第18話 アミラ  【10月16日】

 食事の後で、山部達は日浦が担ぎ込まれたという病院に出かける事にした。

 現場に駆けつけた救急隊員からは既に話を聞いていたが、一応日浦が緊急処置を受けたという病院も見ておきたかったのだ。

『ブルンガ国立トウキョウ病院』は、工場から西に向けて歩いた先、ブルンガ人住居の裏手にあった。この国がキリスト教国であることを示すように、壁面には赤十字の描かれた看板がかかっており、その敷地内には二棟の建物が立っていた。

 ブルンガ人はよほどカラフルな建物が好きと見えて、右側の四階建ての病棟は緑色。左側の二階建ての病棟はピンク色に塗られている。

「二つあるということは、ここもハミとクマに分かれているのかな?」

山部が尋ねるとルカは、

「いえ、病院はどちらの民族も共有です。緑の病棟は男性が利用する病院で昨日襲撃された日本人が最初に運ばれたのがここです。一方、ピンクに塗られた病棟は女性や子供の為の施設になってます」と答えた。

このあたりは、地理的に近いイスラム文化の影響を受けているのかもしれない。

「なるほど。そこに書いてある、ラなんとかいう看板が産婦人科という意味かな?」

 山部が桧坂に聞くと彼女は少し険しい顔をして、

「おかしいですね。本来、産婦人科はObstétrique et Gynécologieというはずですが……、」

 と首をかしげた。それに対してルカ・ベンが、

「あれは悲しい歴史です。ブルンガではクマ王国の成立以前にLa productionという文字が当てられたのです。生産という意味ですが、出産にこんな言葉を当てた当時の指導者は、国民を家畜と見なしていた証と言えましょう。残念ながらその言葉が定着し、ブルンガ共和国となった今でもLa productionが使われているのです」

 と嘆息した。


 山部達は緑の病院に入った。待合室は男性だけで桧坂が入るとジロリと見る者もいた。

 施設自体はまだ新しく落書き等も殆ど無かったが、壁際にカーキ色の服を着た数人の若者がいて、こちらに敵意のある視線を向けた。もっとも廊下の端には腰にブルンガナイフをぶら下げた警官も立っていた為か、トラブルにはならなかった。

「ブルンガはやはりフランス型の警備なんですね」

 桧坂は体格のいい警官を見ながら言った。

「フランス型って?」

「それは治安維持の方法ですわ。一般的にイギリス型はテレビカメラで見張り、フランス型は兵士とか警察官を立たせる事で市民の安全を守りますねん」

「フランスの文化圏では、プライバシー重視なんですよね」

「というより、ブルンガはあんまり予算も無いもんですから」

ルカ・ベンが苦笑した。

「そのかわり人はおりますんでフランス型にしています。それに何か起こった後で犯人を捕まえるより事前に防いだ方がええやないですか」

 確かにルカ・ベンの言う通りかもしれない。2013年のボストンマラソンの様に悲劇的な事件が起こった後で犯人を捕まえても、殺された人は帰って来ないのだから。

『ブルンガ国立トウキョウ病院』には集中治療室と呼べる程のものは無かったが、MRIまで備え付けられている為、ポテンシャルは高そうだ。ただし全体的な感じで言えば都市の病院というより、南極観測船の中にある診療所に近い雰囲気があった。

 病院では看護師(これは女性だった)にも少し話を聞いたが彼女たちが忙しそうだったので切り上げ、次に襲撃にあったという長老の家に向かった。

 そこはブルンガ人住居の外れに位置する二つの教会や、学校よりさらに北西にある。所々畑があってトマトやイチゴが植えられているのが見えた。

「この島にも畑があるんですね」

 桧坂が驚いたように言うとルカ・ベンは、

「トマトやイチゴは西アフリカでも広く栽培されてる作物ですんで、みなさんが喜んで植えられるんですわ。他にはピーナッツがよく植えられます。ブルンガの人は土地があると耕します。本当はマンゴーを作りたかったようですけど、冬に10度を下回る場所では、ビニールハウスでもないと実を付けんようですねん」

 と答え、抒情詩のような言い伝えを述べた。

「大地はまだ耕されていない。お前達が座っているその大地を耕し、平になさい。ウヌンボは、あらゆる食物の種を与え、これを植えよと命じた。と、いうわけです」

「創世記みたいですね」

「これは西アフリカのバッサリ族に伝わる神話です。残念ながら私が直接聞いた話やなく、白人が書いた『神話の力』という本に出てくるんですけどね」

 ルカ・ベンは自嘲気味に話した。

 しばらく歩くと防風林の役割をしていると思われる、油椰子が数多く植えられている場所に出た。

 その中に削り取られた様に更地になっている箇所があり、そこに伝統的なブルンガ様式(とルカ・ベンが言う)家が一軒立っていた。本来は砂漠の多い地方に適した素焼きのレンガ作りであることから、雨の多い東京では三年ほどの短い歳月で外観がずいぶん朽ちている感じがした。

