第68話 声に出す

 沙絵の混乱は、日を追うごとに強くなっていた。


 わかっている。ちゃんと理解はできたつもりだった。


 杉田志保の話は、ちゃんと辻褄が合っていたし、杉田が知るはずのない篤史の存在が、それらを裏付ける助けにもなっていた。


 沙絵は杉田と話をしたその日のうちに、母に電話をかけ、篤史の死亡を確認した。


「えっ?誰に聞いたの?なんで今頃そんな話が……」と、電話の母の動揺した様子から、翌日の土曜にまた実家に帰る約束をし、詳しく話を聞くことになったのだ。


 部屋にいても落ち着かない。


 杉田と話した時には、あっくんがいつも自分を見守ってくれていたんだと、本当にそんなことがあるんだと不思議に思いながらも、なんだか嬉しくもあり、見えない篤史がいつも近くにいてくれるという安心感と共に、いつも篤史に見られているんだという、なんともいえないモヤモヤ感とで、いい心地とは言えない。


 気にしなければいい。今までだって、そんなこと知らずにいたわけだし、知ったところで見えない自分には、いないことと同じことなんだと、必死に自分に言い聞かせた。


 翌日、沙絵は溜まった洗濯をしながら片付けと掃除を済ませると、身支度をし実家へ向かった。


 駅の南口から北口に車で行くために、大きく迂回する必要があったが、母の好きなクラブサンドイッチを一緒に食べるために、北口にあるボヌールというパン屋に寄るためだ。ボヌールではサンドイッチの他、いくつか総菜パンを見繕って購入し、実家へと向かった。


 出迎えてくれた母は、お昼にパンを買っていくと言っていたこともあり、着くと沙絵の手元からパンの袋を受け取り、台所に持っていくと、買ってきたパンを大皿に盛り、アイスコーヒーとともにテーブルに運んできてくれた。


「もうすぐ夏休みだね。もう成績はつけ終わったんでしょ?」


「うん、もう休みを待つだけ。でも私は研修やら会議やらプール当番やら、やることたくさんだから有休はお盆休みのあとに続けて取ろうと思ってる。どこか行きたいところある?一緒に旅行でも行く?」


「あなた私と旅行してる場合じゃないでしょ。誰かいい人いないの?」


「いい人?そんな人いないわよ」


 そう言いながら、頭に浮かんだのは子供の頃のあっくんの姿だった。おかしいな、あんな話を聞いたとはいえ、自分の中では大嫌いな存在だったのに。


 不思議な感情と共に鼻から笑うような顔になってしまった。


「なんか意味ありげな顔だわね」


 その母の問いには何も答えず、タマゴのサンドイッチにパクつきながら、旅行の言葉で思い浮かんだ杉田の母親の実家……清瀬川と言ったか、そこに杉田が行ってみると話していたことを思い返し、やはり一緒に行ってみようという気持ちが強くなっていた。


「ねえ、お母さん。篤史君って、なんで亡くなったの?事故だった?もしかして、だいぶ前の話なんじゃない?篤史君が中学生の頃とか……」


「えっ?沙絵、知ってたの?」


「昔のこと思い出していたの。小学生の頃……あのことがあって、どのくらい後だったのかはハッキリしないんだけど、のぶちゃんとひろ君が、もうあっくんと遊べなくなったとかなんとか話してたことがあって、そのときはあっくんが中学生になったんだからもう遊べるわけないでしょって思った記憶があるんだけど、あれって……」


「うん。篤史君ね、交通事故だったのよ。中1の時だった。そこの金平橋の信号のところで、篤史君はちゃんと信号が青になってから渡り出したのよ。見てた人だっていたんだから。それをこっちから走ってった車が、信号が変わり際にスピード出して行ってしまおうとしてたみたいでね、しかも2月初めで昇ってきた太陽が眩しくて信号が変わったのも渡っている子がいるのもよくわからなかったとかなんとか言ってたみたいだけど、その車に撥ねられて、その日のうちに……」


