第59話 魂

 志保は事務室でまだ電話中の沙絵に身振りと唇の動きで2人が保健室にいることを伝えると、職員室に向かった。今朝、沙絵が言っていた、「大也さんが鏡を持っているといい」と言っていたことを思い出し、何気なく自分の手鏡をカバンに入れたことを思い出したのだ。


 細かな手彫りがされている『人の想い』が込められた手鏡、あれを優太の言っていた場所に置こう。優太の中にいた沙絵を護っているあの子がそう言ったのだから、そうしたほうがいい。


 志保は健太の伝えたかったことを知ることが、健太の想いに応える一つの方法だと思っていた。今起きている『よくないこと』の原因が、もしかしたらそこにあるのかもしれない。


 職員室では、自分の仕事をしている先生たちや話し込んでいる先生たちもいたり、すでに帰宅したらしい閑散とした席と、いつもの就業後の光景がそこにあり、誰も沙絵の教室での出来事に気付いた様子はなかった。


 志保は自分の席に行くと、イスの上に置いたカバンの内ポケットに入れた鏡を取り出すとそれを持ち、沙絵の教室に向かおうと振り向くと、そこに吉野がいた。


「杉田先生、ちょっといい?」


「すみません、ちょっと急いでいるので、後でも……」


「後なんて言ってる場合じゃないのよ。ちょっときて」


 そう言って、吉野は志保の左腕を掴み軽く引くと、それを離して職員室の出入り口に向かった。


 志保はそこでようやく気付いた。


 そうだ、桑田のことを吉野に気にかけててくれるよう頼んだのだった。


 志保はざっと職員室を見渡すが、2人のやり取りを気にかけている者はいそうもなかった。吉野を追い職員室を出ると、その左側、職員の下駄箱に目をやるも、吉野はいない。


「あれ?」


 昼間そこで話していたので、てっきりここだと思ったのだ。すると後ろの方から吉野の声がした。


「こっちこっち」


 そう言って手招きされたのは、先程健太とやり取りした踊り場のある階段を4、5段上ったところからだった。それを見て、志保は階段を上って吉野を追った。


 吉野は1階と2階の間の踊り場で、慌ただしく手でおいでおいでをしていた。


「あんなとこで話してたら誰かがくるでしょ」


「そうですね、もうみなさん帰る頃ですもんね」


「でね、さっき木村さんが教頭のところに来て、2人で校長室に入って行ったの。なんかあったかなって様子を窺ってたら3人が出てきて校長と教頭が下駄箱に行って、木村さんは事務室へ戻ったの。と思ったら事務室から出てきて木村さんも下駄箱へきて、3人で車で出かけてったのよ。ねえ、もしかしたら……桑田先生、かな?あの慌てよう、なんかよくないんじゃ」


「私もそれ見ました。校庭にいたので3人が車で出るところ見て、なんかあったのかなって」


「そっか、見たんだ。なんか様子がおかしかったわよね」


「そうですね、なんかみなさん怖い顔してるようにも見えて……」


「なんだか帰ろうにも気になって帰られる気分じゃないわね」


「そうですね。でも何かあったらきっと連絡がくるんじゃないかしら」


「それって、……もうダメって場合よね」


 吉野の言葉で2人とも顔を見合わせると、しばらく黙り込んでしまった。


 志保は健太が消えてしまったことと桑田のことは関係していると思っていた。


「もともと兄さんに憑いてたはず。兄さんの魂を捜したけど見つけられない」という健太の言葉で、もしかしたら桑田がいるから健太がいたんじゃないか?桑田の命が消え、健太にその魂を見つけることができなくなってしまったのではないかという考えに至っていたのだ。


 桑田がいなくなって、健太も消えた。そう考えれば辻褄が合うように思えたのだ。


「私、まだやることがあるので、何かあったら連絡しますよ。吉野さん、先に帰ってください」


「そう?じゃあ、そうさせてもらおうかな。校長たち、いつ戻るかわかんないもんね」


「はい」


「あ、ごめんごめん、なんか急いでたんでしょ?行って」


「はい、じゃあちょっと教室へ行かせてもらいます。ちょっと怪我した子がいて」


そう言って、志保は階段を上へと向かった。


 本当は用事があるのは1階だったが、吉野の目を避けるため、一度上へ向かい、昇降口の方の階段を下りようと思ったのだ。


 志保が上りはじめてすぐ、吉野が下へ下りたのがわかったので、志保は2階を通って行こうと一歩踏み出すも、やはり気になる。


 さっきまで健太がいた踊り場の鏡。でももういないことは一度確認した。けれど、もしかしたらという思いが消えず、3階の踊り場へ向かった。


 周辺に誰もいないことを確認すると、鏡に向かって声を掛けてみた。


「健太、……健太」


 やはりいない。


 どこをどう見ても、そこには自分と背景の上に行く階段と下に向かう階段が映るだけだ。


 志保は深く息を吐くと階段を下り、3階を通って昇降口側の階段を下りた。すると、玄関で声がすることに気付いた。


 階段を下り廊下に出ると、沙絵と大野が誰かと話していた。その沙絵たちが振り返り保健室に向かうと、その後ろから女性が2人ついて行った。あれはきっと大也と優太の母親だろう。

連絡をもらって、2人で迎えに来たのだろう。家が近所だと言っていたし。4人が保健室に入ったところを見届けると、志保は1-3沙絵の教室へ向かった。

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