第11話:即死の七枚
「すいません、ここに書いてある出来役表って、何の技法がありますか?」
龍一郎は店員を捕まえ、「出来役表貸し出します」と書かれたポスターを指差した。賀留多に触れる事自体が初めての場合、大抵は手順よりも「出来役」の多様さに躓く。
出す、引く、合わせる、取る……ここまでは誰でも出来る。問題は――技法、地方、あるいは「場の状態」によって名前や点数を変化させる出来役である。
八八花をはじめ、賀留多を心から楽しむには……出来役と上手に付き合っていく事が肝要だ。例えば、花ヶ岡高校の購買部を覗くと、多種多様な下敷きが売っている。それらには各技法の出来役が印刷されており、まだ出来役に弄ばれるひよっこには頼もしい相棒となる。
この出来役下敷き、実際の売れ行きを見てみると一位は《八八》、二位で《てんしょ》、三位は《こいこい》となっている。しかしながら《こいこい》の下敷きを参照しながら打つ者は殆どいない。
せめて、《こいこい》は知っていて当たり前――という風潮があった。
「出来役表ですね、《花合わせ》《こいこい》の二種類となっております」
目当ての《六百間》は無かった。龍一郎は店員を解放すると、手早く置いてあったメモ用紙に出来役を書き記していく。
「汚くてすいません、文字だけなんですけど……出来役と対応する札を書きました」
「いいえ、そんな事無いですよ。ありがとう……一回通してやってみたいです。手順は分かりましたから」
流石は花ヶ岡高生――微笑む龍一郎は再び「手八場八」に配り直し、「ゆっくり行きましょう」と親手を梨子に譲った。
六百間、一局目。梨子は場札に目をやった。
松のカス 藤に郭公 牡丹のカス 萩に短冊
芒に雁 芒のカス 柳に燕 柳に短冊
どう動いたら良いんだろう……梨子は戸惑う。見慣れた八枚の場札が、この時ばかりは異郷の地のようだった。
互いの持ち点は当然「〇点」である。これから六〇〇点も取るなんて……などと身構えて当たり前だ。
しかしながら、この技法は実際に打ち始めると――凄まじい場の速度を体感する事となる。短冊札を一枚取るだけで「一〇点」。それが《藤》《菖蒲》《萩》の三枚であれば、三〇点足す《くさ》の役代で一〇〇点。計一三〇点となる。
札点、出来役点を合計していく内に、闘技者はある事実に気付く。
六〇〇間――何と絶妙な距離であろうか!
近くて遠い、遠くて近い。矛盾の技法が《六百間》である。
一手目、梨子は《松に鶴》を打ち出して光札を集める。この時点で五〇点の獲得だ。起きた札は《紅葉のカス》だった。一撃で三〇〇点を叩き出す《猪鹿蝶》の気配が漂った。
「じゃあ、これで」
龍一郎の一手目、手から飛び出たのは《萩に猪》だった。梨子の嗅覚は夏期休業期間で衰えてはいないようで、途端に場には《猪鹿蝶》、更には《くさ》の影が現れた。
「……あぁ、短冊か」
龍一郎は《松に短冊》を引き、パシンと場に捨てて手番を終えた。
先に《松に鶴》を取って良かった……梨子はホッと溜息を吐き、すぐに二手目へ移行する。
「うぅん……これかな」
出したのは《紅葉に短冊》、これによってカス札を合わせ取る。《青短》を狙って、というよりは《猪鹿蝶》の出現を危ぶんだ為であった。しかしこの札は《紅葉シマ》への橋頭堡にもなり、龍一郎への威嚇として有効であった。
起き札は《桜のカス》、不安が募るばかりだった。
続いて龍一郎は狙い澄ましたように《桜に幕》を打ち出す。光札は残り三枚、既にイチコロ役の《四光》は消えた。
「おっ、これは良いのを引きました」
彼が引いたのは《藤に短冊》である。どうしてその札が? と梨子は首を捻り、コツンと頭を叩かれた感覚を覚える。
「あっ……それって……」
龍一郎は嬉しそうに《萩に短冊》を指差した。
「そうです、《くさ》が見えて来ました」
困った時の藤打ち――有名な《こいこい》の格言である。大した役に絡まない藤の札を、良い手が無い時に「捨てるべき」と後世に伝えるものだ。
全く的を射る金言である。但し……《六百間》においては、無形の財宝を早々に捨て去るべきだ。
三手目。梨子はアイスティーを飲みつつ場を睨む。睨み、睨み……《桜に短冊》を捨てた。この時の彼女の手札は、次の通りである。
梅に鶯 桜のカス 菖蒲に短冊
菊のカス 桐のカス(白色)
