『噴鬼』下
ぶちまけた朱、むせ返る鉄の臭い、ほのかに下がる気温、感想はもったいないの一言だった。
モード=ブラッディ・マリー、他の名前など思い浮かばなかった。
ただ漠然と、スティンガーの名を聞いた瞬間に、同じ名前のカクテルがあったなという思い付き、そこから連なる名前の縛り、その中でも血まみれと言う意味のブラッディ・マリーはかなりの有名どころだった。
だからこそ、ここぞという、最高で最強な最大モードの名前にするつもりだった。
それが、迫るビームに焦ってたとはいえ、これになるとは、もったいないとしか思えない。
やったこととは、ただスティンガーズが溢れた三人へ手を伸ばし、繋げ、乗っ取り、別の手近かな四人をざっくり、かきよせ絞り、そいつらに生来の血圧に過剰に締め上げらる筋肉、縛り上げるスティンガー、一瞬にして人外の血圧に達した三人の肩から上が弾け飛んだ。
それがぶちまけた朱、むせ返る鉄の臭い、ほのかに下がる気温、血と骨と肉と脳と後なんかでできた濃霧が、ブラッディ・マリーだった。
……見た目は派手である。
しかしやってるのは目くらまし、姿を隠す逃げの一手でしかない。それも、相手がビームだかレーザーだかだとわかっていて、いや、そう予測を立ててたまたま正解だったから、こうして何とか生き残れた。
一つ、相手の噴鬼とかいうあのロボットの銃がでかいわりに威力が低かったのも生き残れた要因に、ブラッディ・マリーへのケチに、加えよう。
「うぇっぷ!」
下品な声に振り返る。
そこには、横一列に並んでた残りがいた。
覚えてる顔は運転手だけ、だが他も同じ乗客だろうと想像つく。
そいつらは、朱の霧の外にいながら、焦げもなく、五体満足に見えた。
……訂正だ。
この威力は手加減によるものだ。
迷いでも躊躇でも心の弱さでもいい。
あの
でなけりゃ、あの自爆で吹っ飛とべる実弾からわざわざ弱い方に切り替える意味がない。もっと言えば、バスも無事、帰りのことも心配してくれるとは、実に実に実に、武士道精神にあふれる武士じゃあないか。
ぶち殺す。
唾を吐き捨て、全身のスティンガーズへ、命じる。
延ばし、後方の生き残りを用いて、焦げてまだ食えそうな肉を用いて、最速でたっぷりと増殖させる。
そいつらを戻し、切り替えるモードは最終だった。
モード=XYZ、新宿駅に未だに残る掲示板のような名のこの姿は、最大戦力にして最終形態、現在での最大戦力にして最終形態だった。
初めは脳髄、そこからせき髄に沿って伸ばし、手足の末端まで繋いで神経速度を跳ね上げる。
そこから体外のスティンガーズへ、関節は薄めに、それ以外は厚めに、みっちりと編み込み形作る。
露出してるのは両の
更に余った分は背中に、亀の甲羅のように束ねて、その内には非常食の肉片をいれられるだけ入れて、完成だ。
身長は軽く二倍、体重はさほど変わらず、だから体が紙のように軽い。
鏡がないのが残念だが断言できる。
俺のこの姿を見れば誰もが『神』を連想するだろう。
上限のないパワー、世界を置き去りにするスピード、さらに力をこめれば電撃さえも生み出せる。
変身完了、まさしく万能感、これぞチート、これぞ主人公のあるべき姿だ。
絶対的な戦闘能力こそが物語の華だ。異世界に転生して、他とは違う苦労をして、やっとこさハーレムも築いて、ようやく異世界転生した俺様が圧倒的チート能力でありとあらゆるものを蹂躙して喰らって潜って増えてあへえええええええ。
……絶対的な力にはリスクが付きまとう。
このモードの場合は、脳に直結してる上に数を増して、リミッターも外しているから、乗っ取られる危険性がある。
それを踏まえ、エネルギーの消耗とスティンガーズの摩耗を考えると長期戦は無理だ。
短期決戦、そう言えば嫌いな分野だが、真っすぐ行ってぶっ飛ばす、なら大好きだ。
身を屈め、足を曲げ、力を貯めて、解き放つ。
世界が縮む。
一歩が五歩にも匹敵する加速、ただ走るだけで、風を、空気を、世界を引き裂く感触に、力の快楽が燃え上がり止まらない。
出迎えるのは噴鬼の残る四つ腕、八門の銃口、一斉掃射、銃声から実弾らしい。
射撃の腕は、ロボットらしく正確だった。
だからこそ避けられる。
今いるこの場所、あるいはこれから突立つするであろう場所を予想しての射撃は、それだけに読みやすい。
加えてこのモードでの加速に、不安定な砂地がプラスになって、軌道が不安定にできた。
掠める砲弾、間際の爆発、傍らの即死、拡張された意識が当たったら死ぬぞと導き出す。
それでも、このモードになってでも、接近しなければ勝ち目はない。
「おのれ!」
噴鬼の悪態が聞こえる距離、されども手も足も届かない距離、八門の銃口が輝き出す。
レーザー、ビームか?
