第28話 出会い

 初めての赴任先は、いわゆる『出る』と有名な学校だった。


 それを教えてくれたのは、志保より7歳年上の先輩教員で、新任の志保と同じ年に異動してきた人だった。


 けれど、それを見ることができる志保には、そんな話をされたところで意味はなく、そしてこの学校で特に『出る』というほどのものを感じることは、実はなかった。


「何かわからないこととか困ったことがあったら言って。とは言っても、僕も異動してきたばかりだから、この学校のことはまだそこまで詳しくないんだけどね」


 出勤2日目、まだ子供たちは春休み中で、前日は教育委員会で訓示、新任式があり、その後に赴任する学校へ行くという慌ただしい1日で、学校に着いたのは2時頃で、校長室で校長の話を聞き、受け持つ学年を知らされ、新採の志保の指導担当へ紹介され、他の職員への挨拶をし、そうこうしているうちにあっという間に終業時間となり、まだ子供たちのいない春休み期間で教員の帰宅も早く、校長からは志保にも今日は早く帰るようにという言葉があり、その日のうちに何がどこにあるのか学校を見て回りたいと思っていたが、それは叶わなかった。


 そんな翌日に、右斜め前に座る志保と同じ2学年を受け持つ3人のうちの1人である、この先輩教員が声をかけてくれたのだった。


「桑田先生、もう学校は回られたんですか?」


「うん、昨日全部見てきたからだいたいの場所は確認済みだよ。あとで一緒に回ろうか?」


「ありがとうございます。もしお時間あるようでしたらお願いします」


「OKだよ」


「あっ、私もご一緒していいですか?昨日回りそびれちゃって……」


 手を上げながらそう言って声をかけてきたのは、桑田の2つ隣に座る、青木だった。


 青木も異動してきたばかりの25歳の若い先生で、前日の志保の紹介のあとで自分も異動してきたばかりだと声をかけてくれた人だった。


 若い先生だったので、色々話せたり相談できたらいいなと思っていたので、親しくなれるチャンスかもと思い、思わず笑みが出た。


「よろしくお願いします」


 そう答えると、青木は笑顔で頷いて机に向かって、何かを切る作業に戻った。


 4月2日、職員全員が朝から揃うその日は、朝礼のあと、そのまま職員会議となり、それが終了すると、そのまま学年会議となり、1年間の予定、学期ごとの予定や教科の振り分け等々しているうちに、気付けばもうお昼の時間になっていた。


「そろそろ行きましょうか」


 主任の羽田の言葉に志保と桑田は頷き、3人で席を立った。


 昨日の帰り、今日のお昼ご飯を同じ学年を持つ3人でランチに行こうという話になったのだ。親睦を深めるためということだろう。


 学校では子供たちが休みのこういう時にしか外でランチなどできないので、先生方は、この時期は昼に外に出る人が多いそうだ。


「杉田さん、何かこれだけは無理ってもの、ある?桑田さんはなんでもOKだったわよね」」


「いえ、特にないです。なんでも美味しくいただきますよ」


「じゃあ今日は私のお気に入りのところね。とっても美味しいから」


 そう言って羽田が連れて行ってくれたのは、学校から車で5分ほどのところにある和食の定食屋だった。


 席ごとに仕切りのあるそのお店は、話もしやすく定食の種類も多く、とても落ち着ける店だった。


「ここ、いいお店ですね」


「そうでしょ。周りに話が聞こえることもないし、私たちみたいな仕事してる人にはもってこいかもね」


 教員という仕事をしていると、こんなふうに外で食事をするときも、その店に知り合いが一人二人はいるかもしれないと、外に出るたび思うんだそうだ。


 確かにそうかもしれない。クラスには30人を超える子供がいて、その家族もいて、そして同じ学年には100人前後の子供がいるので、自分のクラスの子ではなくても、その親が自分を知ってることもあるのだ。


 つまり自分が面識はなくても相手は知っているということもあるのだ。


 学区の店に行く場合は、特にその確率が高くなるのは間違いないが、こういう子供のいない春休み期間などの昼休みも、キチンと1時間で戻らないといけないので、どうしても近場になってしまうので、こういう店は入りやすいのは頷ける。


「お刺身定食とか、あと鶏を使った定食なんかも美味しいわよ。私はお刺身」


「じゃあ僕はから揚げ定食にしようかな。から揚げ大好きなんです」


見ていたメニュー表から顔を上げて、真っ白い歯を出した笑顔の桑田が、何だか可愛らしく見えた。


「じゃあ私はチキン南蛮定食にしてみようかな」


「あっ、それもいいですね」


 目を輝かせるようにメニュー表をまためくった桑田先生、すごい笑顔だなと思った。


「また近いうちに来ましょうね」


 羽田が笑いながらそう答えていた。


 昼食のあと、また学年会を開いて1学期の行事や新任の志保のために、始業式までにやっておくことを教えてくれた。


「さて、じゃあ肝心のあなたの教室に行きますか」


「あ、はい。早く教室に行ってみたいと思ってました」


「桑田さんはどうする?」


「僕はここで自分の仕事をさせてもらっていいですか?」


「OK、じゃあ行こうか」


 左指の親指と人差し指で丸を作って桑田に向けたあと、羽田は机に置いてあるクリアケースを持つと、志保に向かってそう言った。


「はい、お願いします」


 志保は自分のペンケースと指導ノートを持ち、羽田から一歩下がって、ついていった。

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