『鐘と共に消える』下
はっきり言って教会はそんなに広くなかった。
倉庫、食堂、排水溝のあるタイルの部屋、ATM、保険の仮出張所、鎖と鞭の並ぶ檻、目当てを探して走り回る。
ふつり、と背後をかすめる感覚、振り返るまでもなく俺の長い黒髪のいくらかが刈り取られた。
ストロンを抱えてのガーゴイルのと追いかけっこ、目的地にたどり着くまでに建物一周できてしまった。
廊下の突き当り、小さなドアを抜けた先、薄暗い小部屋に見えて天井無しに高い天井、白いペンキの内壁、ぐるりと巡る螺旋階段、その中心を芯のようにロープが垂れている、ここだ。
上る呼吸、だけどもこれから登らなければならない。
座って休みたい欲求を振りほどくように上を見れば、そのはるか上に、目当ての鐘があった。
あれを落としてガーゴイルを閉じ込める。
シンプルでありながら盲点のように気づかれない完璧な作戦、そのためには登らなければならない。
嫌な気持ちを背後の衝突音で振り払われる。
ガーゴイル、狭すぎる出入り口に突撃し、通れず抜けず、はまってもがいている。
今のうち、上で待機だ。
一呼吸入れ、ストロンを強く抱きしめなおして、金属の板と手すりだけの階段を駆け上るのとガーゴイルが抜け出たのとほぼ同時だった。
ならばスティンガー、移動特化と行こう。
モード=グラスホッパー、単純な下半身特化、かける力が倍増して一ダースを一跨ぎで飛び越せる。
ハイペース、だが呼吸が焼け付く。
メキメキメキメキ。
すぐに続く金属の悲鳴、ちらりと見れば当然ガーゴイル、階段の側面を梯子にし、俺を追跡してくる。
跳ねは飾りか、あるいは狭い中で使えないのか、どちらにしろこれは行幸だ。
駆け抜け、走り上がり、距離を放し、上へ。上へ、高さは三階建てか、四階建てか、登って、たどり着いた。
……絶景だった。
それなりの高さ、それなりに広い敷地、隣は城か遊園地か、遠くまで見通せるこの場所はいつまでいても飽きが来なさそうな、まさに絶景だった。
だが、希望の方は絶望だった。
鐘、ここに来た時にまるでゴングのように鳴り響いた黄銅の鐘は、小さかった。
椅子にしたらちょうどいいぐらい、俺の力でも何とか転がせるぐらい、ガーゴイル相手なら頭が入ればいい感じぐらいの、小ささだった。
これじゃあ、閉じ込められない。
計画が破綻したショックはいかほどか、自覚するより先に揺さぶられた。
揺さぶったのは、ここまで抱いてきたストロン、目覚めたのか、だけどわかってないのか、暴れて逃れようとする。
「おい」
増えた面倒ごと、いら立ち、だけどもそれが掠め飛んだ。
熱い痛み、俺の右頬から、つつりと流れ落ちる感じから、ざっくりと切り付けられたのだと、間抜けに攻撃を受けたのだと、否定できなかった。
やったのは、ガーゴイル、登っていた階段の手すりの一部を引き抜いて、それをまるで犬に遊んでやるように、俺へと投げたのだ。
存外に高かった知能、でかいわりに器用だった手、ストロンが暴れなかったら俺に当たっていただろう不運、だがそれを押しのけて、ガーゴイルに対する思いは一つ、憤怒だった。
ストロンに当たったらどうすんだこのクソガーゴイル風情がぁ!