恐らくは――この技法のセオリーを壊す選択じゃないはず……梨子は隠し持つ《桜のカス》を見つめた。だが彼女はある札の存在を亡失していた。
カス札以外と好きに合わせられる札……《柳に小野道風》の存在を。
起きた札は《梅にカス》、次手で六〇点札である鶯と合わせられる為、梨子は更に《鬼札》への警戒を薄れさせた。
対峙する少年は……ジッと彼女を見つめている。
晴れた日に浮かれて散歩をする蛙を、コッソリ付け狙う大蛇のように。
捕食者――近江龍一郎は《牡丹に短冊》を打ち出す。山札からは《桐に鳳凰》が登場した。
「これ、頂きます」
いよいよ楽しくなってきた梨子は、迷う事無く《桐のカス》を鳳凰に添え置く。幸運は妙に続くもので、起きた札は《芒に月》だった。
「おぉ! 左山さん、《松桐坊主》ですよ!」
「本当だ! 一気に大量得点しちゃった!」
合わせた場札は《芒に雁》、これを合わせて梨子は、四手目にして持ち点を三二〇点までに増やす。
「凄いですね左山さん、六百間の才能ありますよ絶対!」
「エヘヘ……そんなに褒めないで下さい……」
龍一郎は梨子を煽てながら《芒のカス》を打ち、《桐のカス(黄色)》を起こした。
一方の梨子は貪欲に手を進める。五手目に《梅に鶯》を打ち、《菖蒲のカス》を引き当てる。手札の《菖蒲に短冊》を当てれば、そこで龍一郎の《くさ》は根絶出来た。
「……駄目だ、流れが良くないなぁ」
対する少年には寒風が吹いているらしく、《桐にカス(白色)》を打ち出すも引き当てたのは《松のカス》。辛うじて《松に短冊》を手中に収めた。
六手目、破竹の勢いで突き進む梨子は《菖蒲に短冊》を打って生え掛けた《くさ》を枯らした。起こした札は《牡丹に蝶》、ここまで来ると《猪鹿蝶》への不安も薄らいでいた。
刹那。龍一郎は首を大きく回し、刺すような視線で場札を見つめた。背筋に生手を差し込まれるような感覚に……梨子の心臓が高鳴る。
何だろう、急に――肌がチクチクとする感じ。
「悪い流れは、断ち切らなくちゃな」
打ち出された札は《紅葉のカス》、起きた札は《菖蒲のカス》である。何の変哲も無い、カス札を増やしただけの手番であった。
《こいこい》で散見される、負けている側にありがちな「場乱し」。その醜態を――しかし、自由に演じられるとしたら?
可能であるならば、その打ち手はまさに……《代打ち》に相応しかろう。
対する梨子は、全く慢心し切っていた。
《桜に短冊》はデザートに、今はこれでも捨てておこう……何の気無しに《菊のカス》を捨て去った。起こした札は《藤のカス》、徒に場札が増えていく。
低い声で――龍一郎が言った。
「左山さん」
「は、はい?」
「その手は――非常に不味かった」
龍一郎は、捨てられた菊のカス札に……青い短冊札を叩き付ける。見開かれる梨子の目を一瞥した少年は、まるで意に介さぬと山札に手を伸ばし――検めた。
ニヤリと笑う龍一郎。引いた札を思い切りに《桜に短冊》へ叩き付けた。
「……っ? あぁっ!?」
鬼札――《六百間》における小野道風の別名である。苦労の書家は見る見る内に「鬼」へと変貌し、梨子のお楽しみである短冊札を粉砕した。
大変だ……アレが出来ちゃう前に――無事に終わらせないと!
死に札となった《桜のカス》を場に捨て、梨子は目を瞑って山札を起こす。……現れた札は《梅のカス》であった。
「どうしました、左山さん。まだ俺の手番は残っています」
街中を歩く時とは大きく違う、首を絞めて来るような声質に――梨子の動悸は荒くなった。
馬鹿だった、私は本当に馬鹿だった! 代打ちと戦う時は。絶対に――気付いた時にはもう遅い。
「これが《六百間》、これこそが《六百間》です。……どうぞ、味わって下さい」
イチコロです。
龍一郎は最後の手札を――《梅のカス》に叩き付けた。
《七短》。
完成と同時に「絶対勝利」をもたらす最終兵器。その内の一つである。対を成す
花ヶ岡高校においては、そのような「救済」は許されない。
作れたら勝ち、作られたら負け。それだけである。
如何に相手が六〇〇点を超えていようと、如何にこちらが貧弱な点数であろうと、全てを塵芥に処し、何もかもを書き換える。それは道理の外に存在する為……。
「
恐れを失った少女、左山梨子が敗北するのは、全く道理に適った事である。
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