31-3

~31-3~


 鼻を啜り上げる音に思考が中断する。泣き声は何時しか唸り声に変化していた。


 「…鼻を痛めるぞ、ほら」

 懐から取り出したハンカチを宛がおうとするといやいやと首を振る。俯きがちな表情を窺うのも難しい。ハンカチを持ったまま横顔に掌を添え無理矢理にならぬようゆっくりと顔を上げさせる。意外にも抵抗は少なかった。


 口をへの字に結び瞼をきつく絞った表情は曾て見た記憶の無い其れだった。珍しさと可愛らしさに暫し放心していると薄らと眼を開き此方の態度を不安げに見つめ返してきた。


 「…なぁ、行かせてくれないか」

 あくまでも決定権を彼に委ねる体でそう告げてみる。真意を何処迄述べて良いものかは思案のし処ではあったが、何とかして是を引き出さなければならなかった。


 他でもない、此れから死地に送られるのは彼の数少ない肉親なのだから。



 ~29-4-3~


 現状、街中を闊歩する勢力は四つに大別される。先ず組合の守旧・急進の両派閥、此れは既に決別したと聞かされたのはホテルでの襲撃に加わる前の事だった。


 「元々従兄弟殿は其方にこそ繋ぎを作っておった、誰かが混ぜっ返さなければ虜囚の演技もさせんで済んだのだが」

 視線が刺さる、言われて思い返せば教会での騒動から組合事務所に送られる道中に老紳士が手荒に扱われた様子は無かった。折を見て解放し彼の人の主導で事務所に詰めた守旧派残党を一掃する手筈に切り替わったと聞いて怪我の巧妙に胸を撫で下ろす。


 「外の連中の手前があり主だった守旧の面子も処理が済んでおらんかったからその場で糾合させる訳にもいかん。取り敢えず形ばかり逆転劇を演じさせたが、お前さん自覚しとる以上に綱渡りだったぞ」

 返す言葉もなく渇いた笑いを漏らして誤魔化した。まぁ自分の拵える謀略など所詮その程度だったと言う訳で。全く背筋が寒くなる。


 

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