第41話 入り込む
6時間目が終わり、そのまま帰りの会まで済ませて職員室に戻ると、すぐにその視線に気づいた。
4時間で授業を終えていた沙絵が、自分の机でしていた仕事の手を止め、職員室に入ってきた志保へと目を向けたのだ。入ってきたのが志保だとわかってこちらを見たというより、誰かが入ってくるたび、視線を向けていたのではないかと思う。それだけ沙絵の視線は、一瞬、他人行儀な視線だった。その顔も、志保の顔を捉えた瞬間、パッと生気が蘇ったように目に光が宿ったのがわかった。
沙絵の斜め前にある自分の席に近づいていく志保に、沙絵は立ち上がり声をかけた。
「杉田先生、今朝はありがとうございました」
「大也君と結衣さん、どう?」
志保は抱えていたテスト用紙を机へと音を立てずにそっと置きながら、沙絵に声をかけた。
「はい、2人とも大丈夫です。大也君は一応一時間お休みさせましたけど、大野先生が仰るには、落ち着いてからはずっとお喋りが止まらないほど元気だったようです」
「そっか、よかったわ」
「はい」
「それで、話したいことって、その今朝のことなんでしょ?大也君、大きな声を出していたようだけど」
「杉田先生、友井先生、今朝の話ですよね?」
どこに行っていたのか、沙絵の隣の席の波多野が職員室へ戻ってきて、席に着くところだった。
「波多野先生にもまだ話してないんですか?」
「いえ、大也君が美咲さんに向かって、ダメと言ったことは波多野先生にも話したんですが、その理由がよくわからないんです。大也君も、なぜダメと言ったのか、朝、1時間目が終わってから聞いたんですけど、忘れてしまったのか、自分でもよくわかっていないようでした」
沙絵は、すぐ横で聞いている波多野にも聞こえるように、志保にそう説明した。
「1年生だからね、ちょっとしたことで感情がむき出しになってしまう子って、いるからね。何か嫌なことされたとか、そんなんじゃなかったのかしら?」
波多野がそう言うと、
「そうかもしれませんね。何度も問いかけるとか、あまり騒ぎすぎると逆によくないかもしれませんね」
「そうね、わざわざ嫌なこと思い出させる必要はないと思うわ」
波多野のその言葉に、沙絵と志保は頷き、互いの顔を見合わせ「後で」と言うように視線を絡め合うと、それぞれの席について残りの仕事を始めた。
18時を過ぎた頃、「お先に」と席を立った波多野に「お疲れ様でした」と声をかけた沙絵は、志保に視線を向け、指を上に向けた。
以前、図書室で2人で話したので、言葉にしなくともそれだけで『図書室で』という意味は通じたはずだ。
沙絵は、テストの○付けをしている志保の手元を確認し、それが残り少なくなった状態で席を立ち図書室に向かった。
図書室に入ると、ふっと視線が棚の上に向いた。
「あれ、ちゃんとあるよね」
気にしてしまうと気になり、上履きを脱ぎ机の上に上がると、盛り塩を確認した。
「えっ」
壊れてたのだ。
美咲はもう壊さないと約束したはずなのに、まだ美咲が壊したのか、それとも何か違う要因で壊れたのか、どういう事だろうと机を下りながら頭を巡らしていると、
「ねえ、大也君、本当に忘れてたの?」
「きゃっ」
「あ、ごめんごめん、急に声かけたら驚くわね」
「いえ、すみません、ちょっと考え事していたのでビックリしてしまいました」
「で?今朝の話でしょ?大也君は忘れてたの?」
志保は先が気になり、沙絵に問いかけると、
「いえ、……先ほどは波多野先生が聞いていたので、どうしようかと思ったのですが、誤魔化してしまいました」
「じゃあ、なにかあったのね。やっぱりその、ふわふわさん絡み?」
「ええ、っていうか杉田先生、盛り塩壊れてるんですけど」
「またか」
「またかって、どういうことですか?まだ壊れるんですか?」
「まずは、ごめんなさい。友井先生が美咲さんと話してから盛り塩が壊れていることがなくなったと喜んでいたでしょ。だからなんだか言い出せなかったんだけど、あれ、友井先生が見たときにたまたま壊れてなかったことばかりだっただけで、今でも毎日のように壊されているの」
「ええっ」
絶句した沙絵の顔がみるみる青ざめて行くのが見てわかった。
「ここのところ、たぶん友井先生、あれを確認することもなくなってたんじゃない?」
「はい。美咲さんと話した後は何度か見ることもありましたが、いつも壊れていなくて……だから、もう大丈夫だと思ってました」
「難しいわね。そもそもそのとき美咲さんがお願いした友達ができますようにってこと、実際今は叶った形になっているんでしょ?」
「ええ、最近は結美さんといつも一緒にいてとても仲良くなっているんです。それもあって、私、もう美咲さんがそんなことしなくなってたと思い込んでいました」
「それで今朝の話に戻るけど、あの時、大也君の向こうに美咲さんが見えたんだけど」
「はい、そうなんです。どうやら大也君は美咲さんに向かって、ダメーーと言ったようなんです。いえ、美咲さんに向かってというか、正確にはふわふわさんに向かって言ったようです」
「えっ?どういうこと?」
「それが……大也君が言うには、ふわふわさんが美咲さんの中にいるって」
「えっ」
志保は顔をしかめるように言ったあと、言葉を失った。
「杉田先生、私、おかしなこと言うかもしれませんが聞いてくれます?」
「おかしなこと?」
「あの、時々なんですけど、美咲さんが別人になったような気がするときがあるんです」
「ちょちょ、……ちょっと、何を言い出すのよ」
「ですよね、やっぱりそういう反応になりますよね。でも、なんか違和感を感じる時があるというか」
「どういうこと?」
「美咲さんって、大人しい子なんです。引っ込み思案で、自分から友達に声をかけられないような子で、下手したら学校にいる間一度も口を開かなかったんじゃないかと思う日があるくらいで」
「今朝の様子だと、そんなふうには見えなかったけど」
「ですよね?そう見えなかったですよね?」
「そうね、ちょっとしか見えなかったけど、その友達、結美さん?すぐ近くにいた子と楽しそうにお喋りしながら登校してたわよね」
「しかも、美咲さんが主導権を握っているような感じで、結美さんを促すようにして教室に向かってて」
「そのくらい結美さんと仲良くなったってことなんじゃない?」
「以前、結美さんの前に結美さんと仲が良かった結衣さんって子と仲良くしてたことがあったんですけど、その時は結衣さんが大人しい美咲さんに声をかけて、言い方よくないですけど美咲さんはニコニコくっついているだけって感じだったんです」
「まあ友達によって対応が変わる子もいるからね」
「そうなんですけど、結衣さんと結美さんはどちらもはきはきしたタイプで、どちらかといえば2人ともが主導するタイプなんです。まあ、それはいいとしても、なんていうか、美咲さんは顔つきも違って見える瞬間があるというか、すごい目で睨みつけられるというか」
「睨む?友井先生、美咲さんに怒ったりとか?」
「いえ、怒ったことはないですよ。この前の盛り塩のときだって、怒ったりしてませんし」
「それで?大也君の言ってた、ふわふわさんが入ったままってこと、信じられるってこと?」
「ふわふわさんが美咲さんの中にいて、操っているとか」
「友井先生ちょっと待ってよ。そんなことあるわけないでしょ、操られてるって、まさかそんな」
志保は半笑いするように沙絵を見たが、沙絵は笑み一つ返すことない、怖いくらい真面目な顔で志保を見ていた。
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