第61話 守護霊


「沙絵さん、ごめんなさいね。一度にいろんなこと話して、すぐには気持ちの整理はつかないだろうと思う。でも、その子の名前を知りたいの。これ以上学校でおかしなことが続かないようにするためにも。もちろんその子は何も悪くないのはわかってる。だってずっとあなたの傍にいるんだから。ね、誰だかわからない?」


「すみません、わかりません。そのくらいで亡くなっている子の話なんて、聞いたことなかったし、もしかしたら両親も知らないずっと昔に亡くなった子かもしれないし」


 沙絵の言葉を聴いて、ハッとした。そうだ、確かにいつ亡くなったのかなんて、わからないのだ。健太にしても、もうずっと以前に亡くなっているのだし。


 志保は、ここまでかと肩を落とした。


 ずっと力が入っていたのだろう。肩から力が抜けた途端、重たいものを落としたように、首筋に軽い痛みを覚えていた。


「そうよね、ずっと昔に亡くなってる子なら、沙絵さんにわかるはずないわね」


「何か、特徴とかないですか?」


 目に見て明らかに力を落とした志保を見て、沙絵は少しだけ罪悪感を感じ、そう聞いた。


「特徴?あ、そう、この子の目じり、右の目じりに黒子があるわ。言葉通り右の目の真横当たり」


 右目の真横の黒子……そう聞いた瞬間、沙絵の頭にはすぐにその顔が浮かんだ。


 あの夏の日、お寺のお墓を1周して一番奥に置かれたコンテナの上の名簿の自分のところに〇をつけ戻ってくるという肝試しをした。


 クジで最後に肝試しをした私がお寺の前庭に戻った時には誰もおらず、怖くなって逃げ走り出した私を白い布をかぶり木の陰から現れ脅かし、走って逃げ帰る私を最後まで追いかけてきた、6年生のあっくん。


 あっくんの右目の横には、そんな黒子があった。


「あっくん?いや、でも、あっくんが亡くなったなんて話、聞いたこと……」


「あっくん?その、あっくんって、何て名前なの?」


「あっくんは、篤史くん。永井篤史」


「永井篤史君?」


 沙絵の横にいるその子の名前だと思われるその名を、志保はその子に向かって呼んだ。


『ごめんね、沙絵ちゃん。ごめんね、沙絵ちゃん。ごめんね、沙絵ちゃん。ごめんね、沙絵ちゃん。ごめんね、沙絵ちゃん……』


 声が聞こえた。


 志保には、ちゃんとその声が届いた。


「どうしたの?何をそんなに謝っているの?」


 謝り続けている篤史の悲痛な声に、志保の目にはいつしかじわりと涙が滲んできた。


「なんですか?どうしたんですか?どうして泣くんですか?」


 その姿を怪訝に思った沙絵は、自分に憑いていると言われたその子が、あのあっくんなのか?亡くなっていたのかと、全く知らなかったことを次々知らされ、謝っているとまで言われ、記憶は一気にあの夏の日に戻り、追いかけてきたあっくんの姿がまざまざと思い出され、あの日の恐怖に身体中が総毛立つ思いがした。


「ごめんね、沙絵ちゃん。ごめんね、沙絵ちゃん……何度も何度も、ずっとそう言ってるわ。とても悲しそうな声で」


「やめてください。篤史君が亡くなったなんて、私、聞いてません。知りません。違います」


「今まで、この子の名前を知らなかった。今聞いて名前を呼んでみたら、この子の声が聞こえた。私が見ているこの子は、永井篤史君なんだと思うわ。『ごめんね、沙絵ちゃん』このことに何か心当たりがあるんじゃない?」


 沙絵はまた左右に首を振り、信じられない、何かの間違いだ、だってそんな話は聞いたことが……

 

 その瞬間、何かが頭の隅から顔を出した。


「もうあっくんと遊べなくなっちゃったな」


 あっくんが小学校を卒業したあとの話だ。あれは誰だった?誰が言ってたんだろう。沙絵はその時のシーンを思い浮かべようと、必死に記憶の引き出しを探っていた。


「そうだ、のぶちゃんが、のぶちゃんが言ってたんだ。同じ通学班の3つ上ののぶちゃんと2つ上のひろちゃんが、朝、歩きながらもうあっくんと遊べなくなっちゃったって。卒業しちゃったんだからと思っていたけど、もしかしたら……あの頃、両親は私にすごく気を使ってて、あっくんや近所の中学生の話をしないようにしていたと思う。あの時、あっくんが卒業したからじゃなくて、亡くなったからそんな話をしていたのかもしれない」


「沙絵さん、この子、ずっと謝ってる」


 沙絵は志保に目をやると、


「どこですか?あっくん、どこにいますか?」


「そこ、あなたのすぐ横。右側の斜め横であなたを見上げて謝っているわ。その姿、今までよく見えていた位置だわ。ずっとあなたの傍にいて、あなたを護っていた」


 沙絵は志保の言う位置に目をやり、目線を下げ、そこに篤史の目を探すように自分の目を揺らすと、


「あっくん?あっくん、大丈夫だよ、もう大丈夫。いいよ、許してあげる。だからもう謝らないで」


「もう一回、もう一回言ってあげて」


「あっくん。いいよ、許してあげる。許してあげるから、だからもう謝らないで」


『沙絵ちゃん、もう怖くないよ。僕がずっと護ってあげるから』


「沙絵ちゃん、もう怖くないよ。僕がずっと護ってあげる……って」


 その言葉を聞いて、沙絵の目から涙がこぼれ落ちた。


「ありがとう、あっくん。ごめんね、ずっと気付いてあげられなくて……杉田先生、あっくんみたいにこんなふうに誰かに憑いていることって、普通にあることですか?」


「私にもわからないわ。私はただ見えているだけで、それ以外のことはわからないけれど、見えているのはこの子だけじゃない」


「そうですか、そうですか……」


 納得できたような、そうでないような、理解できたようで、全く理解できていないような、沙絵は自分の受け入れることができる感情とそうでない感情とで、心の中はぐちゃぐちゃだった。


 けれど、謝り続けていると聞かされ、あの日のことだということだけは間違いないと理解した。なら、もう許してあげないといけないと思ったのだ。


 それは、小さな沙絵ではなく、大人になり、先生という立場になった沙絵には、あっくんの感情が切ないほど理解でき、もうあっくんの心を解放してあげなければいけないということだけはわかった。


「ありがとう、あっくん。ずっと護っててくれたんだね、ありがとう」


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