 家の周りには他に住居らしい物は無く、芝生になっている。夜間照明のたぐいも見当たらない寂しい場所だが、ここでも、ヤギだけはゾロゾロといた。

「ここは夜になると暗いでしょう。人もいないようですし……」

 桧坂が周りを見渡しながら、ルカに尋ねた。

「まあ、日本人にはそうですね。我々からすれば東京の明かりが空に反射して、夜でも島全体が暗うならへんて言う人もいますけど」

「すると、日浦が襲撃犯の顔を見たのかどうかも分からないな」

「日本に運ばれた後、病院での聴取は警視庁が行うでしょうかね。ブルンガの警官は聴取に来ますかね」

「それはどうだかね。ブルンガ・コーバンがどれくらい事件を重要視するかだな」

 山部は立入禁止のテープすら貼られていない現場を見て言った。つい数時間前に起きた事件だろうに、既に血は洗い流され、周りを見てもブルンガ人の警官は一人もいなかった。

「私達がかってに現場に入っても良いでしょうかね」

「何も触らず、少し離れた場所から写真を撮るだけならいいんじゃないかな」

「でもこれだと、どこが犯行現場なのか詳しく分かりませんよ。外国だとやはり勝手が違いますね」

 山部達は現場と思われる、水で洗われた跡が残っている箇所を一通り見て、現場の写真を取った後、日浦の恋人というアミラとその養父ロラン・チャタに会うことにした。


「長老は第二次世界大戦にフランス軍の傭兵として参加されたいう人で、大変なお年ですよって、あんまり疲れさせんといて下さいね」

 ルカ・ベンは山部達にそう注意しながら、戸口で「Hodi!  Hodi!」と叫んだ。

すると家の中から「Nini wote kama?」と言う女の声がした。

「どちらさまでしょうかと聞いています」

 スワヒリ語が少し分かる桧坂が山部に通訳をした。

「アミラがいるみたいです。彼女は私と同じ小学校の教諭ですよって、話が聞けるんやないかと思います」

 ルカ・ベンがドア越しに自分の名を名乗ると、現れたのは小柄で、せいぜい高校生位にしか見えない少女で、突然やって来た日本人を警戒してか怯えていた。

チーママが言っていた、『日浦は、若い娘が好き』というのは、こういうことかと山部は思った。

 アミラは、ダークブラウンの肌を持つ、顔立ちの整った娘で、清楚なオフホワイトのフレア・ワンピースを纏っている。カラーコンタクトをしているのはちょっとしたオシャレなのかと思ったが、片方の目の瞳孔が青っぽかった。人間の目は、瞳の色は様々だが瞳孔は黒い。おそらく彼女は片目に障害があるはずだ。

 ルカ・ベンがアミラを「ils sont amis(彼らは友達だ)」と言って落ち着かせ、その後、何やら伝えると、彼女は少し興奮したように答えて首を振った。

「アミラは、さっきも警察に言ったけど自分は何も知らないと言っています」

 だが、こちらをまともに見られず狼狽している様子を見ると、山部の目には明らかに彼女が嘘を言っているように思えた。

「恋人か誰かをかばっているんじゃないでしょうか」

 桧坂が山部に呟いた。

 犯人も被害者も知り合いである場合は複雑だ。少なくともよそ者である我々に語ろうとはしないだろう。

「ルカ、それじゃあ、長老さんに会えないか聞いてもらえないか」

 ルカがアミラに伝えると彼女は尋問から開放されてホッとしたように、

「スコシ、マッテクダサイ」

と日本語で言って、部屋の奥に佇む老人に許可を取りに行った。

「アミラと長老の関係は?」

「ひいお爺さんやて言うてました」

「お爺さんじゃなくて、ひい爺さんなんですか!」

 桧坂が驚いた。日本の基準では推し量れないが、やはり相当な年だろう。

「彼女の両親は彼女がラゴス(ナイジェリアの最大の都市)のカレッジへ留学している時に内戦で死んだとかで、相談役っちゅう、揉め事を調停する仕事をしてはる爺さんが、この島にやって来たんを頼って付いて来たらしいです」

「それで日本まで……」

「ずいぶん思い切った行動だと思いはるかもしれませんが、ブルンガではまだ女性が一人で生きにくいのと、彼女自身が日本のアニメを好きやったのが理由やそうです」

 つまりフィクサーをやっている爺さんと、そのひ孫娘の二人が、ここで穏やかに暮らしていた処、日本人の日浦が現れて波風を立てたという構図になる。

 ブルンガの伝統は知らないが、家長制が強い国々では年頃の女性の婚姻相手を父親やそれに代わる祖父等が決める場合が多い。

 もしアミラにもそういう相手が既にいたとして、日浦が自分の感覚で若い女性に近づいたとしたら、超高齢のロラン・チャタにはどうすることもできなくても、婚姻を約束された男やその親族が怒って制裁を加えるというのは十分に考えられる話だ。

 そういった制裁がこの国の伝統であるとしたら、長老もアミラもよそ者である我々にあえて証言など行わないだろうし、ブルンガの警察も形式上の捜査しか行わないかもしれない。

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