第69話 寺へ
翌日の日曜日、沙絵は昨夜、母から持たされた夕食の残りの五目寿司と即席のワカメの味噌汁を朝ご飯代わりに食べると、身支度を始めた。
「やっぱり一応黒っぽい服装の方がいいのかな」と、独り言を呟きながら、「でも真っ黒っていうのも、法事じゃないしな」と、沙絵は袖の部分がレースの白いブラウスと黒のパンツに着替えると、昨夜のうちに実家から持ち帰った、母に借りた線香の入った線香ケースをバックから取り出して、蓋を開けその匂いを嗅ぐと、「こんないい匂いのお線香があったんだ。あっくん好きかな……」そう呟くと、ふと自分の周りに目をやった。
「あっくん、いる?この匂い、どう?」
返事なんて、あるわけない。そう思っても声に出る自分が自分で理解できるような出来ないような、雲をつかむとはこういうことかもしれないと、沙絵は何とも不思議な感覚に陥っていた。
身支度を済ませ、沙絵は部屋を出た。
実家から見て、田園の広がるその先、ほぼ正面の山の中腹に、そのお寺はある。昨日のように実家方面に向かうのに、沙絵はまた回り道をして北口の駅前に出た。今度は駅前にある花屋に寄るためだ。その先の商店街にも花屋は何件かあるが、この駅前の花屋はそんなに大きくないわりには駐車場が完備されていて、入りやすい。
花屋では、何の花がいいんだろう?やっぱりお墓には菊かな。でも中学生の男の子なんだし、菊じゃなくて、もっと元気な感じがいいかな。
周りを見渡すと、小さな向日葵が目に留まった。
「あれがいいかな。夏だし、元気な感じがするし、小学生の頃に校庭に植えてあったし……」
沙絵はその小さな向日葵を6本と、かすみそうを2本買うことにした。
可愛く包んでくれた白いエプロンをつけた同世代くらいの男性の店員さんに礼を言ってそれを受け取り背を向けると、「ありがとうございました!!またどうぞ」と、鮮魚屋並みの大きな声で挨拶をされ、驚いて振り返り、思わず顔を見て微笑んでいた。
その一瞬、店員があっくんの顔と重なった。
『そうか、ちょっと似てるんだ』
知らない人の顔は、いつもなるべく見ないようにしていた。こうした店員さんの顔も、やり取りしているときも目には映るけれどちゃんと見てはいなかった。
人を避ける癖は、仕事以外ではまだ完全に治ってはいなかったのだ。
店を出る時、もう一度振り返って、軽く頭を下げて出た。その店員は、満面の笑みで見送ってくれた。
「あの人、あっくんとちょっと似てたね」
車に乗ると、助手席に向かってそう声を掛けた。
……なんだか寂しい。
そんな感情に襲われて、杉田もこんなふうにしてたのかなと、なんだかいたたまれない気持ちになった。
沙絵は昨日と同じコースを辿り実家に向かうと、実家に行くためにする最後の右折をせずに直進し、子供の頃にはまだなかった、突き当りの両サイドにできた広い通りを右折した。
そこからしばらく行くと、実家のほぼ正面辺りにある山にある寺に向かう、車一台が通れるくらいの細い一本道を左折して入ると、100メートルもしないうちに、寺の駐車場に出た。
その駐車場も、以前はなかったものだった。沙絵が小さい頃には、確かここには畑があったと記憶していた。
「随分と変わったな」
綺麗に舗装された駐車場に車を入れると、バックから車の鍵を出し、お花と線香だけ持ち、車に鍵をかけた。
山の中腹にあるお寺に向かうため、駐車場の左側の坂道を登り始めると目の前には大きな木が覆いかぶさるようにたくさんの枝をつけているのが見えた。
「この木……こんなに大きかったっけ?」
沙絵の記憶にある木も、とても大きなものではあったけれど、沙絵の記憶の中では、木の大きさよりそこに隠れて出てきた白いお化け、その記憶が強烈過ぎて、木の幹の太さのほうがリアリティのある存在として残っていた。
「お前がこんなところに立っているから、いい隠れ場にされちゃったんだね」
そう木に声を掛け坂道を登りきると、寺の前庭に出た。山の中腹とはいえ、お墓のある場所なので、そんなに大きな山ではない。子供の足でも山頂までそう大変な思いをせずに登れるようなところだ。
「お寺も、昔ほど大きく感じないな」
お寺の横にある屋根のある蛇口のところに伏せるようにして置いてある手桶の一つに水を汲んでいると、水道とは反対側にある住職の家族の住まいの玄関が開き、坊主頭の住職が出てきた。
昔と変わらないおじさんな住職で、まるでそこだけ時間が止まっているようだった。買い物にでも出かけるのか、ラフな私服姿で、最初から沙絵がいることを知っていたように自然に、
「ご苦労様です」
そう声を掛けられ、沙絵はこんな時なんて返事をすればいいのだろうと言葉に詰まり、ただお辞儀をした。
「どちらにお参りですか?」
そう聞かれ、
「永井篤史さんに」と答えた。
「篤史にですか。お友だちかな……あれ、あんた、もしかしたら、友井さんとこの?」
「はい、沙絵です」
「そうそう、沙絵ちゃんだ。お母さんに似てきたなぁ。あんた、篤史に会いに来てくれただね。篤史喜ぶなぁ。あんたには本当に可哀想なことした。すまなかったなぁ。あの日私が留守したばっかりに、あんなことになって、本当にすまなかった。いつもは肝試しに立ち会ってたんだが、あの日はどうしてもと頼まれて、法事があってな、遅くなりそうで、ならばと卒業生に立ち合いを頼んだんだが、それが間違いじゃった。本当にすまんことした」
「和尚様、もうそのことはいいんです。私ももういい大人になりましたから、昔のことです。ここにもこうして何の気兼ねもなく来られるようになっていますから」
「そうじゃな、沙絵ちゃんがお寺に来てくれた。本当に安心したわ。ずーっと心に引っかかってたでな」
「すみませんでした。長いこと心配かけたままで」
「いんや、あんたが謝っちゃいかんよ。あんたはなんにも悪くないさ」
このままだと住職はまだまだ謝りそうだなと思い、沙絵は話を変えた。
「和尚様、あっくんのお墓、うちの本家のお墓の上の通りの真ん中辺りって聞いたんですけど」
「そうじゃそうじゃ、一つ上の通りだ。一緒に行くかね」
「一人で大丈夫ですよ。和尚様、出かけるところだったんじゃないですか?」
「ああ、そうじゃな、3時頃までには戻ってきたいんじゃった。すまんなあ」
「じゃあ」と行って手桶を持ち、行こうとすると、住職が「ああ、そうじゃ」とまだ話があるようなので振り返ると、
「篤史な、あの肝試しのあとも何度も寺へきてな。座禅組んどった。最初はな、6年生と卒業生全員呼んで、座禅組ませて反省させとったんじゃが、それから何度か一人でやってきて、座禅組んで反省しとったわ。沙絵ちゃんが一人でいられないんだって。とか、沙絵ちゃんが夜怖くて眠れないんだって。とかな、沙絵ちゃんのことあれこれ心配しててな。まあ、こんなこと言ったからって、あいつらがやったことは許されんが、篤史がそれだけ反省してたこと、知ってて欲しいと思ってな」
「そうだったんですか。あっくん、そんなに……」
自分の周辺、きっとここに篤史君がいて、住職の話も聞いているんですよと、今までずっと私を見守ってくれていたんですよと、いっそ住職に話してしまおうかと思ったが、喉に鉛が詰まったようで、言葉が出なかった。
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