第51話 異様
職員室に戻ると、1時間目が空き時間だった級外の吉野が真面目を通り越し、怖い顔をして走り寄ってくると、志保の手を取り、入ってきたドアの廊下側に出て、すぐ左手の職員下駄箱に連れて行かれた。
「ねえ、桑田さんかなり危ないらしいのよ」
「えっ?なんですって?桑田さんがどうかしました?」
「ちょっと、やだ、杉田先生、今朝の校長の話、聞いてなかったの?」
聞いてなかった。
「あ、えっと、ちょっと子供たちのことで頭がいっぱいで、ぼんやりとしか……というか、桑田先生どうしたんですか?」
「だから今朝、なんか意識がないとかで救急車で運ばれたって」
「えっ?それで、危ないんですか?どうして?そんなに悪かったんですか?」
「ちょっと、声が大きいよ、落ち着いてよ」
「すみません、なんか今朝からいろんなことがあって頭の中が混乱してて、どうしちゃったんでしょう」
「落ち着いてよ。落ち着いて聞いてよ。桑田さん、どうやら自分で、その、死のうとしたらしいの」
心臓が止まるかと思った。身体中を何かが通り抜け、全身に鳥肌がゾワ立ち、志保は自分の胸の鼓動が早鐘のようになり始めたことを感じ、もう20年も経つのに、自分はまだそんなに桑田を意識していたのかと思ったが、頭に思い浮かんだのは、自由人健太のほうだった。
「えっ、自分でって、自分で?」
「そう、私、空き時間だったから職員室にいたじゃない。校長と教頭がこそっと話してたんだけど、静かだからさ、聞こえちゃったんだよね。まあ、聞き耳も立ててたんだけどさ。大也さんを病院に連れて行った大野さんと教頭が交代するとかで、病院に行くから桑田さんの様子をとか言ってたわ。どうやら校長は学校に来る前に一度病院に行ってたみたいなの」
「それで、桑田さんの様子はどうなんでしょう?」
「うん、だからまだわからないの。教頭が戻ってくれば様子がわかるかもしれないけど」
「吉野先生、2時間目は?」
「私、次は6年の家庭科が続けて3クラスで昼まで授業入ってるんだよね」
「そうですか。……きっと大丈夫ですよね?」
「うん、きっと大丈夫よ。信じましょう」
そうしている間に2時間目の予鈴が鳴り、志保は吉野と慌てて教室へと向かった。その間中、自由人健太はやはり姿を見せず、それはもしかしたら桑田のことと関係あるのではないかと、もしかしたら桑田が死んでしまえば自由人健太もいなくなってしまうような気がして、大丈夫でありますようにと、自由人健太を思い浮かべながら桑田の無事を祈り続けた。
昼休みになると、沙絵はようやく職員室へ戻ることができた。隅にある衝立で仕切ってあるだけの給湯所でお茶を入れ席に着くと、一口飲み、ふーっとひと息ついた。
今朝の出来事から今まで、トイレに行く以外はずっと教室にいて、子供たちの様子を見ていた。表面的には落ち着いてきているが、気になるのはやはり美咲だった。なんだか朝に見た美咲とは少し雰囲気が違うように見えていたのだ。
いや、そうじゃない。雰囲気が変わったのではなく、元に戻ったというべきなのか、以前の、大人しく友達と話すことすら上手くできなかった美咲が今日の姿だった。
何かがおかしい。そうは感じていても、何がどうなのか、どうしてなのかがわからない。大也が言っていた、「美咲に入ろうとしている」という言葉が頭をかすめた。
まさかねと首を横に傾げると「フッ」と、軽く笑みがこぼれた。
「思い出し笑いなんかしちゃって、何かいいことでもあったんですか?」
声の主は向かいの席に座る平井だった。バッチリ見られていたようだ。
「いえ、面白い絵が描いてあったので、つい」
そう言って、たまたま手元にあった宿題の自由帳をパラパラとめくり、描いてある絵を持ち上げた。
「1年生の絵って、面白いよね、面白くて可愛い」
「そうですね、色使いも独特だったりする子もいて、この子なんて髪の色が紫なんですよ」
たまたま手元にあった自由帳の一番上は優太のもので、書かれている子の髪が紫だった。優太は、いつもクレヨンの全部の色を使って絵を描く子だった。
優太曰く、「全部使ってあげないとかわいそうだから」だそうだ。
どうしても使い道がなかった紫を髪に使ったのは、髪が紫のおばあさんを見たことがあったので、髪が紫でも変じゃないと思ったそうだ。
そんな話を平井としていたら、今朝の優太の不安そうな顔が思い浮かんだ。今朝の一件から優太は何度も沙絵に大也の様子を聞いていたのだった。
「友井先生」
そう声をかけられ振り返ると、職員室に入ってきたのは志保だった。
「あ、杉田先生。ちょっといいですか?」
志保を見つけると、沙絵はさっと立ち上がり、職員室をざっと見渡し、給湯室を指さした。
「大也さんの様子はどうですか?病院に行ってから何か情報は入りました?」
「はい、一応CTや脳波の検査もしたようですけど、特に問題はないんだそうです。今日はそのまま家に連れて帰って休ませるということですよ。本人は学校に行きたいって言っているようですけど、やはりいきなり倒れるって、怖いことですから」
「そう、脳の方に問題がないんだったら、ちょっとは安心ね」
「というか、……あの、杉田先生、今日の放課後少し話したいんですけど」
沙絵は急に声を殺すようにヒソヒソ声になり、志保にそう声をかけた。
「そうね、そう言われるような気がしてたわ」
「私の教室で話しませんか?」
その沙絵の提案に、志保はゆっくりと頷いた。
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