第3話 バニラの香り

 日記には魔法、魔力という言葉が出てきたことから使い魔には魔法を使わせることができるらしい。ならば、僧侶系の魔法使いを実体化できれば俺のケガも治せるのではないか?


 グダグタ悩んでいる暇はない。日記によれば小さな食品は二時間程度で消失してしまう。つまり、実体化には制限時間があるのだ。ゆえに食べても消化されて栄養にはならない。


 ここから外に出て、食糧をなんとか確保しないと俺は餓死する運命にある。


 人間並の大きさの使い魔であれば、二週間は存在し続けられると書いてあった。それでこの状況を打破すればいい。


 俺はペンを持つと、どんな使い魔を描こうかとイメージする。


「どうせなら、やっぱり女の子がいいよな」


 リアルな女の子は苦手だし、女性不信の気はあるけど、イラストの女の子の実体化なら俺にも許容できるはずだ。


 最初に頭に浮かんだのは、中学生の頃に初めて描いた理想の女性。その前までは、漫画のキャラに首ったけであったが、中二病を発症した頃から自分だけの理想の女性を想像……創造するようになった。


 あの頃の画力は未熟で結局途中で投げ出してしまったが、今の俺の技量ならそのイメージを忠実に再現できる。


 理想のイラストを描き上げられる!


 胸に沸き上がる根拠のない自信。いや、これは俺自身の情熱、いや情念といった方がいいだろう。


 理想の彼女は妙齢の女性。設定では二十三歳くらいだったか。髪型はセミロングで、童顔で少したれ目のタヌキ顔。


 清楚でいて、微笑みが映える女性。俺のような変わり者でも受け入れてくれる聖母のような存在。


 人になんか恥ずかしくて話せないような理想は、俺の中で長いこと凝縮されていった。それを今、解放するだけなのである。


 服装は黒がベースのメイド服に純白のエプロンとレースは外せない。ペンの色はモノクロだけど、俺のイメージは再現されるだろう。それはロールケーキで経験済みだ。


 三時間ほどかけてそれは描き上がる。


 十五年以上の時を経て、ようやく俺の前に再現された理想の女性像。


「そういえば、設定と名前が必要だったな」


 日記によれば、それらを書き加えないと実体化しないという。ロールケーキの時も、無意識に条件をクリアしたからこその実体化だったのだ。


 まずは魔法使いの設定から考えよう。こいつを実体化する理由は、俺のケガを治す事が第一。あとは、この場所がどうなっているかを探索するのにサポートが必要だ。


 治癒系の魔法を一通り書き加え、その後に防衛の為にも攻撃系の魔法が必要かと思い、ファンタジー世界では基本的な魔法であろう火球魔法ファイヤーボールを書いた。


「あれ?」


 火球魔法の文字が消えていく。そういえば日記には、ペンには属性があるというような説明があった。


 そして今手にしている橙色は「土属性」ということらしい。癒しと創造を司る精霊を宿すと書いてあった。


 その属性にあったものを設定して書き加えなければ無効になってしまうようだ。


 治癒系だとアンデットに有効な魔法とか、あと土系なんだからゴーレムとか土壁とかできそうかな。創造とあるんだし、修復や建築、土木建設系の魔法も入れてみるとしよう。

「よし、OKだ!」


 それらは消えなかったので、俺の解釈は間違っていなかったようだ。


 魔法を書き終えて、さらに性格設定を書き加える。


「性格は俺を無条件で慕って甘えさせてくれる『バブみキャラ』と……あれれ?」


 書き加えた性格設定の文字が次々と消えていく。『バブみ』とかオタク用語がはダメなのか?


 仕方がないので『優しい子』とか『癒し系』と書くがこれも消えてしまう。


 もしかして性格は、魔法の設定のように属性由来でしかダメなのか? と思ったが、橙は癒しの力を持つんだよな? 「癒し系」の性格がダメってのはおかしい。


 そもそも、性格設定は出来ない仕組みなのか? まあ、使い魔だし、それほど個性が出ないのかもしれない。


 なので性格設定は飛ばして、タイトル=彼女の名前を考える。これを最初に描こうとした十代の頃は、完成できなかったから名前まで考えていなかったんだよな。パンツのデザインまで妄想していたってのに。


 もちろん純白のレースフリフリのやつだ!


