第5話 わたくしは紛い物です

「これで寒くないでしょうか?」

「あ、ああ。温かいな舞彩マイは」


 作り物とは思えない彼女の体温、そして柔らかな肌。生きている人間となんら変わりはない。


 そういや、この魔法のペンを作った魔法使いも、実体化した使い魔に愛情を注ぐあまり最後には人間にしてしまったという、「なにそれ? ギリシア神話のピュグマリオンなの?」的な話が日記に書いてあったしな。


「すみません。わたくしに大気を暖められるような魔法があれば」

「いや、十分だよ。ありがとう、舞彩」


 身体が温まったのはいいけど、これじゃ寝られない。下半身が元気になってしまっている。


「わたくしはご主人さまのものです。わたくしをどう扱おうと構いません」


 耳元でそう言われる。ま、普通に考えれば誘っているのだろう。魔力を注入してもらうことこそが、自らが存続するための手段なのだから。


 とはいえ……緊張しすぎて、舞彩の方を向けないよ……。


 たぶん、本能の赴くまま襲ってしまっても彼女は文句も言わないだろう。けど、それは俺のプライドが許さない。


 童貞にとっては、プライドこそが優先されるのだから。


 そりゃ非モテじゃなかったら、「そんなプライドなんか捨てちまえ」と友人たちに言われるのがオチだが、ボッチの俺にそんな事を言ってハッパをかける奴なんかいねえよ。


 孤高こそが俺を構成するものだ。と、無駄なプライドを発動させる。


「そういや、この場所ってどこなんだろうな?」


 エロい感情を抑えるために、ごく普通の会話を始める俺。


「わかりません。ご主人さまと共有した知識からは、この場所一帯の植物で該当する国や地域がありません。そもそも、あの果実にしてもご主人さまの知識にない種類です」

「やっぱりそうか。そうなるとここは異世界か」


 そういえば使い魔は、主人と知識の共有ができるという。俺の常識が舞彩にも通じるというのはわりと便利でもある。


 まあ、そんなことより現状を把握することだ。


 魔法のペンの存在もあるし、俺が元いた世界とは異なる場所という可能性も捨てきれない。


「明日、修復魔法を使いながら城の中を探索しましょう。もしかしたら、何かヒントになるようなものがあるかもしれません」

「そうだな。よろしく頼むよ」

「お任せ下さい。わたくしは、治癒系や防御系の魔法なら得意のようですし、ご主人さまのサポートができます」

「よろしくな舞彩」

「はい、ご主人さま」

「おやすみ、舞彩」

「おやすみなさいませ、ご主人さま」


 そう言って数秒後には舞彩マイの穏やかな寝息が聞こえてくる。やっぱり、こいつも睡眠はとるのか。


 だがしかし……俺はまったく眠れる気がしなかった。女性に添い寝されるなんて、人生初なのだから。


「マジで眠れねぇ……どうしよう……」



**



 次の朝もリンゴらしき果実を食べたが、何日もこんな食事では俺がまいってしまう。できれば肉が食いたかった。


 幸い内陸部には森があり、鳥や鹿のような生き物がいる。遠くから、ちらっとそれらしき動物が確認できた。


 狩りができれば肉にありつけると、魔法のペンで弓矢や銃を描いてみるものの実体化ができなかった。たぶん、属性というものに縛られるのであろう。


 しかも舞彩マイの魔法は狩りには向いていない。


 基本的に癒し系だし、攻撃魔法はアンデット系にしか効かない。攻撃に使えそうなものは土や石からゴーレムを作り出すことくらいか。ただし、そいつらは頑丈ではあるが動きが遅くて、とても動物を狩るようなマネはできない。


 いちおう建設魔法で落とし穴を作って罠をしかけるが、動物がかかるまでに時間がかかるだろう。


 というわけで、廃墟と化した城の内部探索を進めることにする。昨日探索した部分にはめぼしいものは見つからなかったからな。


 舞彩の修復魔法リペアで崩れた出入り口を修理していけば、何かが見つかるかもしれない。というか、あと六本はあるという魔法のペンを探すことが目的だ。


 七元素というならば、火や風や水なんかは、メジャーな攻撃魔法があるわけだから、それらを行使できる魔法使いを描けばいいのだ。


 というわけで、探索を開始。


 中央のホールからは、階段を昇って上の階へと向かう扉がある。一階部分の右手には完全に崩壊した入り口、そして、左手には大きな岩のようなものが塞いでいる入り口があった。


 左の方は、多少すき間があって、子供くらいの身長なら先に進めそうな感じだな。


 まずは左側の入り口に詰まった岩をどけてもらうように舞彩に頼む。


「聖なる橙の大地の精霊よ。我が通行を妨げる岩を砂と化せ」


 入り口にあった大岩が、魔法を唱えた瞬間にさぁーっと砂に変わっていく。分解魔法デコンポーズである。修復魔法リペアの発展系だ。


 使い方を限定すれば地面に穴を掘ったり、穴を崩したりと広範囲にも使用できる魔法なのである。だが、発動に時間がかかるのがネックで、さらに魔力消費が激しいので一日数回が限度だと舞彩は言っていた。