その光量と溜め時間から、次が本気の攻撃だと察しがつく。
血が足りない。同じ手は取れない。
ならば、上だ。
着地した足をより曲げ、深く沈んで、ありったけの力で跳べと命ずる。
スティンガーズは速やかに従った。
砂地を踏み固め一気に上空へ、飛翔する。
比較対象のない砂漠、にもかかわらずその最高高度は下手なビルを軽く飛び越え、向かう先は正確にまっすぐに、噴鬼の元へと飛び進む。
太陽光を全身に受け空を舞うスティンガーズの姿は神々しい。
後は翼があれば完璧なのだろうが、薄さと強度を求められると細いスティンガーでは無理だった。
「ぬかったな!」
勝ち誇った声、上空へ向けられる銃四つ、銃口八つ、寸分たがわず狙い、そして撃った。
爆風、熱風、太陽と見まがう圧倒的な光、影さえも焼き尽くしかねない圧倒的なビームは、上空の神々しい姿を、一瞬にして消し炭にした。
更に貫通、上空を突き抜け、そしてついに、天井へ、ぶち当たった。
伸びてた光はたっぷり十秒残り、消えた後には遠くでもわかる火花、溶解して溶けてる天井、滴るのは熔解したのだろう。それでもまだ、空気漏れはなさそうだ。
放った銃は、銃口だけでなく銃身全体から煙が上がり、その周囲の空気が熱せられて歪んで陽炎ができている。
まさしく本気の攻撃、遠慮のない射撃、これが本来の性能なんだろう。
「やったか?」
言いたそうだったので言ってやった。
驚いた顔は、ロボットでも傑作だった。
◇
単純な手だ。
踏み込み跳ぶ瞬間、俺は跳ばなかった。
ただ殻のスティンガーズだけを空の傀儡として跳ばし、囮とした。
お陰で万能感もチートも主人公な感じもなくなって、元の二本の足とモード=グラスホッパーで走らされるハメになったが、お陰で最後の間合いを潰せた。
噴鬼まで走ればすぐの距離、ここまで来れれば後十一手で詰みだ。
その最初の一手目、走るのを止めその場に臥せる。
「今だ撃て!」
腹の底からの命令、響く。
耳にした噴鬼、一歩引き、目線はあのバスへ、その横に落してきた己の銃を見た。
……そこには誰もいなかった。
囮の次の囮っぽい何か、それも己が使い、威力を知る銃ならば無視できないのが通だ。
お陰て最後の最後の危険な間合いを突破できた。
間抜けに隙を作ったのは噴鬼の二手目、そこを駆け抜けたのが俺の三手目だった。
「この!」
憤怒をもって噴鬼、熱々の銃身を次々を叩きつけてくる。
これが相手番の四手目、回避するがこちらの五手目だ。
振動、熱風、揺れる砂地、ただしそれらは合わせて四度だけ、腕一つに一度きりだ。
……ここの砂漠はプラスチックでできている。
何故こんな砂漠ができるほどプラスチックがあるのかは不明だが、確かに全部がプラスチックだ。
そしてプラスチックは高熱で熔ける。これは小学生でも知っている常識だ。
そんなプラスチックに熱々銃身を叩きつければ、衝撃で沈み、熔けたプラスチックが絡み、でろでろねばねばで使えなくなる。
これで六手目、戸惑い一回休み、そして終盤、俺の七手目に、跳ぶ。
同時に上空で足のスティンガーズを腕へと回す。
これに噴鬼の八手目、壊れて拳もつくれない右手が俺に迫る。
ありがとう、これで二手省けて詰みだ。
勝利の核心に歪む笑顔、次の瞬間に俺はぶっ飛ばされていた。
◇
衝撃はトラック、喰らったのは生身、上空は熱く、殴った噴鬼は間違いなく笑っていた。
