17-9

~17-9~


 ある日の事、ランチタイムが終わりディナーまで自宅に戻り休息を取ろうと控え室の扉を開くと噎せ返る様な酸味が鼻腔を襲った。微かに混じる独特の鉄臭さから劣化したワインの其れと直ぐに気付いたが、臭いの所在が分からない。


 まさかと個人の物入れを開けば案の定、紫黒に染め上げられた衣類が乱雑に押し込まれていた。怒りを通り越して呆れる。ふと、郷里の友人に「入学した全寮制学校で流行っている」と聞かされた悪戯を思い出す程度には稚拙な厭がらせだった。


 心当たりを数人締め上げる決意を固めた迄は良いとして、当面の問題は此れでは帰宅出来ないと言う事だ。昼休みはメイド達相手に管を巻いて居れば時間を潰せるだろうが、仕事終わりに着て帰る為の衣類を調達せねばならなかった。厨房着で帰れない事もないが、其れは何処と無く気恥ずかしい。何より厭がらせに屈する姿勢の様に思えた為その選択肢は早々に除外した。


 とすれば、面倒だがランドリーで洗濯を行うしか無いようだ。多少色味が残る恐れは有ったが幸いにして帰りは夜半、好奇の目を引くほどの染みは残るまいと考えた私は厨房着にワインが付かぬよう細心の注意を払いつつ衣類を持ち出した。


 私が着いたときランドリーは無人だった、常ならば雑用の下女が忙しなく働いている筈だったが丁度ベッドメイキングの時間にぶつかったのだろうと別段気にも掛けず部屋に入る。


 洗濯機に掛ける前に先ずは手洗いで簡単に汚れを落とす事にした。部屋の隅に据え付けられた水道場に汚れた衣類を放り込み蛇口を捻る。念の為厨房着は脱ぎ置いて作業に当たる。少々みすぼらしい裸体を晒す事になるが、誰かに出会したとして今更男の身体に悲鳴を上げる従業員も居る筈は無いのだから。


 近くの棚から洗剤を拝借し揉み洗いを試みる。が、一向に色味が変わった様子がない。少々甘い目論見で来てしまった事を後悔しかけた所に背後から声が掛かった。


 「…何方かいらっしゃるのでしょうか?」

 聞き覚えの無い声では在ったが声の主には心当たりが有る。謝辞を述べようと振り返った私の眼前にはやはり、下働きの盲女が不思議そうな面持ちで立っていた。

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