第64話 守り人2



『おい。……おい、おい!!どこだ?どこに行ったんだよ』


 篤史は正樹が包み込んで消えた志保に向かって、そう呼びかけた。


「どうしたの?」


『消えた。あいつ、あんたを抱くようにして消えちゃったよ』


「消えた?マー君、マー君、どこ?マー君、どこ?どこにいるの?」


 志保は正樹がいたと思われる場所を左右に首を振りながら探したけれど、見えない正樹は見えないままだった。


『いないよ、ここにはもう、いない』


「マー君。ごめんね、ずっと忘れてて、ごめんね……ごめん」


 そう呟きながら涙を流す志保を目にして、志保の言葉しか聞こえていない沙絵は、それまでの話を自分ながら想像し、理解しようと必死だった。


 自分に見えていない人がいることに対しては、すでに疑いはなく、志保が聞こえる『あっくん』の言葉を、耳で聞けないのであれば、心で聞き取ろうと、志保の言葉から『あっくん』の言葉を受け取っていた。


「杉田先生、大丈夫ですか?」


「沙絵さん、ごめんなさいね。何の説明もなしで、訳が分からないわよね、ごめんなさい」


「いいえ、先生の言葉から、何となく想像ができましたから」


「自分を護ってくれている人の姿が見えないって、……寂しいわね」


「杉田先生、その、正樹君のこと、全く見えないんですか?」


「見えないの。……いえ、もうずっと以前、子供の頃に見えたことはあったの」


「見えていたことがあったんですか?」


「そう。あの年は確か私が小学校の2年だったかしら……夏休みに兄たちの行事の予定で母の実家に私だけが泊りがけで行っていて、それまでも何度も泊りがけで行っていたから、従兄弟の正樹君とは、よく一緒に遊んでいたの。正樹君は私より一つ歳が上で、年齢も近かったから。でも、あの年、いつものように正樹君と遊んでいたんだけれど、その正樹君の姿が見えなくて、正樹君の部屋に探しに行って……そう、その日はお盆の14日で、お寺のご住職が盆経をあげに来てくれる日で、親戚が集まって、お経が始まって、私は2階から下りてきて土間からその様子を見ていて、住職が拝む姿の向こうに目が留まったの。正樹君の写真がそこには立てられていて、黒い枠の写真で……私、たぶんそのとき意識が遠くなって倒れたような気がする。その日以来、正樹君には会っていない」


「それって、正樹君の死を意識した途端、見えなくなったってことですか?」


「たぶん、そう。でも、考えてみたら、私、あの日以来マー君の名前を呼んだことがなかった」


「今日、名前を読んで、その存在を意識したんですよね?じゃあ、話せるようになるんじゃないですか?健太さんがそうだったって、さっき言ってましたよね?篤史君もそうだし、だとしたら正樹君とだって話せて、もしかしたら見えるかも」


「私もそう思ってた。マー君、……正樹君って呼んで、そうしたら正樹君に会えると思ったのに、正樹君が見えない」


 そう言って、志保は肩を落とし、深い溜息を一つ吐いた。


「それで、正樹君がいなくなって、とりあえず学校でおかしなことはなくなるってことなんでしょうか?」


「そうね、健太が言っていた『あいつ』がマー君なら、そういうことになるのかな。なんだかちょっと複雑な心境だけど」


「この鏡、どうしましょう?」


「篤史君、この鏡、こうして合わせ鏡にしておくと健太はここから出てこられるかな?」


『わかんないけど、もしかしたら出口を見つけられるかもしれない。でも、健太以外の人も出てこられちゃうよ。逆に吸い込まれることもあるし』


「篤史君も吸い込まれちゃうかな?」


『僕はそんなへましないよ。ここにあるとわかっていれば、避けられるから』


「本当ははずしてしまったほうがいいのかもしれないけれど、沙絵さん、しばらくこのままにしておいていいかな?もし、健太にまた会えたら……」


「そうですね、そうしましょう。鏡が落ちたりしないよう、気をつけているようにします」


 健太がいない違和感に、まだ諦めきることができない志保は、しばらく壁にかかる鏡の向こうに健太を探していたけれど、そこには健太も正樹も姿を現すことはなかった。


「沙絵さん、今日はありがとう。あなたのおかげで篤史君と話せて、本当によかったわ。正樹君のことも思い出したし、もしかしたらまた健太とも逢えるかもしれない希望が持てた」


「いいえ、私の方こそ今までの疑問が解けて、なんだか安心しました。知らないことのほうが不安だってこと、あるんですね」


「そうね。あと気になるのは大也君や優太君、美咲さんかな。正樹君がまた入り込もうとするかもしれないし、それをさせないために、篤史君がなにかすることもあるかもしれないし」


『僕は沙絵ちゃんを護ってるだけだよ。悪さしようとするやつをやめさせようと思ってるだけ』


「そうなんだけどね、それが沙絵さんを混乱させるのよ。クラスの子たちが危険に晒されることが沙絵さんを護ることにはならないのよ。困らせることになるの。わかる?」


『僕は沙絵ちゃんを護りたいだけなんだ。でも、わかる気がする』


「私が正樹君のこと思い出したんだし、正樹君ももう危険なことしないと思う。だから篤史君も、もう子供たちの中に入ろうとしないでね、お願いします」


 その言葉に篤史は頷き、沙絵の脇に添うように立つと、少しだけ顔を上げ、沙絵を愛おしそうに見つめた。


「沙絵さん、もうすぐ夏休みだし、そうしたら私、母の実家に行ってくるわ。正樹君の墓前に行ってみる」


「そうですね、それがいいかもしれませんね。私も、落ち着いたら母に話を聞きに行こうと思います。篤史君のことで私に話してなかったこと、もしかしたらたくさんあるかもしれないので。そして篤史君の墓前にもお参りしてきます」


「考えてみたら、なんだか不思議な話ね。私たち、似たような境遇じゃない?子供の頃に逝った子たちにずっと護られてて、その私たちが、今、この学校で出会って、お互いそのこと知るなんてね」


「そうですね」


 そう返事をした沙絵と微笑み合って、視線を下げ沙絵の横にいる篤史にも、同じように微笑むと、自分の隣にいるだろう正樹に視線を移すように左右に目をやり「マー君、ありがとう」と呟いた。

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