第54話 鏡の中



 5時間目の授業を終え、終わりの会も終え教室から出て行く子供たちを目で追いながら、教卓の上にある算数ノートを揃え手に持ちながら、机に移動した。


 教室にはまだ数人の女の子が残り、帰り支度をしている友達を待っている様子だったり、一度教室を出て戻ってきた友里恵は、いつも隣のクラスの子と帰宅しているので、終わりを待っているのだろう。そんな友里恵の元に、友里恵と仲のいい早希と莉緒が近寄って行き、何やら話を始めた。2人で友里恵に付き合うつもりなんだろう。早希と莉緒は同じ方向で一緒に帰るのだ。


 後ろの方にたむろしている4人組は、日曜日がどうとか話しているので、遊びにでも行く予定を立てているのだろう。


 窓際の後ろに近い席に一人でいるのは、灯里だ。今日は仲のいい真侑がお休みで、誰も待つ必要もないのに、なんとなく一人で帰りがたいのか、なかなか気持ちが学校から離れられないのか、帰り支度はできているようなのに、動こうとせず手提げバックを開けたり閉めたりしている。


「あ、灯里さん、ちょっときてください」


 志保は灯里を呼ぶと、灯里は何かを見つけたような顔をし、志保のところまできた。


「灯里さん、明日の予定を真侑さんに伝えて欲しいんだけど。これに書いてくれる?」


 そういって、引き出しから欠席者用にコピーしてある予定帳を一枚取り出して、灯里に差し出した。


「はい」


 そう言って、はにかむような笑顔を見せコピー用紙を受け取ると、それを大事そうに両手に持ち、自分の机に座ると、予定を書き始めた。


 真侑の様子を聞くために、後から電話をかけるつもりでいたので、その時に予定も伝えようと思っていたが、予定は灯里にそれを頼んだ方がいいように思ったのだ。灯里が帰るための背を押す、そんなつもりだった。


 あとは、隣のクラスが終わり、友里恵たちが教室を出るまで後ろの4人がいたら、帰るよう促そう。やはり全員が教室から出て帰るところを見届けたい。


 放課後に会議やらなにやらの予定がないときには、いつもそうして子供が全員教室を出るところを志保は見届けていた。


 すると、ガタガタガタと、イスから立ち上がる音が聞こえてきた。


 隣のクラスも終わったようで、その音を合図に、友里恵たちが顔を見合わせると席を立ち、3人揃って廊下に出て行った。それに続くように後ろの4人も教室を出た。こちらも誰かを待っていたのかもしれない。


 志保は席を立つと教室の窓を閉めて鍵もかけ、そうしている頃には灯里も予定を書き終え、それをランドセルに入れると、先程までのスローな動きとは打って変わって、さっと立ち上がるとそれを背負い、「さようなら」と、志保に挨拶をし、志保が「さようなら」を言い終えたとほぼ同時に廊下に出て行ってしまった。


 現金なものだ。と、一番後ろの窓に鍵をかけながらそれを見送った。


「ふぅ―――――っ」


 胸いっぱいに、子どもたちの姿がなくなった教室の空気を吸い込み、それをゆっくりと長く吐き出した。


「さて」


 まるで掛け声のようにそう呟くと、机の上の荷物を持ち、教卓にあるノートを抱え、廊下に向かうと、少しだけ胸の鼓動を感じた。


 今から職員室に行き荷物を置き、沙絵のクラスに向かうつもりだ。


 沙絵にどう説明しようかずっと考えていた。でも、下手に誤魔化さないほうがいいような気はしていた。


 それは大也がどうやら生きていない人が見えるということと、美咲が盛り塩を壊していたということもあって、どちらも沙絵のクラスの子なので、自分も見えることを話すことで、大也のことでも少しは力になれるのではないかと思うのだった。


 大也が意識を失ってしまうのは、それに関係があると思っていた。それは自分にも同じような経験があったので、それを話しておいた方がいいと思ったのだ。


 そんなことを考えながら何を見るともなく階段を下りていると、踊り場で何か違和感を感じ立ち止まった。


「えっ?」


 目に入り込んだその違和感がなんなのか、考え事をしていた志保の頭の中でスイッチが一瞬、遅れた。


「なんで?」


 その違和感を目にした志保は、目が大きく見開き、つい大きな声が出て、肩にかけていたカバンと、ノートがバサバサッと、足元に落ちた。


 志保はうろたえながら振り返ったが、誰もいない。


 自由人健太もいない。いない。いない。右を見ても左を見ても、自由人健太はいない。


「なんで?」


「なんで?」


「なんで?」


「健太!健太!健太!」その名を呼びながら、志保は鏡を叩いた。


「なんで?健太、なんで……どうして鏡の中に……」


 パタパタパタと、誰かが来る足音が聞こえ、志保は我に返ると、静かに振り返り自由人健太の姿を探したが、やはりいない。


『しほ……しほ……』


「えっ?……誰?」


「大丈夫ですか?」


 それは階段を降りかけてきた6年の担任、下田だった。


 派手にノートをばらまいたところを目にし、カバンも落ちているところから下田は志保が重くて全部落としたと勘違いしたのだろう。


 でも、「しほ」って呼んでなかった?下田先生?


 釈然としない思いを抱え下田に目をやると、下田は急いで下りてきて、ノートを拾いながら言った言葉にドキリとした。


「いつも冷静な杉田先生が珍しいですね。どうかしましたか?なんか大きな声がしましたが」


「いえ、ちょっと考え事をしていて階段を一段踏み外して驚いてしまいました」


「そうでしたか。気をつけてくださいね。これ、職員室までお持ちします」


 そう言って、集めたノートを抱えて下田は残りの階段を下り始めた。


 やはり下田は私を杉田と呼ぶ。


 カバンを拾い上げ、下田の背を追いながら、もう一度振り返り、自由人健太がいないことを確認し、そしてもう一度鏡を見た。


 そこには、志保を見つめる健太が写っていた。

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