『殺し屋退治』中
ホワイトスティンガーズは異能を持つ怪物とはいえ寄生虫、すなわち生物だ。
馬鹿みたいに属性だ相性だ言うつもりはないが、生物は焼かれたら死ぬ。
その中で皮下の肉の中を泳ぐスティンガーズは乾燥に弱く、ましてやガソリン直火焼きなどすぐに縮れてしまう。
……生き残れたのは、幸運と属性のお陰だ。
火は、水で消える。
水は、人体から搾り取れる。
血液、俺を抑えてたアホどもから、まずスティンガーをぶち込み肉体を奪い、筋肉体操で俺を守らせ、その上で心拍数を跳ね上げて朱色の噴水をぶち上げる。
火を消すというよりも燃えたガソリンを洗い流すイメージ、流れて燻る部分に胃袋と大腸と膀胱の中身をかけて鎮火、肌の汚れはスティンガーに鞣させキレイキレイだが、ぐっしょり汚れた服は買い替えだろう。
……これまで十分あまり、ボヤと悲鳴でそれなりな騒ぎなのに警報どころか誰も顔を出さない。
前にも後ろにも、真っ当なのは残ってないと考えた方が良いだろう。
つまりは、やりたい放題ってことだ。
一息ついて、スティンガーズを戻して、残ったものを数えて、死にそびれたオヤジを拾って、前進を開始した。
◇
廊下を抜けた先にあったのは右への大曲だった。
左には看守の詰め所、中の看守どもは肉体的には無事だったが、精神的には持っていかれていて、手遅れだった。
念のために死体を漁るも、無線機など外へ助けを求めるのに使えそうなものはすべて壊されていた。
それで、正面は壁と同じ高さのコンクリートの建物、窓こそないが歓喜のための金属の穴がちらほらと見える。
右にはぐるりと進む道、道なりに進めば正面だった建物の周囲を回って一周手前、やっと入口にたどり着けた。
警備のためにわざわざ遠回りにしているようだが、監視カメラは設置前だし、そもそも見張りが軒並み洗脳されてたら話にならない。
せめて本拠地側に配備されてるとかいうサイボーグならまだ抵抗の一つもできただろうに、色々と中途半端で面倒を駆けてくる。
邪魔になった見張りを取り除いて建物の中へ。
驚いたことに、出入り口の未完成なゲートを抜けた中は、高い天井の吹き抜けだった。
壁際にはハンター、中央には看守たち、どちらも団らん、緊張感はない。
それらに囲まれた中央には透明な箱が置かれていた。
高さが2mほど、横幅は5mほどの箱、、中には灯りと椅子と机と、防弾チョッキにヘルメットがぶかぶかなひょろい男が、こちら側の角に背中を押し付け震えていた。
「なぁ、ほんとに無理?」
「すまんね。君の頼みでもお目こぼしが限界だ」
「ふーん。まぁ仕方ないか」
耳に入ったのは何気ない会話、透明な箱の向こう側、出入り口っぽいノブと鍵の部分にしゃがみ込んで、何やら取り出し並べてるのは、忘れようがない、先ほどのスーツ男だった。
ひょいと持ち上げたのがガスバーナー、ドアを焼き切る気らしい。
隣に立っているのは他の看守とは違う豪勢な制服の、初老の男だった。
にこやかな感じ、優しそうな雰囲気、だが俺を見た途端にそれが消え、引き締まった。
この感じは知ってる。家を追い出され、無理やり通わされた学校のクラス、久しぶりに一歩踏み入れた時の、異物を見る感じだ。
嫌な思い出、思い出させたこいつらも殺さないといけない。
「なんだね君たちは、持ち場はどうした」
碇が噴き出す少し前の声、怒られる前の雰囲気、それに呼応するかのように、談笑が止まって、集団がこちらに向いた。
看守たち、ハンターたち、銃器は見られないが警棒に刀剣に、あと雑多なんか、団体戦、集団戦、好都合だ。
「おい。入ってこい」
振り向きもせずに命令すれば、苛つくほどにゆっくりと、こちらの手ごまが入ってきた。
あの時、俺を抑えておいて焼かれそこなって、絞りそこなった連中、俺と同じ班のハンターども、数は向こうの半分程度だが、その分必死度が違う。
「なぁ」
一人が気安く声をかけてくる。
「ほんとに、あいつを止めるの手伝ったら、こいつを取り除いてくれるんだよな?」
チラリと見たらびくりと跳ねた。それでも己の腕を掻きむしることを止めない。
痛みも何の感覚もないスティンガー、埋め込まれた程度でこの体たらく、使えなさそう。だけどもそれをうまく使うのが将棋というものだ。
「ちゃんとやったら助けてやるよ。少なくとも、あのオヤジみたいな最後にはならないと約束してやるよ」
これだけで、彼らの無駄口は収まり、代わりに全員が前進した。
……人を支配する定石は、たっぷりの絶望とちょっぴりの希望らしい。
そのちょっぴりにしか助かる道がないと思わせられれば、誰でも滑稽なほど言うことを聞く。
なら俺みたいに希望しか与えてないこれは、定石破りの悪手となる。
それでも必死に戦ってくれるのは人望か、カリスマか、絆ってやつなんだろう。
敵方と味方、入り乱れて戦う間をまっすぐ進み、目の前の男を踏み台に、箱の上へと飛び乗る。
……思ったよりも大きかった箱、シースルーな足の下、軽く踏みつけると軽くたわむ、周囲は争い合う喧騒のBGM、ここはいい感じの舞台だ。
