第71話 魔導師の末裔
エレフォート家は、インフレキシブル帝国でも最古の魔法家系と言い伝えられていた。
そもそも、この世界では魔法は存在しない。お伽噺のような大昔の記録に、その存在が確認できるだけだ。それも与太話として語り継がれているだけのことである。
だから、エレフォート家以外の人間は、魔法の存在など信じてはいなかった。
その当主であるトマス・エレフォートは今年で三十になる金髪の美形の男だ。父親であるジョージ・エレフォートは五年前に亡くなっていたので、長男である彼がエレフォート家のすべてを引き継いだのだ。
この世界に魔法を使える者はほとんど存在しない。が、彼は魔導師の末裔であり、家には代々受け継がれた魔導書がある。それは、太古に使われた魔法の仕組みが事細かく記されている書物だった。
魔導師を先祖に持つ彼には、魔法を使える因子が備わっている。特にトマスは魔法に関しては天才的な才能を持っていた。代々のエレフォート家の者たちが、ほとんど魔法を使えなかったのに対し、彼は十歳の頃には簡単な魔法をマスターしていたという。
さらに成人し、家督を引き継いだことで彼の人生は大きく変化した。地下倉庫で眠っていた魔法のアイテムを手にしたことが最大の要因だろう。
そのアイテムは十二代目の当主リアム・エレフォートが、とある城から盗み出した魔法のペンであった。言い伝えに寄れば、それは描き上げたものを実体化させるという。
トマスの前の代までは、魔法のペンを使いこなすことができなかったらしい。ペンにかかった封印を解くことができなかったのだろう。
しかしながらトマスはペンを使いこなすことに成功する。彼自身の魔法の才能と魔導書に描かれた知識から、ペンの封印を解読して自らが使えるようにしたのだった。
「トマスさま。夕食はいかがいたしましょう? 料理長から肉料理か魚料理かをお聞きしてこいと言われまして」
メイドの一人であるシャーリーが、トマスの部屋の入り口からそう問いかけてくる。彼女はエレフォート家と交友のあるレマネー家の三女で、奉公としてこの家に来ている。十五歳の栗毛のショートカットの少女だ。
「うーん……そういえばミニレタ公爵から良い白ワインを頂いたのだった。そうだな、最近は肉ばかりだったから、あっさりした魚料理もいいな」
ロッキングチェアに座って本を読んでいたトマスは、天井を仰ぐようにそう答えた。
「かしこまりました。では、そのように料理長にお伝えいたします」
「夕食楽しみにしているよ」
「あ、それと地下牢の女の子ですが、本当に食事を与えなくてよろしいのですか?」
彼女はつい最近、退職したメイドの代わりに地下室にある幼女の世話係となった。ゆえに、まだ状況を理解していないのだろう。彼は、それを考慮して簡単に説明してやることにした。
「そうか、おまえはまだ知らないのだな。奴は子供ではない。何百年も生きた魔女だ。食事など与えて魔力を蓄えられたら、この屋敷はやつの魔法で吹っ飛ばされるぞ」
「魔女……ですか」
シャーリーの口元が緩む。彼女の表情からは、それを信じていないということが窺える。それも仕方が無いなと、トマスも納得はしていた。魔法や魔女の存在は、エレフォート家が必死で隠し通してきたのだから。
しかしながら、それももう終わる。世界各地で報告されつつある魔物の存在は、トマスが使える魔法と関連しているのだから。
これからの時代は鋼鉄の武器なんかよりも、強力な魔法を使える者が世界を征することになる。
「魔女なんて、お伽噺の中のものだと思っているのだろう?」
「ええ、昔、祖母から聞かされた物語の中でしか、魔女という存在は知りません」
「夕食の用意はまだだったな? 魔女がどういう存在なのか、おまえも知っておいた方がいい。付いてこい」
「あ、はい……」
部屋を出て地下室へと向かうトマスに、シャーリーは緊張した面持ちで後ろを歩く。
かび臭い石段を下っていくと、さらに糞尿の臭いが鼻につく。薄暗い鉄格子の前でトマスは止まり、彼は持っていたランタンを前方へと向けた。
そこには黒髪の幼女がうつ伏せで横たわっている。身長は百二十センチほどで、ぼろ切れのようなワンピースを着ていた。
その顔には生気がなく、まるで屍のようにも見えるだろう。不安そうな顔でシャーリーがトマスに問いかける。
「生きているのですか?」
「よく見ろ。背中が上下している。まあ、百年ほど何も食べていないのだからな」
「百年……ですか」
「あの魔女は不死の肉体を持っているのだ」
「死なないということですか?」
「そうだ」
「ですが、わたくしにはただの幼子にしか見えません」
「そうだな……これを見ただけでは、単に幼女を閉じ込めて虐待しているだけだと誤解されても仕方がない」
「本当に魔女なのですか?」
シャーリーは心配そうに幼女へ視線を向ける。トマスは彼女のその様子に苦笑いをしながらこう告げた。
「おまえは世話係だからな。下手に情を移されて、魔女を逃がされてはたまったものではない。今から、その恐ろしさを心に刻みつけておくがいい」
トマスはそう言うと、両手を前方に掲げて呪文のようなものを唱える。
「疾風の紫の精霊よ。風の刃で切り裂け!」
無風であった地下に、突然つむじ風のようなものが起きる。それはそのままトマスの前方にいる幼女の元へと進んでいく。
肉を切り裂くような音がして、幼女の脚の表皮が十箇所以上断裂した。そして、傷口からは無残にも血が噴き出していく。
「キャッ!」
思わずシャーリーは口を押さえて目を見開く。だが、その表情は恐怖から首を傾げるような驚きへと変わっていく。
「あれ?」
切り裂かれた目の前の幼女の身体が、まるで時間が巻き戻るかのように傷口を塞いでいくのだ。
「あの魔女は首を切り落としても元に戻るぞ」
トマスはそう言って笑った。
「これが魔女……」
「そうだ。こいつが、かつてエレフォート家を襲った悲劇の元凶だ」
「食事を摂らせないのであれば、わたしは何をお世話すればよろしいのでしょう?」
「一日二リットルの水を与えよ。これよりも多くても少なくてもよくない」
「水ですか」
「彼女は動けなければ問題ない。だから食事を与えないようにして魔力を蓄えさせない。だが、水も与えないとなると、あの魔女の中の微量に残った魔力の制御が効かなくなり、恐ろしいことが起こる」
「そ、それはいったい?」
「俺の曾爺さんが魔女を捕まえたとき、水も与えなかった。結果的に、魔力の制御が効かなくなって暴走して魔物が溢れ出した。十三人もの死者を出して、ようやく魔物退治はできたがな」
それこそがエレフォート家を襲った悲劇なのだ。
「魔物ですか……」
「おまえもお伽噺の中で聞いたことがあるであろう。人の悪意から生まれる
「ええ、お祖母様がよくその話をしてくれました」
「とにかく、適切に管理さえすれば危険はない。あの魔女は、エレフォート家が世界を支配するために必要な素材なのだから」
そう言ってトマスは、右側の口角をつり上げた。
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これにて第三章は終幕。
次回から【第四章 正義の味方ってわけじゃありません! 謎の美少女から始まる国際救助隊生活】が始まります。
ハルナオたちが向かう先に待ち受ける新たな敵とは?!
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