第71話 母の実家



 母から正樹が溺れた日のことを聞いた翌日、志保は母親の実家へと向かった。


 子供の頃には、父や母が車の運転をし、後ろに乗っていた私には、景色が次々変わる長い長い道のりで、それが街の中からどんどん山が近くなり、畑や田んぼの風景が増えて、橋をいくつか渡ると、いよいよだとどんどんと胸が湧き立ったものだった。


 今、私は沸き立つ思いなんだろうか?


 あの頃と似た胸の高鳴りを感じながら、志保はバスの通る片側1車線の広い通りの左手にある公民館を越えると右折して、田んぼの間の道に入った。


 このメインの通りからは左右に同じような細いあぜ道がいくつもあり、その先に家が並ぶという造りになっている。


 一本間違えて曲がると、下手をすると行き止まりに家がある場合もあるので、目印に公民館がある母の実家はとても分かりやすいのだ。


 その車1台分しか幅のないあぜ道の突き当りを左に曲がったところにあるのが、母の実家だ。


「変わってないな」


 家の前は広い庭があり、その一角には色々な植物が植えてあり、夏の今、青々とした威勢のいい葉が太陽に向かって生えていて、その向こうにある離れの壁側には向日葵が並んでいる。


 志保は家の前に車を止めると、祖母が好きだった和菓子の杉屋の豆饅頭を持ち車を下りた。


 車の音を聞きつけたのか、母屋と離れの間の通路から伯母が出てきた。


 子供の頃に見たのと同じようなエプロンをつけているが、その顔は母と同じくらい年輪を重ねた顔になっており、髪は白いものがだいぶ目立ち始めていた。


「こんにちは」と志保が声を掛けると、


「志保ちゃん、久しぶりだねぇ。元気にしてるかね?」


 伯母は穏やかに笑みを浮かべており、その目は会う度に優しいものに変化しているように思う。


「はい、元気です。すみません、なかなか来られなくてご無沙汰しちゃって」


「ううん、来てくれてありがとうね。さあさ、入って入って」


 母屋の玄関引き戸を開けると、昔と変わらず懐かしい奥まで続く土間の左手に、膝上ほどの高さの上がり框のある玄関が目の前に広がり、子供の頃、ここはすごく高く感じていたけれど、大人なら座るにはちょうどいい高さだななどと思いながらそこを上がり、その8畳間の奥にある6畳間の仏間に行くと、志保は仏壇の前に座り、横に饅頭を置き「お祖母ちゃん、来たよ」と声を掛け、ロウソクに火を点け、その火で線香にも火を点けた。


 不思議なものだ。


 と自分でも思った。なぜだろう。なぜ、「お祖母ちゃん」と声を掛けるんだろう。杉屋の豆饅頭を買ってきた。これはお祖母ちゃんが好きだったものだ。


 そういえばマー君は、何が好きだっただろうか?それがすぐに思い浮かばない志保はとても悲しくなり、上に飾られたマー君の遺影を見て、「マー君、来たよ」と声を掛けた。


「志保ちゃん、ありがとね。お祖母ちゃん喜ぶよ。さあさ、お茶入れたから、こっちおいで」


 伯母も、「お祖母ちゃん喜ぶよ」なんだな。


 伯母にとって、私がくることイコール、お祖母ちゃんに会うになるんだな。なんだかそのことがすごく不思議なことに思えた。そして、すごく申し訳なく思えた。


 私は今日、マー君に会いに来たはずだ。なのに伯母にそう言えない。マー君は、どこにいるんだろう?何故か、今、ここにはいない気がした。

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