「そうだったんだ。ちっとも知らなかった」


「あのことがあって、篤史君や高学年の子たちの話をあまり沙絵にはしてこなかったからね。周りも気を使って、沙絵がずっと集団で学校に行けなくなって、篤史君たちが卒業して、ようやく少しずつみんなで行けるようになってからも、みんな家で言い聞かせられてたみたいで、あの夏の話も篤史君たちの話もずっとしないように決めたみたいだったわ」


「みんなにたくさん気を使わせてしまってたのね」


「当たり前よ。今思い出しても腹立たしいわ。酷いトラウマに悩まされて、あなたは夜、ずっと一人で寝られなくなって、一人でいることすら怖がるようになってたし……」


 そう言いながら感情が高ぶった母は目を潤ませた。


「もう昔のことだから」


「そうね。篤史君、死んじゃったんだしね」


「でもさ、あれって篤史君だけが悪いわけじゃなかったよね?」


「そうね、卒業生も交じって考えたっていう話だしね。ただ篤史君は6年生で集団の班長だったから責任感じてたんでしょうね。その計画に乗ったことも事実だったわけだし。まさかあんたが、低学年の女の子が最後の順番のくじに当たるなんて、その時は考えもしなかったみたいで、4、5年辺りの男子が当たればいいくらいの気持ちだったみたいでね。じゃあ止めればよかったのに、もう雰囲気に飲まれてしまってたのかもね」


「あの日、逃げ帰る私を最後まで追いかけてきたのは篤史君だけだった」


「そう、篤史君は家までついてきて、私とお父さんに謝ったわ。でもお父さんは怯えて震える沙絵の状態を目にしてから話しを聞いて、もうカンカンだったわ」


 話があの肝試しの日になりそうだったので、私は話を篤史君へ戻そうと、一番聞きたかったことを聞いた。


「お母さん、篤史君が入っているお墓って、やっぱ……そこ?」


「そうだけど、沙絵、あそこに行くつもり?」


 あそことは、あの肝試しの行われたお寺だ。篤史君は、きっとそこだろうと思っていた。この辺りに住んでいる人たちは、だいたいがそのお寺が菩提寺なのだ。 


 たが、沙絵は最終確認のつもりで聞いたのだ。


「お墓、どの辺?」


「うちの本家のお墓、わかる?」


「確か、一番左の真ん中辺りじゃなかった?」


 私は古い記憶を辿って、記憶の底にあるその場所を探り当てた。本堂の左側から山に続く道を上がって行くと、その途中にあるお墓に何度か行った覚えがあったのだ。


「そうそう、覚えてたんだね。あれ以来一度も行っていないのに」


「逆に行ってないから覚えてるのかもよ。だって、私に覚えのあるお墓って、そこだけだもん」


「そうかもね。その本家のお墓の一段後ろの並びの真ん中辺りだよ。その通りにある永井家はそれ一つだけだから、すぐにわかるよ。でも、なんだって急にそんなこと聞くの?」


 残り少なくなった、氷がほとんど溶け薄くなったアイスコーヒーを口にし、ひと息ついてから、母がそう尋ねた。


「なんかさ、最近、篤史君が夢に出てくるんだよね。それでなんか気になって」


「夢に?なんだろうね。学校で子供を相手にしているから昔のことを思い出しちゃったのかね」


「そうかもしれない。だからお参りさせてもらおうと思って」


「沙絵、私も一緒に行こうか?」


「ううん、一人で大丈夫よ。もう子供じゃないんだし、あの頃のことを思い出しても、もうなんとも思わないし」


 母が一緒だと、あっくんに話しかけられなくなる。それは困る。何を口に出すか自分でもわからない。


 沙絵は語り掛けたいと思っていた。心の中だけではなく、ちゃんと口に出して。

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