「お待たせしました」


 彼女の魔法で、そこは数分で通れるようになる。自分で設定したとはいえ、その魔法の凄さに感心した。


「すごいな」

「お望みとあらば城ごと修復も可能ですよ。少しばかり時間がかかりますが」

「分解魔法と違って修復魔法は何度も使えるのか?」

「ええ、修復でしたら分解魔法に比べて魔力消費も半分以下です。一気に魔力が減ると貧血のようになりますが、こちらの魔法はそれがありませんから」

「それでも舞彩の中の魔力は減るんだろ? 消失までの時間が短くなってしまう」

「ご主人さまが、わたくしに魔力をお注ぎいただければ問題ありませんよ」


 舞彩が腕を組んでくっついてくる。鼻をくすぐるバニラの香り。


 といっても、胸を押し付けてくるような、はしたないことはしない。少し控えめに身体を寄せ、あくまで俺の気持ちを尊重してくれる。


 俺が拒否ったら、きっと彼女はそのまま退くのだろう。彼女の中に刻み込まれた『使い魔』としての性質が、主人の命令を最優先するからだ。


 それらは、徐々に俺の中で違和感を形成しつつある。


「ああ、わかってる。けど、俺はちょっと女性が苦手なんだ」

「ええ、ご主人さまの過去の記憶の共有をしましたから、その経緯は存じております」


 そういえばそんな特性もあったのだな。だからこそ、俺と舞彩は会話が通じるのかもしれない。コミュニケーションにおいて共通認識というのは大切なことだからな。


 とはいえ、わりと恥ずかしいな。自分の過去をすべて覗き見られるわけだから。


 けどまあ、舞彩になら知られても平気なような気がする。彼女はすべてを受け入れてくれそうだから……。


「だったら――」


 少し控えてくれと言おうとしたのを彼女に止められる。


「だからこそ、ご主人さまは女性を知るべきです。もちろん、わたくしは紛い物ですが、それでもご主人さまが変われるきっかけとなれるはずです」


 舞彩は俺の右手を両手で握りしめ、真剣な眼差しをこちらに向ける。予想外の反応だった。使い魔なのだから、主人の命令には逆らわないと思っていたのだが。


「紛い物って……」

「生み出していただいたことには感謝しております。だけど、自分がどのような存在かは理解しているつもりなんですよ」


 健気だな……。俺もそれは十分理解している。彼女が二次元の産物だということを。


「ご主人さまは女性が怖いのですよね?」

「ああ」

「わたくしは怖いですか?」

「怖くはない……けど、やっぱり怖いかな」

「どうしてです? やっぱり人じゃないから?」

「そ……それは大丈夫だ。俺は二次元でも愛せるから」


 つい力説してしまう。だからこそ、ここまで絵を描くことに傾倒したんだからな。


「だったら、なぜ?」

「愛せるからこそ、汚せないって気持ちも働いちゃうんだよ。俺童貞だし」


 最後は自虐。どうも、男女の営みイコール『やましいこと』と感じてしまう。


「うふふ。ご主人さまらしいですね。そんなの気にしないでいいですのに」

「順番ってのもあるだろ。告白してすぐエッチしちゃうようなエロゲはあまり好きじゃないし」


 昔そんなアダルトなゲームをやったことがある。様々な女の子と最終的に恋人関係になることが目的な、アドベンチャーゲームと呼ばれる十八禁のエロPCゲームだ。


 その中では告白してOKをもらって、すぐにエッチシーンに突入ってのが多かった。個人的には、それがどうしても納得がいかなかったという想いがある。


 まあ、童貞の浅はかなこだわりなのだろうけど。


 出逢ったその日にエッチしちゃうなんて、現実世界では当たり前のようなことが、俺には認められないだけなんだ。


 女性が怖いくせに、女性との純愛に憧れてしまう部分もある。それはマンガやアニメの影響も大きいだろう。そんな矛盾した自分の気持ちは、どうにもモヤモヤしてくる。


「ああ、なるほど。そうなんですか。けど、嬉しいです。わたくしを人と同様に大切に扱っていただけるなんて」


 舞彩が笑顔で答える。というか、俺と知識を共有しているから、エロゲという言葉も即座に理解したのだな。そう考えると、少し恥ずかしい気もしてくる。


「まあ、そんなわけだから、少し待ってくれ。俺はおまえを消したりしないから」


 そう言って先へと進もうとした俺のを舞彩は呼び止める。


「ご主人さま」

「なんだ?」

「わたくしを大事にして下さいね」


 頬に舞彩の唇の感触が……。思わず顔がかーっと熱くなる。手順を踏むという俺の我が儘に付き合ってくれるのか?


 というか、正当派ラブコメのお約束にも付き合ってくれるのかな?


 そう軽く考えた俺の頭の片隅には、拭えない違和感が広がりつつあった。

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