「凄いな」
呟きながらひらりとかっこよさげに反対側より舞台に上がったのは、あのスーツだ。
「俺の『ストックホルム』が効かないどころか、それを上回る洗脳とか、やはりチートはいかれてる」
この上ない侮辱、チート扱いとは、無知故の大罪、やはりこいつはゆっくりと殺そう。
「それで、一応交渉」
「命乞い?」
「まぁそんかな」
俺の問いにスーツはむかつくスマイルで返してきた。
「見ての通り俺は殺し屋でね、報酬をもらってこいつを殺そうとしてる」
そう言ってがつりと透明な天井を踏みつけると足下の男がゴキブリのように這いずった。
「だけど君を相手にするのは骨が折れそうだし、それ以上の報酬をくれるなら、すっぱり諦めて手を引けるんだけど?」
「払う!」
響く声は防音じゃなかった足下から、ゴキブリ男の必死の声が響く。
「払う! 助かるならいくらでも払う! 払うぞ!」
「おい」
「ただし少し待ってくれ! 人肉販売禁止法が制定した後になら、畜産業界と奴隷禁止派からキャッシュバックが入る! だから!」
「知るかよ」
モード=ダイキリ、左手よりだらりとスティンガーを出して垂らして、振りかぶる。
「交渉決裂?」
「見ればわかるだろ?」
言いてやり、そして俺は見せてやる。
風切る一閃、スティンガーの鞭、軽く音速を超える一撃を……だが。
「無駄だよ」
嘲りの声に、スティンガーは届かなかった。
逃げられた。
避けたのではない。
振るわれたスティンガーと同じ進行方向へ、わずかに上回った速度で、スーツも動くことで、到達されるよりも先に、届かぬ位置まで逃げ切ったのだ。
すなわち、俺が振るった鞭が如きスティンガーより、こいつの全身運動の方が早かった、ということ、それもギリギリをキープしている辺り、嘲りを感じさせる。
「当たんないよ」
二発、三発、連続で繰り出す俺へ、スーツはまぐれでないぞと笑いながら語る。
「これは『アキレス』という。追いかけてくるものよりも自動でちょっぴりだけ速く動ける術なんだ。相手が加速しても、こちらは自動でそれを超える。絶対に追いつけない」
自慢げに、自信ありげに笑うスーツ、そうできるほどに、説明通りならめちゃくちゃな術だ。
くやしさを悟られぬよう奥歯を噛みしめ、伸びてたスティンガーを戻してモードを切り替える。
「そうそう、争いは諦めて、ね? 下との交渉に君のことも入れてあげるからがぺぇ!」
手応えあり。やっと顔面を殴れた。
「喋りすぎなんだよ」
殴られ鼻血を出して、それでも現状把握できてないスーツへ、俺は嬉しさのあまり説明してやる。
「対象より速く? だがそれはどうせ俺一人のことだろ? でなければスティンガーズか、何にしろ対象は一つだ。だったら足し合わせればいい」
俺の言葉に応じるように、皮下のスティンガーが騒めき、浮かび上がる。
「俺の動きに合わせてスティンガーも駆動させる。例えるなら、内臓式のパワードアーマーみたいなもんだ。俺個人の動きと、スティンガーズの動き、それぞれを上回れても、合わせた速度には届かない。加速特化のモード、名前はカミカゼ、とデモしておこうか」
反動で全身の筋肉と関節が痛むが、それは黙っておく。
「終わりかスーツの殺し屋さんよぉ? だったら今度こっちのターンだぜ?」
「
「あ?」
「浅井扇、自己紹介してなかっただろ?」
スーツの袖で鼻血を拭いながら、扇と名乗った殺し屋が、にたりと笑った
「そして殺し屋が名乗るのは、依頼人か、これから殺す相手か、どちらかだよ」
ぐらりとした。
話は聞いてた。それ以上に何もされてない。
なのに、頭に違和感が現れた。
酩酊でも目まいでも睡魔でもない。これまでに経験したどれにも当てはまらないなにか、だけども絶対に健康に良くない何かが、俺に起こっていた。
「胡蝶の夢」
扇が笑う。
「これは仲間と思い込ませる『ストックホルム』よりもダイレクトに精神へ干渉して、散らす。抵抗手段がないとすぐに空っぽになっちゃう」
何を言ってるか、理解できない。
それほどまでに、精神が持ってかれてる。
「本当はこれ一つで大体終わるんだけど、弱点がいくつかあって、先ず無差別ってこと。ほら」
そう言ってスーツが見た下、あれだけの集団戦が終わっていた。
みな惚けて、しゃがみ込むもの、倒れているものばかりだ。
「何よりもこれ、強すぎるんだよ」
むかつく扇の顔へ、必死に向かい、手を伸ばす。
だが、それを、恐らくはあの術も使わず、ひらりと避けて、舞台の下へと飛び降りた。
「後はこのまま、時間をかけてみんなが倒れるのも待つだけさ。この後どうなるかは、も薄く体験できるよ」
笑う扇、だがその顔が引きつる。
恐らくは、俺の笑顔を見たから、考えうる限り最善の手を打てた俺の、満足に恐れをなしたからだろう。
それさえも霧散しそうとする中で、俺の精神が最後に認めたのは、とっても美しい爆発だった。
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