第43話 鏡2

 それにしても、鏡に映らないなどということは、世間では当たり前のように言われているのに、そのことを今の今まで意識していなかった自分に、志保は呆れていた。


 そうして考えてみると、夜中に合わせ鏡をすると、霊だか天使だかの通り道ができるとかなんとか、そんな話が都市伝説のように中高生はもちろん、小学生にまで浸透して、夜中にそんなことをしてみるなんてことが数年前にあったことを思い出した。


 あの頃、そんな話をしていても、実際小学生が夜中まで起きていられることも少なく、起きていたとしても、本当にそんなことが起きたら怖いという思いから、2つの鏡を手に持ちながらも、それを合わせることができなかった子もいたようだ。


 その頃、学校でぼんやりしている子がいたり、夜中まで起きていて母親に見つかったりで、一時問題になったことがあったのだ。


 それでも、ちゃんと合わせ鏡をしたという子もいて、「何かわからないけど通った」などと言い出す子もいてクラスで大騒ぎになり、後々よく話を聞くと、どうやら作った話だなと思える節があったのだ。


 志保はそんなことを思い出し、鏡に映らない自由人を反対側からその鏡を鏡で映してみたらどうだろう?と、何の気なしに思ったのだ。


 それは以前、そうした霊を取り上げた番組を観ていたとき、三面鏡になっている洗面台の、横の鏡が斜めになっていて、反対側の鏡の一部がそこに写りこみ、写り込んだそこに薄っすらと透き通った人の一部が写っていたことがあったのを、志保は無意識の中にちゃんと記憶していたのだ。


 志保は自分のすぐ横にいる自由人健太に目をやった。


「あんたたちに自分の姿って見えているの?」


 そう問いかけた。もちろん返事はない。


 もう20年、こんなふうに何度問いかけただろう?返事がないのはわかりきっているけれど、志保は今夜はそれが無性に寂しく感じていた。



 志保は部屋のキーと暗証番号でオートロックを解除し、周りに人がいないことを確認し自動ドアをくぐると、すぐに振り返り自由人健太を見た。自由人健太は、閉まりかけた自動ドアを何のことなしに通り抜けた。


 35歳で30年のローンでマンションを購入したとき、当たり前のようにこいつもついてきた。『結婚』というものをほとんど諦めたのも、自由人健太の存在があったことは間違いない。いない振りして男性と付き合うことはもちろんできたし、同じベットに入ることもできた。自分がそれを意識しなければいいだけのことだったのだ。


 けれど、そこにいることがわかっているのに、見ない振りをしてそういう行為をすることに、だんだん疲れていったのだった。全く集中できないというのも、その理由の一つだった。自由人健太が私の元を離れないのならば、きっと結婚はすることはないだろうと思い、ならばと、一人で一生暮らせる部屋を持とうと思い、駅に近いこのマンションに引っ越したのだった。駅に近いとはいえ、地方の田舎で新幹線駅まで数駅あるようなところなので、なんとか志保にも買えそうだと思い決意したのだ。


 エントランスを進み左手にあるエレベーターに乗ると、自由人健太は見えなくなった。


「今日も直接行くんだな」


 志保は自由人健太がいつもやる、いきなり玄関で待っている姿を思い浮かべ、エレベーターの奥の面の鏡に映る自分の姿に目をやり、夕方になると化粧をしていても顔は汗でテカってしまうし、やはり年相応に見える顔が夕方はより疲れて見えるなと、若い沙絵や麻衣の顔を思い浮かべ、大きく溜め息を漏らした。


 鏡に映る自分の顔から目を逸らし背を向けると、そういえばこの鏡で自由人健太の姿を目にしたことがなかったと、今更ながら気づいたのだった。


「そうか、もしかしたら鏡がここにあるからエレベーターに乗らないのかな」


 志保は、『乗る』という言葉を自由人健太に向けたことで、なんだか可笑しくなりクスリと笑みをこぼした。


 それにしても、だ。


 よく考えてみたら、ここに越してきて一度もエレベーターの中で自由人健太を目にしたことがない。それはここに鏡があるからなんだろうか。鏡が嫌なのか、大也の言うように、眩しいのが嫌なのか、そんなことを考えながら5階で降り顔を上げると、真ん中より少し先の志保の部屋の前で、自由人健太が待っていた。


 いつものその姿を目にし、いつものように安堵する自分がそこにいた。

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