第2話 魔法のペン
何か甘い物を食いたくなるような匂いだ。疲れもとれていないので、身体がそれを欲しているのだろう。
俺は、その匂いの元へとたどり着こうと懸命に這っていく。
だが、せっかく匂いの元へとたどり着いた俺の目の前にあったのは、万年筆のような橙色のペン。これが匂いを放っているらしい。たぶんインクにそんなフレグランスが含まれているのだろう。
食べものを期待していただけに、落胆どころか絶望寸前だ。おまけに空腹と痛みで意識が朦朧としてきた。
そんな中、俺はペンを持ち、ほぼ無意識に手を動かしていた。そのペンで床に、バニラクリームのたっぷり入ったロールケーキの絵を描いてしまう。
こんなもの描いてもどうにもならないと理性でわかっていても、俺の手が勝手に脳内のイメージを描写するのだ。絵描きの極限状態の本能だろうか。
幻を脳内で作り出して幻想を見るのではなく、自ら描こうとしているところが俺らしくもあった。
「お腹空いた」
描き終わってからも、俺の設定画を描くクセが抜けていないのか、そのロールケーキがどんな材料を使っているのか、どんな味なのか、どんなに美味しいのかを注釈として書き込んでしまった。
そして、最後に「特製ロールケーキ」と題名を付けて俺は気力を使い果たし、それ以上は動けなくなってしまう。
ところが、バニラクリームの甘い匂いが、さらに濃くなってきたような気がした。まるで目の前にそのケーキがあるように。
「あれ? 腹減りすぎて幻が見えるようになったか?」
手を伸ばしたその先には、幻ではなくあのロールケーキのふわふわした感触が伝わってくる。
それを思わず口にした。
「あまーい!」
脳内が活性化される。むしゃむしゃと夢中でそれを食べきった。ふいに床を見ると描いたはずの絵が消えている。
「ん? 絵を描いたのは俺の勘違いか? それともロールケーキを食べたことが幻か? いや、この手にはさっきのロールケーキのバニラクリームが残っているよな」
指に付いたそれをペロリと舐める。甘い。たしかにケーキは幻ではない。
まさか? と思いながら、今度はそのペンで熱々のフライドチキンを描く。
だが描いただけでは何も起こらず、説明書きとタイトルを書き加えたところでそれが実体化された。
恐る恐る口にすると、若干バニラの香りのするフライドチキンだった。
「だが、美味い!」
このペンは描いたものが実体化される魔法のアイテムなのか? とはいえ、若干能力の無駄遣いをしている気がしなくもない。
空腹は満たされたが、足の痛みは取れない。仕方がないので湿布薬を描いて実体化した。バニラ臭がするが、効果には問題ないだろう。
とはいえ、こんなものですぐに治るはずがない。きっと捻挫だ。完治までに三日以上はかかるはず。
足を動かせず、這うように移動するので階段は降りられない。この狭い玉座の間から俺は出られないでいる。まるでスマホアプリの脱出ゲームのようだ。
こういう時は何かアイテムを組み合わせるんだっけ?
それも足の痛みが治まるまでか。食事は問題ないけど、排泄はどうしよう? そんなことを考えながら周りをさらに観察する。
「ん?」
ミイラの座る椅子の足元に、本のようなものが落ちていることに気付いた。
地金で閉じられたような重厚な製本のされた古書。まるでお伽噺に出てくる魔導書のような感じだった。
女性の横顔のシルエットが、表紙に金色で箔押しされていた。そのシルエットは女神のような雰囲気がある。
それを手に取ると本を開く。はたして俺の読める文字で書かれているのか?
ページを開くとまったく見知らぬ文字が目に飛び込んでくる。が、次の瞬間、視界が歪む。すると見知らぬ文字が日本語へと変換されて脳内に入ってきた。
【赤の月、鳶の日。魔法のインクが完成した。これは描いたものを実体化できるものだ。本日より実験結果をこれに記すこととする】
このペンは俺の想像した通りのものであった。
俺は日記をぱらぱらとめくって速読する。時間がないので重要な箇所だけわかればいい。
数分後、大まかな日記の内容を読み終える。
要約するとこのペンは七本あるうちの一本らしい。あと六本はどこかにあるということだ。
一番驚いたのは、このペンで描くものは生物でも構わないということ。つまり、人間を描いてもそれが実体化されるのだ。
実際、このペンを作った魔導師も女性を描いて実体化し、使い魔として従属させたという。
「あ、そうか!」
閃いたのは、この最悪な状態から抜け出す道。
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