第16話:頬

 女傑――男にも勝らんばかりの知勇を持つ女性を、古の人々はそう呼んで歴史の一頁に書き記し、逸話を後世へと伝えた。


 遡る事約九〇〇年前、日出ずる国――日本国に女傑、「巴御前」は存在した、


 平家物語で語られる彼女は、実に美しい相貌と……実に恐ろしい程の膂力を兼ね備えていたという。


 襲い掛かる敵武者を脇に抱え、そのまま締め上げて首を刎ねたとも、迫る敵将の馬に自身の馬を並べ、引き落として討ち取ったとも言われている。


 まさに豪傑、まさに一騎当千の戦女神である彼女を……花ヶ岡の女生徒達は崇敬の念を以て、「賀留多の女傑」を讃える記念品に、御前の名を拝借したのである。


 八八花を使用する技法において、最も「複雑」かつ「長丁場」かつ「奥深い」――《八八》の最強を決定する《八八女傑合戦》。毎年三〇〇名を超える参加者の頂点へ君臨した女傑に贈られる札こそが……。


 日本国史上最強の女傑の名を冠する《巴花》であった。


 花ヶ岡高校に賀留多を卸す「靖江天狗堂」の当代が、和紙や糊、染料、天気、湿気等々を極限まで気遣い、数ヶ月掛けて作成する手摺りの八八花には、花鳥風月の四八枚に加えてもう二枚、「巴御前」の肖像画を描いた札が入っている。


 一枚は馬上にて長刀を構える「合戦様相」。もう一枚は淑やかに子を抱き、微笑む「平穏様相」であった。


 これら特製の札を上にして和紙で結束し、花ヶ岡の校章を彫った檜の木箱に納めた逸品を……手にした者は羨望の的となるのは当然である。


 年齢、経験、一切関係無し。白雪の降る師走に催される「無差別の戦場」を、待ち焦がれる生徒は年々増加傾向にあった。




「ある意味、学校祭よりも盛り上がるわねぇ」


 ストローを突く宇良川に呼応するように、斗路は頷いて「闘技結果」をメモに記していた。友好目的の《花合わせ》は斗路の圧勝に終わった。


我々金花会も、その時期ばかりは毎日ですね。花石の出納だけでも大変なのに、組分けや会場の用意、参加者へお出しするお茶菓子の準備……目が回りそうです」


 そう言う斗路は実に楽しげであった。


「さて……僭越ながら、私が勝ち名乗りを上げさせて貰います。いぇーい」


 ニッコリとピースサインをしてみせた斗路を、対面する梨子は珍しげに見つめた。


「左山さん? どうされました?」


「い、いや……その、斗路さんって、もするんだなぁって」


 冷たそうな人――殆ど斗路と関わりの無かった梨子は、つい数秒前までそう思いつつも……垣間見えた「年頃らしさ」に戸惑っていた。


「そういう事、とは?」


 チョキチョキ、と指を動かす斗路。鋏を真似たその指は、しかし何も断ち切らない柔和さを持っていた。


「みーちゃん、近寄りにくい雰囲気を持っているじゃない。私みたいにぃ、もっと柔らかーい女になるべきねぇ。そうでしょう、近江君」


 使い終わった札を集めながら、優しい声色で龍一郎が返した。


「そうですかねぇ、斗路さんは立場上仕方無く……って感じがします。勿論、宇良川さんも同じです。俺に、時には厳しく、時には優しく接してくれますから……」


 むしろ、親しみやすいかも――白い歯を見せた龍一郎に、何処か宇良川は不満げに「生意気よぉ」と横目で見やった。


「ついこの前まで『宇良川さぁーん』って泣き付いて来たのにぃ? 左山さんに教えちゃおうかなぁ、……」


 途端に顔を赤らめた少年は、「勘弁して下さい」と頭を下げた。《花合わせ》の効果もあり、梨子は多少の余裕を以て「気になるなぁ」と微笑む。


「宇良川さん、ちょっとだけ教えてくれない?」


「あら、左山さんだけ狡いですよ。この斗路、是非とも拝聴したいですね。名うての《代打ち》が参ってしまうようなお話……」


「いやいや、本当に恥ずかしいですから……困ったなぁ」


 燃え上がりそうな程に頬が紅潮する龍一郎を、梨子は抱き締めたくなるような愛おしさを覚えつつ――。


 苦手意識を持っていた宇良川、斗路に対して「親しみ」も覚えていた。恐らくは彼女達も……。


「さぁ、こんな話は止めて打ちましょう、ね!」


 いそいそと札を撒き始めた龍一郎は、女三人で笑い合う梨子を見つめた。


「うん? どうしたの近江君? 飲み物頼む?」


 敬語が抜けてきた彼女に「何でもありません」と返す彼の頬は――。


 ホンノリと、温みを持っていたのである。

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