38-2

  ~38-2~



 「…ペスカトーレ?これお前の分じゃねぇのか」

 カウンター越しにワインボトルに手を伸ばした店主が作り置きされたソースの入ったフライパンを見て尋ねた。

 「あぁ、大頭目に声をお掛けしたら『来客の対応が終わったら向かう』と仰有るんでな、先に注文聞いといた」

 「来んのかよ…先に言え」

 徐に席を立った店主はカウンター内に設けられたワインクーラーの前で思案を始める。


 「自前で用意しとる、気を回さんでも良い」

 折良く現れた老人は片手にワインボトルを提げていた。

 「また隠し通路から来たんすか…」

 「折角出入り口の倉庫を居室に造り替えたからのう、活用せにゃ損だろう」

 「いつ御越しになるかと思うと気が気でねぇんですが…」

 「だから気を回すなと言うておる」

 店主と言葉を交わしながら店内に歩を進めた老人はカウンターではなく奥のボックス席に如何にも重そうに腰を下ろした。提げていたボトルをテーブルの上に置き懐から取り出したソムリエナイフで封を開け始める。用意の良い事だ。

 「グラスを、貴様らも必要なら3つだな」

 指示に応じて店主が用意を整える。あの人は老人の姿を認めるなり自分のフォークを見習い氏に託してペスカトーレの調理に入っていた。…来訪の時間を我々の開始に合わせてくれれば良い物を。老人を恨めし気に睨み付けるが素知らぬ顔でコルクと格闘している。そんな自分の様を躊躇いがちに窺う見習い氏を気遣って不承不承食事を続けた。


 「コレはまた…随分と上等な…」

 「コイツの手料理で飲ませるのが申し訳無くなりますわ…」

 「テメェが言うな」

 この二人が揃って萎縮する様は大変に珍しい。それほどの高級品と言うことなのだろう、遠目に捉えたラベルにはルークの駒を思わせる塔のイラストが描かれていた。

 「安心せい、自腹で仕入れた物だ」

 それは安心する材料になるのだろうか。尤も、組合の所蔵から持ち出していたらそれはそれで問題になりそうだけれど。

 「此奴の手料理とあっては此方も奮発せねばな、従弟殿は来れぬのを残念がっておったよ」

 グラスを片手にフォークを口に運んだ老人は満面の笑みと共に歓喜の唸りを上げた。



 「いやまったく、毎度ながら見事な手前だった…どうだ、幾らか出資してやるから店でも出さんか?」

 上機嫌の老人は食後に出された珈琲を一口啜るとこんな事を言い出した。悪くない提案だが、余り大勢にあの人の料理を振る舞うと言うのも癪に障る。

 「其れは有難いお申し出ですが…幸い、二人で食っていくには充分過ぎる蓄えも有りますし」

 やんわりと辞するあの人。その胸中に、自分と同じ思考が含まれていれば良いと密かに願った。

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