第19話 ロラン・チャタ  【10月16日】

 家の中では誰かに話しかけるアミラの声がしていたが、しばらく待っても変化がないので、山部はそっと屋内を覗いた。

 部屋は、十五畳位の広さがあるだろうか。外壁のレンガがそのまま内壁になっていて、床もレンガで敷き詰められている。その上に直径3m程の年代物の絨毯が敷かれていた。窓は小さく、昼の間は電灯を付けないのか室内は薄暗かった。

 壁に沿って机やベッドが並べられており、天井からパーテーションがぶら下がっているものの、あまりプライベートに配慮した造りではなさそうだった。

 長老・ロラン・チャタは、すっぽりと体を覆う白い民族服(ボニシャというらしい)を着て、足を伸ばせる木製椅子に深く腰掛けていた。

 山部の目にも彼が高齢であることは分かったが、ルカ・ベンの言うように第二次世界大戦中にフランス軍の傭兵として参加したという程の年ではないように思えた。

 第二次大戦は1939年から45年まで続いた戦争で、その戦いに傭兵で参加したとなると、2025年の現在では軽く百歳を超えることになる。だが、どう見てもロランの顔付きは80歳位に見えた。本当は湾岸戦争にでも外人部隊として参加したのではないだろうか。

 薄暗い部屋の中で、ロラン・チャタの姿は異様で、最初まったく動かなかったことから、山部達は彼が生きているのかどうかを疑問に思ったほどだった。

 しかし、やがてゆっくりとこちらに向き直ると、敵意ある表情で、「Dégage !」と言って側においてあったバブーシュという羊の革でできたスリッパをルカ・ベンに向かって投げつけた。

 バブーシュはルカ・ベンには当たらなかったが、山部には外れたのではなく、ロランがわざと顔の側の壁に当てたように思えた。

「Dégage は、フランス語で、出て行けという意味です」

 桧坂が山部に伝えた。

「まあ、そう言わんといて下さい」

 ルカ・ベンは例によって、ここでもお土産攻撃をかけて粘ったが、長老のチャタはストイックな男であるらしく、桧坂の翻訳が正しければ、「日本人の日浦という男に何が起きたかなんぞ知らん。わしらの事は放っといてもらおう」と言うばかりだった。

「あきません。『取り付く島もない』っちゅうのはこの事ですわ」

 ルカ・ベンは大きく手を広げてお手上げのポーズをした。

 山部達には権限がないので、この島では無理強いできない。ロラン・チャタが頑に調査への協力を拒めば断念して引き返さざるを得なかった。

 山部達は家を出た。


「これじゃあ、何も分かりませんね。やはり日浦さんが快復された時に聞くしかなさそうですね。でも、アミラさんはそもそもどうして日浦さんと接点を持ったんでしょうか」

「そうだねえ。アミラさんはあの性格だし、学校の先生をしているといっても職場と家を往復するだけのように思える。まさかスナックでビールを飲むとも思えないしね」

「いや、それでしたら日浦さんが彼女を見初めて声をかけたという事らしいですよ。実はブルンガ島の住民が日本へ団体旅行する際、結構面倒な手続きがあるんですが、それを代行しているのもNGOのハミクマなんですよ」

 となると、日浦はそういった利権も持っていたのかもしれない。

「アミラは一度だけ、小学校の卒業バス旅行に引率として参加したとかでその際、日浦にアニメの聖地・秋葉原を案内されたようです」

「で、アニメ好きなのが分かってしまったと……」

「後は土産攻撃ですがな。ブルンガ人はそう簡単に秋葉原には行けませんが、日浦さんやと関係官庁との連絡を兼ねて度々出入りしてはりますからね。日浦さんは秋葉原や、もう一つのアニメの聖地・中野で彼女の好きなグッズを買って来てはプレゼントしまくってたみたいです」

「でもアミラの家にはそれらしいものは無かったですね」

 桧坂が不思議そうに言った。

「前に一度、長老に全部グッズを捨てられたんや言うて、泣いてたことがありましたわ」

「つまり長老は日浦さんとの交際を快く思っていなかったという事でしょうか?」

「保守的な人の様だから、アミラが日本の文化に染まるのは気に入らなかったんじゃないかな。それに日浦さんは昨日『島の学校で先生をしているブルンガ人女性が、家族から仕事を辞めるように言われたというので、続けられるよう説得に行く』なんて言ってたからね」

「趣味を否定された上、自分が好きな仕事まで辞めさせられるなんて辛い事ですね」

 桧坂がしんみりと言った。

「そうだねえ。長老には長老の考えがあって、彼なりにアミラを守ろうとしていたのかもしれないけどね」

 だとすると、日浦を襲ったのは……? 

 山部は先程、長老がバブーシュを投げたのを思い返した。あれはどう見ても老人の動きではなかった。

 ともあれ捜査権もないこの事件に関してはこのくらいに留め、現場の写真や聴取した印象のみをメールにして河野に送った。するとすぐに河野から折り返しの電話がかかってきた。ルカの前なので小声で話そうとすると、  

「せっかく百均で買った便利グッズをいっぱい持ってきたのにもったいないから、渡してきますわ」

 気を利かしたのか、突然ルカがそう言い出して、もう一度長老の家に戻っていった。

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