第29話 見えている
学年主任の羽田から教室で準備することを教わると、羽田の準備を少しの間見させてもらった。
羽田は厚みのある透明なクリヤケースからいくつか小さな箱を出すと、それらを開けた。
そこには箱ごとに大きさが違う子供たちの名前が書かれた紙がたくさん入っており、それは裏がシールになっていて、それを机や椅子、ロッカーなどに貼っていくそうだ。
そういえばと、思い出した。
確かに、何年生までだったか覚えはないが、こんなふうに机に自分の名前のシールが貼ってあって、これは自分の机だと思うと、なんだか嬉しくなったことを覚えていいる。
嬉しかったけれど、たまたま隣にある机が自分のより綺麗だったりすると、なんであれが私のじゃないんだろうと、恨めしく思ったことも、確かにあった。
「これを作るやつは学校にあるから、あとで置いてる場所と使い方教えるわ」
「ありがとうございます」
新学期が始まる前に、先生がこんなふうに準備してくれてたんだな。そんなこと思っていると、
「こんな細かな準備しておくのは低学年くらいなものよ。中学年高学年では名前の準備はロッカーと靴箱くらいよ。もう番号だけついてればわかるから」
「そうですか。じゃあ最初に低学年を持つのは、色々知ることができていいかもしれませんね」
「そうね。まあ、ちょっと手がかかるけどね。教材の準備も低学年は多いから」
「はい。色々教えてください」
「了解。じゃあ私はここで準備をしていくから、杉田先生も自分の仕事を初めてね」
「ありがとうございます。じゃあそうさせてもらいます」
一礼して羽田の教室を出ると、自分の教室へ戻った。
まだ何も準備していない今、特に何かすることもなかったが、志保は教壇に立ち教室をぐるっと見渡して、席に座る子供たちを想像して、身が引き締まるのを感じていた。
コンコン
教室のドアを叩く音がして顔を向けると、そこには桑田と青木がいた。
「そろそろいいかなと思って青木先生と来てみました」
そう言われて時計を見ると、もう4時半を回っていた。
「はい。もう大丈夫です。お願いします」
それから前日に全部の場所を回って見てきたという桑田の案内で、学校中を見て回った。
4階の理科室に入ったとき、桑田は後方のドアを指さして、
「そこ、理科準備室で天秤ばかりやらフラスコやら置いてある小部屋なんだけど、前にここにいた同期数人から聞いた話なんだけど……」
そこで言葉を切ると、俯き加減の上目遣いで志保と青木の顔を交互に見て、
「あまりいい話じゃないけど、聞きたい?」
いやいや、そこまで言われたら聞きたいも何も気になるでしょうよ。
桑田は悪戯っ子のような笑みを浮かべ、嬉しそうに返答を待っていた。
私は『えっ?』とでもいうような顔をして上げた肩をゆっくりと下ろしながら、深い溜息を静かに息をするように自然に吐いた。
「え~っ、なんですかぁ~?」
語尾を伸ばして面白そうに青木が聞くと、志保もとりあえず一緒に2~3度頷いてみせた。
「実はね、この学校、出るみたいなんだよ」
そういって桑田は腕を上げ手首を下げて手を広げヒラヒラさせ、いわゆる幽霊の真似をして見せた。
「え~っ、嘘でしょ?やめてくださいよ、私一人でここに来られなくなっちゃう」
青木が一歩下がって、身体を両腕でかかえるようにして怖がってみいせたが、その実、顔は笑っており、全く信じていなそうだった。
そういったものが見える志保は、何をバカなことをと
「ちょっと杉田先生、怖くないんですかー?」
青木がそう言ったが、怖いも何もいたとしても私には不思議でもなんでもない光景だと心の中で答えながら、
「大丈夫です。私そういうの平気なので」
ドアを開けてみたが、やはりいない。
「桑田先生、いないみたいですよ」
「杉田先生、まだ明るいですから」
笑いながらそう言う桑田の言葉に妙に納得し、
「あ、そうでしたね」
と答えて、志保も笑っておいた。
志保は昨日この学校にきたばかりだが、この学校では今のところ何も見えていないし、その気配すらない。
いや、それは違うか。
正しくは、この学校にはいないが、今は、いる。それは、人に憑いているものだ。志穂は昨日からそれに気づいていた。
この日、志保たち3人ともう1人、桑田が初任の学校で一緒だったという、木村も加わって飲もうという話になり、桑田がよく行くという個室のある居酒屋に4人で向かった。木村は同じ学校でもない知らない人とではあったが、数年ごとに異動のある教員は、いつかどこかで一緒になる可能性もあるので、こうした付き合いは出来るだけ参加しておこうと志保は思った。
「木村さんも聞いたことありませんか?今度の学校の、出るって話」
いい感じにほろ酔いになった頃、桑田がその話を持ち出した。
「ああ、聞いたことありますね。なんでもあそこは以前、首塚があったところだとか」
「え~っ、そうだったんですか?なんでそんなところに学校なんか……」
「いや、本当かどうかわかりませんよ。僕も聞いただけで確証がある話ではないです」
「ちょっと待ってくださいよぉ、私、本当にそういう話は苦手で、本当に1人で理科室に行けなくなりますぅ」
怖がっているのか楽しんでいるのかわかり難い青木に、
「でも見えなければいないのと同じですよ」
と、志保が冷静に言うと、
「杉田さんは昼間もそんな感じだったけど、もしかして全然平気な人なの?」
「いえ、平気ってわけじゃないですけど、見えませんからいると思えなくて」
「ああ、そういう人いるよね、見たものしか信じない人」
「だからUFOも私にはいないものなんです」
「そうやって考えたほうが何でも楽かもね」
そう言って、青木は右手に持っていた串焼きを頬張った。その顔は、幽霊など全く信じてはいないように見えた。
正面に座る男性陣2人も、志保の「見えなければいないと同じ」という言葉に頷いて、そういえば自分たちも見えたことがないんだからと、むやみに怖がるのはよくないよななどと、この話は他の先生にはしないでおこうということで合致していた。
志保はこの3人に、「見えない人」だということを刷り込んだ。
特にそれが必要だったわけではないのだけれど、こんな話になったので、今までもそうだったようにしただけのことだ。
志保には、見えているものに対してそれをどうにかできるわけではなかった頃と同じようにしていようと、意図してそういう自分でいることに心がけていた。
それは、見えるものに対して志保が見えていることを知らせないためでもあった。
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