第58話 優太

「大也さん」


 志保は大也の目線までしゃがむとそう声を掛け、大也の目を真っすぐに見据えた。


「大也さんが見える『ふわふわさん』って、いつも私の近くにいた人かな?」


「あいつ、邪魔なんだよ」


「邪魔?……大也さん、あなた大也さんじゃないでしょ。誰?」


 鼻で「ふんっ」と笑ったその顔は、子供の顔なのに、子供がする表情ではなかった。


 志保は、そのことがとてつもなく悲しかった。


「大也さん!大也さん!」志保は大也の目をしっかと見、『大也』を呼んだ。


 ガラガラガラ


「だいや!!」


 その時、教室の後ろの扉が開き、大きな声がした。

 その声に顔を向けた大也の目が捉えたのは、優太の強い視線だった。


「だいや!」


「ゆうちゃ……」


 その瞬間、優太に憑いている人が大也の身体に向かい飛び込んできて通り過ぎた。


 すると、大也の身体から何かが抜けたように大也は意識を失い、志保は咄嗟にその身体を受け止めた。


「大也さん。大也さん」


「だいや……」


「優太さん?……優太さん?どうしたの?それ、怪我してるじゃない」


 優太のおでこには、何かにぶつけたのだろうか、青くなった腫れがあり、よく見たら短パンから伸びた足の膝辺りにも擦った痕があり、それはまだ新しいものだった。


「せん……い……か、がみ、……あそこ……に」


「えっ?何?かがみ?鏡をどうするの?」


「さ、さ……え……」


 そこまで言うと、優太も志保に倒れ込むように意識を失った。


「優太さん?優太さん、優太さん!」


 その声に反応したように、大也の意識が戻ってきた。


「ゆうちゃん、ゆうちゃん。せんせい、ゆうちゃんがじてんしゃに……」


 そこまで言うと、大也は優太の手を握り、声を上げて泣き出した。


 それは小さな子供の泣き声で、志保は、ああ、これは大也だ、と、沙絵が言っていた『入り込む』の意味をようやく理解した。


 それは、よく目にする、歩いている途中だったり、偶然止まった時だったりに、たまたま通り過ぎたり重なったりするのとは違う現象で、生きていない人が意思を持って生きている人に入る。そういうことだ。


 廊下を教室に戻ろうと歩いていた沙絵は、大也の大きな泣き声が聞こえ、慌てて教室に戻ると、目に入ったのは泣き声をあげる大也と、倒れ込んで志保に抱えられた優太の姿だった。


「どうしたんですか?優太さんもきて……優太さん、優太さん、どうしたの?ケガしてるじゃないの……大也さん、優太さんはどうしたの?」


「ちょっと待って、落ち着いて。そんなに大きな声を出したら大也さんが怖がるでしょ」


 そう言いながら、志保は自分自身の心も落ち着けようと、深呼吸を数回繰り返し、


「友井先生、大野先生まだいるかしら?それと、優太さんの家にも連絡を」


「はい。すぐに」


 そう言うと、沙絵は教室を飛び出していった。


「ゆうちゃん、ゆうちゃん、ゆうちゃん……」


 泣きながら優太を呼ぶ大也の声に反応したように、優太の意識も戻ってきた様子で、薄っすらと目の開いた優太が


「あれ?だいや、……あ、じてんしゃが……い、いたい、いたい」


 優太は目の前にいる大也を目にし、安心したと同時に自分の身体の痛みに気付いたように、膝に手をやった。


「優太さん?自転車とぶつかったの?」


 優太はどうだったかと考えるように首を横に一度倒し、視線を上に上げ、思い返すようにその場面を探すと首を横に振り、


「ぶつかってない。ぶつかりそうになって、よけたらころんだ」


 そう言った優太の視線は、先程の強すぎる視線とは違って、柔らかいものになっていた。志保は大也に感じた違和感と同じものを優太に感じ、聞いてみた。


「優太さん、鏡はどこに置いたらいい?」


「かがみ?」


 優太は一言そう言い、首を傾げた。


 やはりそうか。


 優太の中にも誰かがいたんんだ。そしてそれは抜け出したけれど、その瞬間は私には見えなかった。けれど、そこにいるのは、沙絵を護っている子だ。あの子は、何かを伝えたいのだろう。それで優太の中に入り込んだ。それはいつだったのろう?もしかしたら、この優太の怪我は、そのことに関係しているのではないか。そして大也の呼び声に『優太』が反応し、あの子が優太から出た瞬間、『優太』は倒れ込んできた。


 いや、出たというよりはじき出されたのではないか。優太を護る力はとても強いと、健太が言っていたではないか。


 そういえば、健太は沙絵を護っている子はひたすら沙絵を護っていると言っていた。その、沙絵を護っている子がなぜ優太の中に入る必要があったのだろう?


 私に伝えたい何かがあった。それは、鏡の位置と、さ……さ、え……は、沙絵?沙絵にその子を認識させることができれば……それができればどうなるのだろう?そして大也に入り込んでいたものは……私には見えていないもの。


 私に見えていないもの。それはいったい……


「杉田先生、怪我してる子がいるって」


「大野先生、お願いします。優太さんが自転車とぶつかりそうになって転んだみたいで、おでこと膝を怪我してて」


 帰り支度をしていたのだろうか、既に私服姿で息を上げて入ってきた大野は、杉田の腕に抱えられた優太の怪我を見、それに触れると、


「大丈夫ね、転んで打っちゃったんんだね。保健室に行こう。消毒しないと」


 そう言って、優太を立たせると、その視線を正面で確認し、


「ぼくもいく」


と言う大也と一緒に、歩いて保健室へと向かった。


 志保は、優太の家に連絡を入れている沙絵に、2人が保健室にいることを伝えるため事務室に向かった。


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