第18話 壊す人5
「せんせい」か。
それにしても、美咲の言ってた先生って、いったい誰だろう?学校の中で、しかも子供がいる時間に盛り塩を壊して桑田先生を呪うようなことを口に出すなんて、絶対にしてはいけないことだ。
沙絵は気が重くなっていた。
そもそもこの学校で起こってきた『よくないこと』と言われる、病気をしたりケガをしたりということも、いつでもどこでも起こりうることで、毎年のように起こるというのも、偶然の要素が強いんじゃないかと思う。それなのに、それを避けるために盛り塩をして清めるという、その迷信じみたことも、逆に誰かを呪う手段にされてしまったら元も子もない。
美咲を送り届けてそんなことを考えながら学校に戻ると、平井が職員通用口から出てくるところだった。今から保育園に子供を迎えに行くのだろう。
「お疲れ様でした」と声をかけると、
「沙絵さん、昨日のアレ、なんだったの?」
そうだった。まだ平井に昨日「明日」と言ったことの経緯を話していなかった。
「平井先生、急ぎますよね?」
「ああ、そうね。長くなりそう?」
「詳しく話すと長くなりそうです」
「私のクラスに関係する?そうじゃなきゃ、またでいいわ」
「はい、じゃあまたってことで」
沙絵の返事を聞き、ホッとしたような気の抜けた顔になって、平井は出て行った。
「せんせい」は、平井ではないだろう。保育園児を抱えた平井は、それどころではないくらい忙しそうだ。
「友井先生、何かありましたか?」
職員室に戻ると、怪訝な顔つきで教頭が近寄ってきてそう声をかけてきた。いつも細かい気配りをしている教頭には、美咲と学校を出る私の姿を目にし、何か気になったのだろう。
「クラスの子が忘れ物をして取りにきたのですが、学校になかったので荷物に紛れ込んでいるんじゃないかと思いまして、家が学校に近い子なので、時間も遅くなったので送ってきました」
「そうでしたか。それで見つかりましたか?」
「はい、ありました」
ウソをつく罪悪感は少しでも小さいほうがいい。これ以上聞かないでくれというつもりで、いかにも忙しそうに身体を揺らして席に行こうという仕草をし、「失礼します」と言い、その場を離れた。
そのやり取りに気が付いていた杉田が声をかけてきた。
「友井先生、なんかあった?」
聞くことは教頭と同じだと思ったら、なんだか可笑しくなった。
「杉田先生、ちょっと2人だけで話したいんですが」
沙絵はこの話をする相手は杉田しかいないと思っていた。杉田は、両手に大量の算数のノートを抱えたまま、
「そう、どこで話そうか。あ、談話室なら空いてるでしょうけど、行く?」
と返され、談話室か、それもいいかなと思ったけれど、どうせならと思い、人差し指を上に立て、
「図書室とか、どうですか?」
職員室の真上になる図書室にも盛り塩がある。そこならば話のとっかかりにもなるだろうし、説明しやすいかなと思ったのだ。
「そのノート……終わってからでいいですから」
杉田が抱えているノートを指さしながら言うと、
「そうね、これは明日の1時間目には使いたいから、今日中にやりたいのよ。じゃあ急ぐから」
「あ、急がなくて大丈夫ですよ。私もやり残しがあるので」
沙絵の返事も聞いているのかどうかの勢いで、杉田はノートを開き始め、それに集中してしまった。それを見て、沙絵もやり残していた、ひらがなの○付けと直しの続きをはじめた。
1年生のこういったひらがなのチェックは、他の学年のプリントとは違い、一文字ずつ〇をつける。「あ」を5つ書かせても、一つだけ上手く書けたとか、二つはちゃんと書けているのに、三つは直しが入ったりと、昨日はきちんと書けていたのが、今日は直しが入るとかで、全部直しがいらない子というのは、クラスでも一人か二人といったくらいだ。
ふふ、大也さんの字はこれじゃまだ全部が直しになっちゃうな。
大也の書く「あ」は「お」と字が混ざってしまうような「あ」で、これは一つだけ〇をつけたくても、それが一番難しいパターンだった。どの子の字も、一つは〇をくれるようにしている。五つの中の、一番ちゃんと書けている字に〇をあげているのだ。一年生で全部が毎回直しというのは、子供の『やる気』を削いでしまうことがある。そんな調子で、全ての字を一つずつチェックするというのは、他の学年の一枚のプリントを○付けするよりかなりの時間を要するのだということを、前任校で初めて一年の担任になって知った。
あれ?美咲さんの字、なんだか前に見たのと違うような……
美咲は字を丁寧に書く子で、その字は正確なものがほとんどだ。なのに、今、目の前にある美咲の書いた字は、正確なものとは程遠い。
「どうしたんだろう」
「ん?どうかした?」
思わず口をついて出た言葉に、麻衣が反応した。
「いえ、たいしたことじゃないんですけど、いつも丁寧に字を書く子なんですけど、これはちょっと……」
「あらほんと、虫の居所でも悪かったのかもね」
「そんなに違うものですかね?」
「そうねぇ、丁寧に書けるっていうのは、落ち着いているってことでしょうから、落ち着けて書けないときは、乱れる子もいるわよ、まだ1年なんだし」
そうか、言われてみれば確かに美咲は結美や結衣のことで気持ちが不安定だったな。頷く私に、「じゃ、私はもう出るから」と、麻衣はバックを抱えて席を立った。
麻衣にそう言われ、先ほどの美咲を思い浮かべ、その小さな心にいろんな想いを抱えていたのだろうと思い、なんだか愛おしくなった。
この時、沙絵は大切なことを忘れていた。
大也が言っていた、「みさきちゃんから出てきた」ということを。
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