「名前はどうしようかな?」


 そういえばペンは七本あると日記に書いてあった。ならば七人生み出すことも考慮するべきか。


 単純にナンバーでは味気ないし、好きなアニメキャラだと統一性がなくなる。七……七色……七姉妹。


 そうか、ギリシア神話にプレイアデスの七姉妹がいたか。あれから採用するとしよう。長姉がたしかマイアだったな。あ……でも、そのまま付けるのも安直か。


 少しアレンジして「マイ」。カタカナだと無個性だなぁ……せめて漢字を使おう。


舞彩マイ


 俺は描いた絵にそう名付けた。


 床に描いた線が光り始める。そして、濃厚なバニラの香りがむわっと漂ってくると、床付近のわずかな空気の流れが渦を巻き始める。


 それは埃を舞い上げ、描いた線から発生する光と相まってホログラムのような立体映像を目の前に作りだした。


 さらに光は強くなり、視界がホワイトアウトした瞬間に、ハンドベルを鳴らしたような甲高い透き通った音が響き渡る。


 そして目の前には俺の描いたイラストが実体化した。


 それは俺が十年以上も昔に夢見た理想の女性。


 無表情だった彼女の顔に生気が宿り、俺に視線を向けると安心したかのように微笑む。


「はじめまして、舞彩マイです。ご主人さま」


 彼女は俺の目の前で跪いて挨拶をする。ふわりと黒髪が靡いた。その黒の中にわずかに橙の輝きを持つ色味である。


 俺の描いた絵が動いて喋って、目の前にいる。まるでアニメ化……じゃないけど、これは絵描きにとっては夢のような出来事だ。


 目頭が熱くなる。


「どうなされました? 足が痛むのでしょうか?」


 心配そうに俺の顔を覗き込む舞彩マイ。俺も逆に彼女の顔をマジマジと見つめる。二次元から三次元へと変換された彼女は言葉を失うほど美しい。


 そりゃそうだ。もともと俺の絵は目がでかいアニメチックなキャラではないので、立体化してもそれほど違和感はない。昔、3D造型にも手を出したこともあったから、わりと立体的になったことをイメージして描けているのだから。


 思わずその顔に見とれてしまう。そして、吸い込まれるような瞳に俺の心は鷲づかみにされた。


「ご主人さま?」


 小首を掲げる舞彩マイ。俺が呆けているものだから心配しているのだろう。


「ああ、すまない。俺の名前は――」

「ご主人さま。あなたの名前とあなたが持つ知識は存じております」

「知っているのか?」

「ええ、ご主人さまの名前は冴木サエキ春直ハルナオさま。現状の空間はご主人さまの元いた場所とは異なっているということですね」

「そうだ……」

「まずは足の捻挫を治しましょうか」


 彼女が近寄ってきて呪文を唱える。が、慣れないからか、それとも俺のリアルな女性への苦手意識が拒絶反応をおこすのか。体がビクリとして思わず後退しそうになる。


 せっかくケガを治してくれるのに、それを拒否してしまったら実体化した意味がないというのに。


 目の前の女性は、女性であって女性でない。何を言ってるのかわからなくなってくるが、リアルの女性じゃないんだと、念仏のように俺は唱えた。


「聖なる橙の大地の精霊よ。彼の者の傷を癒したまえ」


 声はこれといって設定していなかったが、バニラのように甘く落ち着いた声。魔法が発動した瞬間、再びあの甘い香りがむわっと漂ってくる。


 その魔法で痛みがすーっと引いていくのがわかった。恐る恐る立ち上がるが、痛みはまったくない。問題なく歩ける。これが治癒魔法か。


「ありがとう舞彩マイ

「いえ、使い魔として当然のことです」


 そういや、彼女は魔力の注入を行わないと消滅してしまうんだったな。


「恥ずかしい話なんだが、魔力はどうやって注げばいいんだ? 俺は魔法使いでないので、やり方がよくわからない。もしかしたら、せっかく実体化したキミを消失させてしまうかもしれない」


 目の前の女性は本物の人間ではない。そんなことはわかっていても緊張してしまう。緊張というか、女性に虐げられてきたトラウマが甦りそうだった。


「わたくしたちは使い魔ですよ。それこそ、使い捨てのように使っていただければ」

「ダメだ。この世に生を受けたのだから、キミを少しでも長く生かしてやりたい」


 もともと自分の描いた絵には愛着を持っていた。そんな簡単に……描き捨てるなんてことはできない。


「お優しいんですね。ご主人さまは」

「優しいというか、エゴだよ」


 照れてしまう。いや、まあ、ただの二次元オタだから仕方ないんだけどね。キャラへの愛情は人間以上にかけられる変態なだけだ。


「わたくしを気に入っていただけるのであれば、魔力の注入はそれほど難しくはありませんよ」


 極上の笑顔をこちらに向けて近づいてくる舞彩マイ。思わず腰が退けてしまう。


「どういうことだ?」

「えっとですね。わたくしを抱き締めてください」

「へ?」


 舞彩マイが抱きついてくる。柔らかい身体、甘い香り、そして……。


「こうやってわたくしに触れて、その面積が大きければ大きいほど、魔力はご主人さまからわたくしに注がれます。そうですね、一時間くらいこうしてれば五パーセントくらいは回復するでしょう」


 思いっきり抱き締められた。柔らかい肌の感触が前面に押し付けられる。と同時に、バニラ臭とは違う、甘ったるい官能的な香りもしてきた。これが女の子の匂いなのか? クラクラして正気を失いそうだ。


 いかん、と首を振って思考をクリアにする。


「そんなんでいいのか? いや……けど一時間で五パーセントって、めっちゃ効率悪くないか? ほぼ一日中抱き締めてないといけないことになるぞ」

「イヤですか?」

「そ、そんなことはないが……」


 思わず声が上擦ってしまった。リアルな女子だったら、ここでゲラゲラ笑われるんだよなぁ。だが、目の前の舞彩マイは優しげに笑みを浮かべてこう告げる。


「うふふ、ごめんなさい。ご主人さまをからかってしまって。実はもっと効率の良い方法もあります。これなら、短時間でフル充電可能なほど魔力が注がれますわ」

「どんな方法だ?」

「ご主人さまの体液をわたくしの中に注いでいただければ、ものすごく効率が良いですよそれが雄の生殖細胞であれば、魔力の濃度はさらに高くなりますから」


 思考が固まりかける。さすがの俺でも、その意味がわからないわけがない。


「えっと……キミの中ってまさか」

「そうですね。性的な営みといえばわかりますよね?」

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