激情、悪手、冷静さを失った愚かな獣、それでいい。
抑えきれない思いに憑かれ、ただ感情のまま、スティンガーズを解放する。
モード=XYZ、全力解放の最終モード、全身から溢れ出る白い寄生虫たちが自由に喚起しながら蠢き、絡まり、まるで見えない巨大な体に巻き付くように、形作る。
巨大な腕、分厚い体、潰れた下半身、鋭さはなく、鈍さしかないフォルムは、不格好、不気味、不器用、されどもテーマははっきりと見て取れる。
これは、ただ力を求めての姿だった。
その思い、その力、その怒り、手を伸ばす先は、当然鐘だった。
冷たく硬い感触、強く握れば軋むように歪み、引っ張ればわずかに埃を降らせて千切れ飛んだ。
そして見下ろす先、ガーゴイルが再び手すりを取り外しての投擲体制、まだ狙うその姿勢が、怒りの炎に油を流し込んだ。
後は爆発するだけだ。
「死ね」
ただ思いを込めての投擲、ぶん投げた鐘は、一度手すりに当たって跳ねてから、ガーゴイルの顔面へ、めり込み弾き飛んだ。
砕けて散ったガーゴイルの顔、凹んで割れた鐘、そしてどちらもが、まるで霧のように消え去った。
少しはすっきりした。
「痛い、痛いよぉ」
声、抱えた中から、ストロンだ。
「目が覚めたか?」
俺の問いにびくりと跳ねた。
「怖がらなくていい。あいつらならやっつけた」
「痛い、痛いです」
俺に抱きかかえられたまま、小さなお手てで空になった目を押さえる。
「……あんまり触るな。その、ゴミが入ったんだ」
偽善者、臆病者、幼い少女に目玉が潰されたという事実を言えない卑怯者、挙句にそれを優しさだと開き直って、悪名を甘んじて受ける気で嫌がる。
それでも、まだ、せめて心の傷がいえるまでの間、黙っていよう。
「ストロンちゃん、だったよね?」
「……はい」
「これから病院に行こう。そこで見てもらえば、また見えるようになるよ。だからいい子にしてて、そしたら、またパパに会えるからね」
地獄へ通じる滞在の嘘を吐きながら、俺は登った階段を下りて行った。
◇
これは明らかに俺の失敗だった。
ガーゴイル、がまた現れるかもしれないと思い、残したエル・ディアボロ、最後に残した命令は、見知らぬ相手を殺せ、だったはずだ。
それはガーゴイルに留まらず、神父にも適応できてしまうであろうことをすっかりと忘れていた。
「あうぅあぁ」
荒い呼吸、できるだけ奇跡、半分握りつぶされてた神父は、地面に投げ捨てられた姿で半殺しだった。
腿、腰、腹、左胸、左腕、そして顔の左側、握りつぶされ、皮が弾けて肉が剥け、ちょっとだけ骨が見えて血が流れてる。顔なんかもう、目玉飛び出て骨が割れて、これ脳みそか?
凄くいたそうで、凄く酷いことをしてしまったようだ。
「ごめんなさい」
色々と言わないこと、聞きたいこと、あるけれど、今はまっずぐ謝った。
「あのガーゴイルも結局倒してしまいました。それに鐘も、何でかガーゴイルに巻き込まれたみたいで、消えてしまいました。せめてもの救いは、この子が無事だったことだけです」
言ったところでストロンはもちろん、這いつくばって首も動かせない神父には見えてないだろう。
まずは治療、その前に安全確保だ。
「あ、これ、痛くないんで、抵抗しないで下さい」
断りをいれてから、しゃがんで、俺は左手を神父の瞑れた部分へ伸ばす。
モード=ソルティドッグ、相手の脳にアクセスすれば一気に情報が引き出せる。
ただ男と繋がることへの生理的嫌悪感はあるが、本来は副作用である麻薬作用はこの怪我にはいい感じに働いているようだった。
それでさっくり、記憶を漁る。
名前、ヴィクトル・カイザー、個人情報はいいや、デリカシーあるし興味もない。
依頼内容は、最近巷で発生してる誘拐事件の調査、ただしもういいってなんだ?
それから重要な秘密として、バラモットとかいうのが出てる。
こいつは、吸血鬼らしい。カリスマ性、賛美する気持ち、ダメだな、感情が記憶を汚染していて真っ当な情報とは言い難い。むしろここまでくると洗脳されてる可能性すら出てくる。そいつへ贈り物、何を……ぶつり。
切られた。
切断、シャットダウン、物理的に記憶が消された。
神父、ヴィクトル、その無事だった右腕が、胸にかけてた十字架を掴み、その長い部分で、左目があったところへとぶっ刺した。
痛みなど想像したくない行動、そこからさらにくちゅりと、かき混ぜて、脳の前頭葉を破壊した。
記憶の喪失、命の消滅、傷と麻薬成分、二つがあってなおそれを行えるのはよほどの精神力か、愛か、あるいは、やはり洗脳だろう。
……それでも抵抗して、俺に情報を残してくれたのだ。
「わかった。お前の意思、ちゃんと受け取ったよ」
もう聞こえていないだろうが、そう言わなずにはいられなかった。
泣きそうな気分、無力な自分に気持ちが沈む。
だが、そんな暇はない。
まずは病院だ。彼女を見てもらって、ここにはカンパニーがある。癪だが、あそこの医療技術なら目玉の一つ二つ作れるだろう。
それから誘拐された人たちも探さないといけない。
その前に、下だ。
色々あって気が付けなかったスティンガーズのざわめき、関知する方向は下、地下に何かがいるらしい。
日の光の届かない地下室に吸血鬼の影ともなれば、考えられるパターンは多くない。
巣窟、教会の下というのはベタなフェイクだ。
そこにわざわざ出向くほど俺も馬鹿じゃない。
後で戻って入口探して、ガソリン流し込んで蒸し焼きにしてやろう。やつらの顔を見ないで殺す、なかなかお似合いの結果だろう。
それからストロンの部屋も用意しなくちゃいけない。
腹も減った。
やることは山盛りだ。
欠伸を一つ、噛み殺して、俺は教会を後にした。
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