30-2

~30-2~


 扉が開く音に反射的に顔を上げた。目脂が溜まる程の時間を寝過ごしては居なかった為容易に擡げられた瞼の先に二つの影を認めたのも間も無くの事だった。


 何時の間に気心知れる様になったのか、自分を意に介せず何事か囁き合っている。まさか老人相手に嫉妬は湧かないにせよ、凱旋の有り様としては些か以上に不可解だった。


 「…矢張り儂から言うのが筋だろうに」

 「いえ、筋と言うなら先に違えた私が伝えますから、此処はどうか」

 微かに耳に届いた押し問答はその後も平行線を辿り続ける気がしてならない。


 「どちらでも構いませんが、急ぐのでは?」

 二人共に悠長にしていられない苛立ちを抱えて言い合っている様に窺えたので鎌を掛けてみると案の定揃って眼を丸くする。


 「…すまない、予定が少し伸びる」

 おい、と短く咎め肩に手を置いた老人に頭を振って応じたあの人は此方に歩み寄る。眼前で歩を止めると何時も通りその場に跪いて視線を合わせた。既に某かを決めきった眼、この眼の直ぐ真下から紡がれる言の葉は大概が自分にとって喜ばしい其れで在るのが常なのだけれど、今日に限りそうは成り得ない程度の察しは付いていた。


 「…嘘つき」

 正にその某かが語られんとした刹那、先んじて口から漏れた其れは自分にとっても予期せぬ物だった。


 我慢も、限界だったのだと思う。今日一日を乗り越えれば二人の日々が戻る筈と、そう望みを掛けてこそ死地に赴く背中に縋る弱さも隠して通した。


 ただ、その一日は、ただ座して待つ身に余りに長い。その一日を、本当に越えられるかの証が無い。其れだけの自覚が有れば、崩れてしまうのも容易い事だった。


 「…もう逃げようよ、一緒に居てよ」

 身動ぎも出来ぬ程強く抱き締める腕の中、埋もらせた胸を刻々に濡らしながら絞り出した声は確かに届いた確信が有った。


 「頑張らなくて良いよ、貴方が居れば良い」

 ふと、折に触れ夢中に臨んだ景色が脳裏を過った。



 爽やかな風のそよぐ小高い丘の草原の上で、未だ五体を保った自分が視界に認めたあの人の元に駆け寄り両の腕でその頭を掻き抱く。あの人が笑う、つられて自分も。抱き上げた自分に唇を落とすあの人の体温を余すこと無く五体に染み込ませようと肌を重ね、指を絡め、此方からも口付けて返しまた共に笑って一日が終わる。そんな夢。



 醒めては泡の様に消え失せた両腕は虚空の先寝室の天井までを透かして見せる。その現実に殺されずに済んだのは、偏に貴方が在ったればこそ。


 夢に描いた憧憬を得る事が叶わないなら、せめて僕から貴方を奪わないで。

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