これは、俺の落ち度だ。
力量を誤った。
加えて、熱々の銃身の上を飛び越えられたのは幸運、と言うよりも相手のミス、こんなのは勝利には程遠い。
「なんだ! これは何なのだ!」
絶対俺の方が痛いのに、噴鬼が大げさに喚く。
喚きながらまじまじと見るのは俺を殴った右の手、壊れた指の傷口、そこから潜り込むスティンガーズだった。
こんな砂漠に来たってことは防塵加工はしてあるのだろう。ひょっとしたら防水加工してあるかもしれない。
だが体内はどうだ?
装甲の裏は? 関節に溝は? ケーブルやらピストンやらの間に隙間はないか? 半端なビニールやカバーなんぞ食いちぎられるぞ?
ホワイトスティンガーズは寄生虫、狭い所に潜り込むが本能、命ずるまでもなく奥へ奥へと入っていく。
柔らかい所は食いちぎる。電撃にはそれなりに耐性がある。
どうせ機械、免疫もなかろう。
内から縛られ、壊れるがいい。
良さげな台詞は思いついただけで、頭から落ちた俺の口は砂に塞がれた。
格好がつかないな。
砂から脱出した時、噴鬼は背中の翼を展開し、上空へと飛び立つところだった。
……残されたのは壊れた銃と熔けた中に沈んだ四丁の銃、丸残りの銃もあったが、その空路は逃げる方向だった。
◇
酷い休日になってしまった。
一日のモード切替え最多記録更新、敵には逃げられ、体中痛み、鬼娘は爆ぜて死んで、そして買った銃が一丁足りない。
『リベリオン』左手用のやつだ。
バスを降りる直前まではあった。
降りた時から怪しい。
落したのかと周囲を探しまくったが見つからず、生き残りが知ってないかと頭をほじり、だけども結局見つからなかった。
いくつかの銃撃で吹っ飛んだ、と考えるのが普通だろう。
それで残ったのが右手用、はっきり言って無価値だ。両手で持って二丁拳銃、殻の接近戦の格闘戦がやりたかったのに、台無しだ。
そうして残ったのがその無駄な片割れと、傷ついたプライドと、いくらかの反省点だ。
……噴鬼、逆の立場なら俺を殺せた。
最大射撃を全部上に使わなければ、そもそも囮に引っ掛からなければ、あそこで実弾を用いていれば、接近しなければ、バスを狙えば、走行中に攻撃すれば、車酔いの間に終わらせれば、言い出したらキリがない。
今回はバスの乗客と言う弾があったから助かったが、なかったらなぶり殺しだった。
……今度から人のいなさそうな場所にはハーレム要員を連れてくようにするか。
だけどそれだと、いるのはもったいないし、いらないのは連れて歩けばみっともない。
どうしたものかとトランクの中、本来は『リベリオン』が収まっていたスペースを虚しく見つめる俺、可愛そうだ。
…………ふと、残ったスティンガーズの残滓か、頭に何かが閃いてすぐに消えていく。
それを必死に手繰りよせ、形を見ようとするも、残ったのは漠然としたイメージ、忘れ物がこの銃を持っている、という意味不明なものだ。
意味不明、だけどもそれが真実ならば、あれだけ頑張った俺への追い打ち、楽しみの窃盗、楽しい休日の破壊、万死に値する大罪人だ。
…………いればの話だ。
現実逃避に区切りをつけて、ざりざり揺れるバスの中、俺はトランクを閉じた。
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