくわからないので、早めに行くつもりではいたが、それでも12時ごろに出れば十分だろうと思っていたので、沙絵はその2時間ほどを、教材づくりに充てた。
2学期の準備にはだいぶ早いが、必要なものはさっさと作ってしまうのが、普段の仕事を楽にすることに繋がるのだ。
セットした時計のタイマーが11時半に鳴ると、沙絵は手洗いを済ませ、すぐに出られるように準備してあったバックを持ち部屋を出ようとし、ふと、「あっ」と思い出し、ベット脇まで戻ると、母から借りた懐中時計を首にかけた。
先日実家に向かった時と同じように、駅の北口に向かい、頼んであった2人分のサンドイッチを受け取ると、それを保冷剤入りのクーラーバックにしまい、浅羽町に向かい車を発進させた。
駅前の道を商店街を通り抜けると、右折が国道、左折が浅羽山の信号を見逃さないよう注意深く確認し左折した。
しばらく行くと、地図確認した時に見つけたコンビニがあり、この道で間違いないことを確認し、そのコンビニに立ち寄りペットボトルの紅茶を2本購入した。
サンドイッチも紅茶も2人分だ。
杉田先生には内緒でそこに向かうが、もし向こうで会えたら、いや、見つかってしまったならば、木陰の川辺で一緒にそれを食べるのもいいかもしれないと思ったのだ。
コンビニを出て15分ほどで橋に差し掛かった。この橋の下が、清瀬川になる。橋を渡り左折すると、清瀬川に沿って走ればいい。一本道だ。
この道を進んで行くと、また一つ橋を渡り、今度は右折して川沿いを行き、また一つ橋を渡り左折して、ほどなくして公民館が左側に見えてきた。
ということは、この辺りのどこかに車を止めればいいなと、沙絵は先程の橋を渡ってすぐのところに河原に向かって車で降りていけるところがあったのを確認していたので、そこに止めればいいのかなと、どこかでUターンをと思い、先に進んで行った。
すると、また橋に差し掛かった。この橋は、浅羽町に入ってから渡ったこの前にあった3つの橋より大きめで、片側2車線ある橋だった。
その橋を渡ると、左折方向である川の流れるほうに向かい道があるのが見えた。そこにも広くなっているスペースがあり、あそこでもいいなと思ったが、そこからだと河原に下りるところが見当たらない。しかも、すぐ下は川に水の流れがあり、岩場もあるがそこを下りても河原に行くことはできそうもない。
沙絵はやはりここはUターンし、この前の橋のところから下りたほうがいいだろうと思い車を広場に入れ、戻ろうとした。
車を進めようとして、ふと河原に人の気配を感じ顔を向けた。
「あら、杉田先生だわ」
それは、河原を橋の方角に向かってくる志保の姿だった。
沙絵は急いで車を広場に戻すと、後部座席においた日よけのカバーを取りフロントガラスを覆った。そして、河原にいる杉田先生に聞こえないだろうと思ったが、静かにドアを開け車を降り、日差しよけのため持ってきた夏用の風通しのいいパーカーを羽織り、ジッパー付きのポケットに車の鍵を入れ、静かにドアを閉めた。
沙絵は杉田先生の様子を窺おうと、ゆっくりと、河原にいる杉田先生がこちらに気付かないよう、その姿が見えるところまで堤防に出てみようとした。
が、いつまでもその姿は見えない。
「あら?杉田先生、河原を戻っちゃったのかな?」
沙絵は杉田先生の姿を探しながら、橋まで行けば開けているので杉田先生が見えるだろうと思い、橋に向かった。
空が真っ青で、穏やかな深そうに水を湛えた川は、その流れがとても緩やかで、空の色を反射して、まるで青い大きな水たまりのように見えた。
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