31-2

~31-2~


 「もうやだぁ…嫌いだぁ…」

 背中に吊るした彼を胸中に抱き直した後、バックヤードから店内に入った途端に怨み言が泣き言に変わった。移動する車中でも同じ台詞を千回は聞かされたが大人しく抱かれている辺り心底に愛想は尽かされていないらしい。見知らぬ相手の居る空間で涙は流さない、そんな程度の外聞を気にする余裕が無意識にも有るのだとすれば宥める余地も有るだろうと希望的観測を抱いて歩を進める。


 何事かと分かりやすく狼狽える見習いの少年に手振りだけで奥に控えるよう指示した後ボックス席に腰掛ける。

 「もっとちゃんとぎゅっとしろぉ…」

 座った拍子にずり落ちたのが気に入らなかったらしい。確りと抱き直し背中を撫ぜて落ち着かせようと試みる。時間は無いが、其れは彼にすれば私達に関係の無い話だ。



 ~29-4-2~


 血に塗れ穴だらけになり、更には肉塊も散らばったエントランスは酷く足場が悪い。血溜まりに身を滑らせれば足下の悲惨が上着に移るのは必定であった為恐る恐る足を運ぶ。


 其れなりの距離で血飛沫を浴びた饗応役も正面に構えた義父殿も自身には傷一つ無かったらしい。何事か言葉を交わし合った後その場を離れた饗応役の背を見送った義父殿は手近な、然程に汚れていないソファを見繕って腰掛けた。


 「…まぁ、所詮こんな物だろうて」

 矢張り浮かぶ感慨の一つにも至らないのは私と同様だったのだろう。視線を交わさず語り掛ける義父殿の対面に座った私はその言葉に首肯するが、其れを相手が見届けたのかまでは確かめる気にもならなかった。


 数舜流れた沈黙をくぐもった振動音が断ち切った。懐から端末を取り出した義父殿はソファを立ち壁際に移動する。数分の後戻ったその手には車のキーらしき物が握られていた。


 「帰りの足にでもせい、儂らも移動する」

 先程までの脱力を無理にも引き締め直すような奮起と倦怠の入り混じった声に、助力を願い出る様な差し出がましい心胸が芽生えたのは彼に秘密にしておかなければならないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る