満たされた世界

津田梨乃

満たされた世界

「ねえ、人は死んだらどこにいくの?」


 幼い妹弟たちが聞いてきた。私は煮詰めたシチューの味見をしながら、彼女らを一瞥する。必ず回答が返ってくると信じて疑っていないのだろう。好奇心に満ちた視線。

 早くに両親を亡くし、彼女たちの親代わりだった。ゆえに彼女らの知識の得所は、私のそれに一存される。


 さて、困った。死んだことのない自分が答えられるわけがない。しかし、彼女らの期待を裏切れない。忙しいふりをしながら考えてみるも大した答えは浮かばなかった。


「お空の向こう側に行くんだよ。そこでずうっと遊んで暮らせるの」

 まったく口からの出まかせだ。でも言った者勝ちだ。無になると偉そうに語ったり、不安を煽って毎晩死の恐怖と戦わせるよりずっといい。

 自分で口に出し、本当にそうなら良いと思った。そうすれば、もう少しこの世界を好きになれそうだったから。

 妹たちは疑う様子もなく、屈託のない笑みを浮かべながら言った。


「じゃあもし死んでも、みんなであそべるね」

 聞きようによっては不謹慎な発言だ。幼いといえど、親代わりとしては叱る場面だろう。だけど私は怒らなかった。

 彼らが大人になるにつれて、それが嘘だとわかり、各々の死生観を得意げに話す日がきたら。

 その時は、今日のことをからかってやろう。

 楽しみだった。




 そんな日は来なかったのだけれど。




 世界は化物に支配されていた。

 その親玉を有り体に魔王と呼ぶなら、それが諸悪の根源に違いない。

 私は、妹たちの亡骸を埋めながら復讐を誓った。

 すると不思議なことに、私には力が宿った。きっと誰に負けることもない力だ。そう確信した。


 全く世界は単純だ。これだけ単純ならば、本当にあの空の向こう側に楽園があってもおかしくない。本気でそう思った。

 同時に、世界は残酷だとも思う。力など与えられなければ。たとえ恨み言が口癖になろうとも、今よりはもう少しマシな人生を送れたかもしれないのに。

 私は、世界が嫌いになった。



 女の一人旅は、言うまでもなく困難の連続だった。

 国境を越えるだけでも、女だという理由で通してもらえない。必ずどこぞの誰それが魔王を討ち果たしてくれる、だからあなたは行くべきでない。などなど。まったくありがた迷惑な気遣いをされるばかりだった。


 時には、体を要求されもした。綺麗事や、おためごかした理由よりは、よほどわかりやすくて潔い。

 失うものも何もない私は、別に良いかと諦めた。



 諦めて、鉄拳制裁からの強行突破を図り、おかげで立派な指名手配犯デビューを果たした。



 武器一つ買うのも容易ではなく、やはり女に売る武器はないと無下にされるか、女を売れと迫られるばかりだった。

 だが、中には変人もいるわけで。


「金などいらん。もちろんお前もいらん。使いこなせるなら、それをくれてやる」


 そう言って、名前も知らない武器屋のジジイがくれた剣をずっと使い続けた。手入れさえ怠らなければ、不思議と刃こぼれもなく、切れ味も損なわれない。一体なんの金属でできているのか。今でもよくわからない。

 仮に伝説の勇者の剣みたいなものを手に入れても、私はジジイの剣を使うだろう。もっとも由緒ある武器なんて、私には無縁の長物だ。きっとどこかの王族御用達。私にはこれで充分だった。



 数年が経ち、妹たちを亡き者にした魔族の軍勢を根絶やしにした。

 溜飲は少しも下がらなかった。

 そのことに、がっかりしている自分に気づく。

 もしも、これで満足することができたなら、旅を終わらせられる。そんな気持ちがどこかにあったのかもしれない。

 世界め。どこかで笑っているか。



 それから人類は、私一人になった。



 魔王の最終兵器。魔族を除く、全ての命あるものを根こそぎ根絶やしにする。そんな冗談みたいな古代の魔法が発動されたのだ。

 伝説の勇者の末裔も、由緒正しき王族も、最強と謳われた部族たちも、抗うことも許されず死に絶えた。


 私といえば、お節介な精霊が自分の命を賭したことで不幸にも生き残った。生き残ってしまった。全く世界め。まだ私に戦えというのか。

 どうせ守るならあの子達を守ってくれればよかったのに。本気でそう思った私に、世界を救う資格はあるのだろうか。世界は救われたいと思うのだろうか。そもそも世界を救う意味があるのか。

 そんな自問自答は、最終決戦まで行われた。



「まったく、人類最後の生き残りがここまで強いとはね」

 人ならざる者が何かほざいている。立つ気力もないくせに無理するな。


「化物最後の生き残りも、なかなかのものだったわ」

 嘘は嫌いだ。だから思ったことを言ってやる。単に私の方が強かった。それだけのことだ。


 化物はすべて葬った。人は躊躇なく殺すくせに、魔王への忠誠心だけは立派な連中だった。おかげで、こちらから探す手間が省けたわけで。そして今も、諸悪の根源を跪かせたところだ。


「なあ、人は死んだらどこに行くんだ?」


 わずかに絞り出した声で魔王が聞いてくる。思わず見返した。もはや威厳も何もなくなった魔王の中に、いるはずのない妹弟たちを見たのだ。

 馬鹿げている。全く馬鹿げている。


「馬鹿だね」

 実際に呟く。これから言うことは、もっと馬鹿げているから。


「空の向こう側に行くのよ。そこでずっと」

 ずっと。


 ——そしたらみんなで



「空かあ」

 私の言葉が終わらないうちに魔王は、ほとんど倒れこむように仰向けに転がる。

 先の戦闘で、見事に貫かれた天井を仰いでいた。


「そりゃ、いいなあ」


 言ったきり、動かなくなった。



 物語ならハッピーエンドだ。

 英雄なら凱旋の始まりだ。

 だけど、私の人生は物語のように甘くない。

 世界は、この光景をどう思っているだろう。


 なぜなら人類は、私以外にいなかったから。

 なぜなら化物は、魔王以外いなかったから。


 もはや世界には私以外の生物は存在していなかったから。

 そして何より、貫かれたのは天井だけではなかったから。



 魔王に倣い、私も地面に転がった。視界いっぱいに広がる青空は、やけに眩しい。


「きれい」

 それだけ口に出し、目を閉じた。



 おめでとう、私。

 これであの子たちに会える。



 おめでとう、世界。



 今から世界あんたは、平和ひとりぼっちだ。

 だいっきらいな、私の世界。



(了)

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